Chapter 5-2

 夢。夢を視ていた。


 目の前にいるのは自分と瓜二つの少年だった。ただ、決定的に違うのはその瞳が紅い色に染まっている点だった。


 少年は口の端を上げると、こちらへ向かって手を伸ばしてきた。


 動けなかった。少年の手はこちらの胸に当たり、そのまま溶け込むように埋もれて行く。少年の腕が、身体が、中に入って来る。


 少年の姿が、自分の中に消えた。暗闇の中に自分の姿が鏡のように反射し、映る。


 そこには、少年と同じ紅い瞳をした自分がいた。


 その姿に言いようのない恐怖を覚え、叫びながら、意識は遠ざかって行った。


     ※     ※     ※


 目を覚ました時、そこがどこかまるで見当も付かなかった。自分を心配そうに見つめる人たちが誰なのか全く覚えていなかった。


 自分が扇空寺京太と言う名の、当時七歳になったばかりの少年であることさえも。


 そんな京太を見た、周囲の人々――辰真やあやめ、紗悠里たちは悲痛そうな表情を見せたが、京太にはそれがどういう意味なのか全く分からなかった。自分が誰なのか、自分の身に何が起こったのか説明されたが、記憶のない京太はまるで実感が持てなかった。


 両親が亡くなり、あやめは母の生家に養子として引き取られることとなり、同じく両親を亡くした紗悠里は扇空寺の家に引き取られた。当時の京太には、ただそれだけのこととしか認識できなかったのだ。


 周囲が嘆き悲しむ理由が理解できなかった。何故なら京太にとって両親とは、最初からいなかった存在なのだから。


 不意に、胸が苦しくなった。どくん、と心臓が跳ねる。何かが自分の中で暴れ出したような感覚。痛い。胸が張り裂けそうなくらい、痛い――!


 痛みに暴れ出す身体を辰真に押さえ付けられ、京太は痛みが治まるのを待つしかなかった。なんとか沈静化した後、それは京太の中にある鬼の血――両親の死の間際、覚醒したばかりのそれが疼いているのだと教えられた。


 意識が朦朧とする。高い熱が出ているらしく、身体が自由に動かない。今は眠れと、辰真に諭される。


 畳の匂いを嗅ぎながら、京太は再び眠りに就いた。


     ※     ※     ※


 頭領夫妻が亡くなった直後、扇空寺の毎日は慌ただしかった。


 事後処理と後継ぎ騒動で連日のように屋敷の中は嵐が過ぎ去るかのように騒がしかった。


 辰真は京太に家督を継がせようとしていた。扇空寺は代々世襲制である。扇空寺の鬼たる存在が扇空寺を率いてきた歴史がある。それを全うするというのが辰真の考えであった。

 辰真は彼自身が頭領代行という形で取り仕切りながら、京太を次期頭領として育てて行くという方針を示した。


 こうしてなんとか体裁を整え、『扇空寺』は再編されていった。紗悠里が京太の側近となり、主要な幹部であった不動らは、後進を育成する役割を兼ねることとなった。


 そんな中、京太は自分のすることがないか探していた時、母がいなくなったことでてんやわんやとなった厨房が目に入った。そこにはどうにも要領を得ない男衆に混じり、彼らに比べれば余程立派に料理をこなす紗悠里の姿があった。


 一つ年上の、親戚の少女。これからは、自分の側近になるという。男衆よりはまともとは言え、当時八歳であった紗悠里の手つきはまだまだ覚束ない。それでも京太には、ひた向きに料理に取り組む彼女の姿がとても眩しく見えた。

 自分と同じ年歯の少女が、大人に混ざって働いている事実が、京太の興味を僅かだが惹き付けた。既に記憶を喪ったことによる空虚感に苛まれていた京太が、紗悠里の隣に立つきっかけはそれだけで充分だった。


「おれもやる」

「え?」


 京太の声に、紗悠里は目を丸くした。京太は包丁を持ち、紗悠里の見よう見まねで大根を切ろうと手を掛ける。


「あ、だめだよそんなもちかたしたら! あぶないよ!」


 紗悠里から怒鳴られ、京太は紗悠里の指導を受けながら包丁捌きを身に付けて行った。


「なあ。おれってあんたのことなんてよんでた?」

「……さゆ、ねぇ」

「そっか。ありがとな、さゆねぇ」

「うん。きょうちゃん」


 それから、扇空寺組の厨房は京太と紗悠里の場所になった。当時はこれに異を唱える声も少なくなかった。特に不動などは、時期頭領候補としての修業に加え、このような激務をこなすのは無茶だと、最も声を大にしていたものだ。

 彼は当時の京太を次期頭領とすることを一番反対していた。今となって思い返してみればあれは全部、幼い京太の身を案じてのものだったのだ。


 不動は父の側近でもあった。同年代であり、主従関係でありながら同時に父の数少ない友人の一人でもあった彼にとって、京太は自分の息子も同然だった。幼くして両親を亡くし、更に記憶まで閉ざしてしまった京太に、過保護とも取れる程の情を移していたのにはそういう理由があったのだ。

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