Chapter 5-4
「不動さん、無事だといいね」
「ええ、そうね……」
月島邸に向かって駆けながら、朔羅となぎさは言葉を交わす。朔羅の言葉になぎさが僅かに表情を曇らせるのを、朔羅は察した。
「……なぎさちゃんも、気付いてた?」
「……珍しいわね。朔羅が人の嘘を察するなんて」
なぎさが朔羅の手を取る。
「また少し、飛ぶわよ」
「うん」
二人の足元に魔方陣が出現し、彼女らはそれに呑み込まれるようにして消えた。
※ ※ ※
美里はクナイを構え、空を背後に庇うように立つ。空はまだ目を覚ましていない。だが、苦しそうなうめき声を上げている。
四条家のセキュリティシステムが異常を知らせてきた。邸内に侵入者有り、と。
窓から見える空が赤く染まったのと同時に、異変が起きた。邸の人間が皆、倒れ伏してしまったのだ。
魔法の知識はあまりない美里だったが、空を覆う赤い幕が、人の命に異常をもたらす類の結界であると状況から察することができた。ある程度の耐性があれば不自由なく動けることもだ。
同時にやってきた侵入者。美里は今、最優先で守るべき人物は空だと判断した。本来ならば姫奈多とあやめの両名だが、二人共今は邸にいない。姫奈多の傍には綾瀬がいる為、万が一にはならないだろう。また、あやめに邸から抜け出した京太の動向を密かに教えたのは美里自身だった。
あやめも美里も、非常によく似た境遇に生まれた者同士だ。同い年で、兄が一人おり、その兄とは離れ離れになってしまった。兄の件に関しては、あやめも極力気を使って触れないようにしてくれるが、逆に美里はそれが申し訳なかった。だって、兄さんがいなくなったのは、あやめちゃんのせいじゃないのだから。
あやめのことは大事な友達だと思っている。それに私は別れるまでずっと、兄さんと一緒にいられたけれど、あやめちゃんは幼い頃から離れ離れだった。だからあやめちゃんは、京太さんに会いたい気持ちを私に隠す必要なんてない。
双刃は殺されても仕方のない事をした。美里はそう思っている。私は兄さんとは違う。誰かから、大切な人を奪うような事はしない。したくない。だから。
神埼空。扇空寺京太にとって、今最も大切な人の一人。
京太さんがいない今、私が彼女を守る。守って見せる。
※ ※ ※
「ん……」
ゲイルが目を覚ますと、そこは自室のベッドの上だった。
「目が覚めたか。……大丈夫か、未奈美」
声のした方を見やる。そこには壁に背を預け、無表情に自分を見つめる兄の姿があった。
未奈美。長谷川未奈美。長谷川真希夫の妹。それがゲイルの本当の名前だった。最もその名を呼ばれた記憶の殆どは、兄ではなく『ガーデン』の仲間たちに占められていたが。
「ああ。問題ないよ、真希夫兄さん」
「そうか」
瞬間、ゲイルにはシロッコの鉄面皮が微かに緩んだように見えた。ほっとした、のだろうか。言葉も少なく、表情にも乏しい兄の心情を図るのは難しい。何を考えているのかがいまいち掴み切れない。
普段は機関から与えられたエキスパートとしての二つ名で呼び合うが、こうして二人きりの時は本名で呼び合っている。そう決めたのはシロッコの方だった。
『黒翼機関』の構成員は、機関の一員となった瞬間からコードネームが与えられ、更にエキスパートともなればその証たる二つ名が宝具と共に授与される。
エキスパートは機関の構成員の中でも特に戦闘能力に秀でた者たちのことだ。機関の中枢に位置する、所謂幹部のような存在である。彼らは特別な儀式によって、その背に黒翼を授かる。
エキスパートから心臓に剣を突き立てられ、そこから力の供給を受ける。適格者でなければそのまま絶命するしかないが、そうでない、適性を持つ者であれば、背に翼を携えエキスパートに名を連ねることとなる。
ゲイルが――まだ長谷川未奈美でしかなかった彼女が『ガーデン』を壊滅させ、万野慎吾の元から『黒翼機関』へ来た時、無表情ながら手厚く迎えてくれたのが他でもないシロッコである。
彼はすぐに自分の本当の名前を明かした。幼い頃に『ガーデン』に連れて行かれたゲイルとしては、年の離れた兄の記憶はおぼろげだったが、どことなくシロッコが兄・真希夫であるのは事実だと直感できた。
『ガーデン』から解放されたゲイルたちは、コードネームが与えられると同時に、エキスパートの儀式を受けた。
結果、ゲイルたちはエキスパートの力を手に入れた。名実共に『黒翼機関』の一員となったのだ。
手にした力をどう使おうと考えた時、ゲイルが一番最初に思い付いたのは、仇討ちだった。
「私は、どうして。……あの子は!?」
「神埼空は、『龍伽』と共に扇空寺京太に奪還された。扇空寺京太自身も逃亡に成功している」
シロッコの表情が緩んだのは、こちらの気のせいかとも思えるほんの一瞬だけだった。ゲイルの問いに答えるシロッコの表情は、元の鉄面皮に戻っている。
「そうかい……。それで、私はどうして無様に寝転がってたんだい?」
「扇空寺京太には伏兵がいたようだ。恐らくは四条家に所縁のある忍だろう。奴の側近に発信器を仕込んでおいたのが功を奏したな。奴らは現在、四条邸に逃げ込んでいる」
成程、抜かりはないと言う事か。
「計画も次の段階へ進められる。そこで、お前には四条邸へ向かえと言う命令が下った。扇空寺京太の大切な物。それを全て奪い尽くせ」
「大切な、もの……」
ゲイルの脳裡に浮かんだのは、一人の少女だった。彼女の顔を思い出すだけで、ゲイルの胸の内には黒いものが渦巻いて大きくなっていく。
――気に入らない。
「……分かった。兄さんは?」
「俺はシュラと共に王妃様の救援に向かう。少し厄介な手合いと交戦中だと聞いている」
※ ※ ※
結界が発動するのを待ち、ゲイルは四条邸の前に姿を現した。
ゲイルは使役する魔を放ち、邸へ乗り込む。京太がここにいるなら、彼女もいる。
作動するセキュリティが侵入を阻む。邸へ入ろうとする魔どもを排除する為の、鉄壁のセキュリティだ。不法に侵入する魔の気配を感知し、邸を守る結界を発動させる。
だがそれも、所詮は野良犬染みた野生の者どもに対応する為のものに過ぎない。
ゲイルの指揮の元、統率された魔の軍勢が発動した魔法結界を蹴破る。一体一体は野生のものと大した差のない雑兵どもだが、その数が圧倒的に違った。そして龍伽を覆っているこの赤い結界によって、魔どもの力が活性化している。
普段なら物ともしないであろうセキュリティは、数の暴力の元に瓦解してしまった。
ガラスが割れるかのように砕けた結界内に、ゲイルは魔どもを先行させて侵入する。
ゲイルは胸ポケットに『ラグナロク』が入っているのを確認する。
「逃がしやしないよ。私はまだ、答えを聞いてないんだからな。人間様?」
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