Chapter 4-5

「空……」


 京太は気を失ったままベッドに横になっている空の頭をそっと撫でた。


 四条の邸に着き、四条家お抱えのメイドたちに紗悠里と棗の世話を任せると、京太は真っ直ぐに空の寝ているこの部屋へやって来た。


「昨日今日と、随分辛い目に合わせちまったな……」


 もう全て終わったかのように、安らかな寝息を立てる空にほっと息を吐き、手を離した。


 立ち上がり、部屋を出る。


 そのまま、誰にも声を掛ける事なく、京太は邸を後にした。


     ※     ※     ※


 宵闇の静寂の中、無残な姿と化してしまった屋敷は静かに佇んでいた。

 風に揺れる竹の音が、やけに大きく聞こえる。

 昔からずっと聞いていた音。この音が、京太の世界だった。


「――ただいま」


 約二日ぶりの我が家を前に、京太は小さく呟いた。最早答えてくれる者のいない屋敷に向かって。

 門を開こうと、取っ手に手を掛ける。その時、竹林の向こうから声がした。


「お兄ちゃん!」

「あやめ……」


 あやめは息を切らせながら、竹林の中を駆けて京太の前に現れた。誰にも気付かれずに四条の邸を出たはずだったのだが。


 膝に両手を付くあやめは、呼吸が整うのも待たずに直ぐに顔を上げて声を荒げる。


「どうして、どうして急にいなくなるんですか! 皆さん心配してます!」

「……悪ぃ」


 京太は顔を背けて、それだけを言うに留めた。

 その表情が余程痛々しく見えたのだろうか、あやめは尚も言い募ろうとした言葉を止め、視線を逸らして息を整え始めた。


 やがて呼吸が安定してきた所で、あやめが口を開く。


「不動さん、ですよね」

「ああ」

「分かりました。私も一緒に行きます」

「……そうか」


 京太はそのまま、門を開けた。


 屋敷は台風が直撃したかのように荒れ果てていた。戸は破壊され吹きさらしになり、外観は抉られ、庭は最早野生動物に荒らされた畑の様相であった。


「酷い……」

「捜すぞ。あいつならまだ生きてるかもしれねぇ」


 思わず口元に手を当てるあやめに、京太は淡々と声を掛ける。頷くあやめを連れて、京太は不動の姿を捜した。


 庭から回り、縁側を見ていく。すると不動の身体はすぐに見つかった。庭先で倒れている彼の姿があったのだ。


「不動!」

「不動さん!」


 二人はすぐさま不動の元へ駆け寄った。死んだと聞いてはいるが、自分の目で確かめなければ気が済まない。京太は不動の顔を覗き込みつつ脈を取る。


 まだ、息がある。


「よし……! あやめ、頼む」


 不動は闘気法の使い手だ。呼吸により体内のエネルギーを操る術を持つ彼なら、息を制御する事で生き長らえる事も可能だったのだろう。


 すぐさまあやめが治癒を施す。淡い緑色の光が、不動の身体を包む。


「……わ、か……」

「不動……!?」


 不動の目が開いた。あやめの治癒が効いているのだ。


「ご無事、でしたか」

「俺のことなんざ今はいい! 今はお前が助かるかどうかだろうが!」

「……いや。俺は、もう、助かりやせん……。それは、あやめ様が、よく分かってらっしゃるでしょう」

「あやめ……?」


 不動の言葉にあやめを見やる。すると、彼女の頬を静かに、一筋の涙が流れた。やがてそれは決壊し、大滝となって流れ落ちる。


 あやめの力を持ってしても助からない。それは不動の生命力が、既に限界であることを意味していた。


「済みません、若……。扇空寺組は、もう、駄目です。でも、若はどうか、生きてくだせぇ……」


 不動は再び目を閉じる。そのまま、彼は息も止めた。彼の身体を包んでいた治癒の光も、やがて霧散した。


 あやめは不動の身体に突っ伏して、声を上げて泣き始めた。彼女の咽び泣く声が響く中、京太は立ち上がる。


「お兄、ちゃん……?」


 あやめが涙を流したまま顔を上げる。


「……不動を、頼む」

「お兄、ちゃん? 待って、待ってください、お兄ちゃん!」


 悲痛な声を上げるあやめを置いて、京太は門を抜けた。


     ※     ※     ※


「『超覚醒剤』の流布、扇空寺組の処分。計画は概ね順調に進んでおります」


 シュラが報告すると、彼ら『黒翼機関』の王が口を開く。


「だが『蒼炎』よ。肝心の扇空寺京太には逃げられ、『龍伽』も持ち去られたそうではないか。その始末はどう付けるつもりかね?」

「ご安心ください。既に手は打ってございます。確保しておくのが最善ではありますが、どちらにせよ、彼に逃げ場はありません」

「成程。どれだけ私を楽しませてくれるか、期待している」


 は、とシュラは大きく頭を下げる。


「それでは、計画を次の段階へ進めます。失礼致します、我が王・ロキ」

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