Chapter 1-5

 姫奈多とのやり取りから一週間が過ぎた。

 『ラグナロク』。その拡散を早く止めなければ。服用者を完全服従させ、魔力を爆発的に高める劇薬。副作用も大きく、樹理は今もリハビリを続けていると聞く。


 しかしだ。『黒翼機関』。彼奴らの目的がまるで見えてこなかった。

 今のところは悪戯に被害を拡大させているようにしか見えないが、果たしてこれに何か意味があるのだろうか。


 被害の広がり方はまるで、龍伽の地を包囲するかのように円状に拡散している。


「……包囲網?」

「京太?」

「あん?」


 京太は自分を呼ぶ声に、思わず怪訝そうな声を返してしまった。


「ああ、悪い、空」


 そのせいで空が少し怯えたようなたじろいだような表情をしていた。自分の顔はこいつからしても相当怖いのだなと再認識した瞬間でもある。


 なんとか気を取り直してか、空は「うん、大丈夫」と前置きし、


「どうしたの、最近なんかすごい考え込んでるみたいだけど」

「ああ、ちょっとな……」


 京太はここしばらく学校でも、『ラグナロク』の件に関して考え込んでいた。


「ま、今日はもう帰るか。ここんとこ会長も朔羅も忙しそうだしよ。俺たちだけで帰ってもいいだろ」

「そうだね」


 放課後の校門を抜け、京太たちはまず空の家を目指して歩く。彼女を家まで送ってから自分の家に帰るのが京太の最近の下校ルートとなっている。


 二人の家は真逆の方向だが、いつの間にやらこれが当たり前となっていた。


 他愛のない話を続けながら歩く。


「あん?」


 しかしその途中、京太は不穏な空気を感じ取った。

 男の集団が、一人の少女を路地裏へ連れ込んで行くのを目撃したのだ。


「ったく……。まだ人のシマで好き勝手するヤツがいやがんのか」

「どうするの?」

「決まってんだろ。空は女の子の方を頼む」

「あいあいー」


 なんだかんだで空も、京太に付いて来た分場慣れしている。男の相手はさせられなくとも、これぐらいは任せられる。


「もっとあんだろうが、出せよオラ!」

「きゃっ……、いや、やめて……」


 ドスの効いた声で恫喝する男どもと、囲まれ怯える少女。どちらが悪者なのかは一目瞭然であった。


「おい」


 京太は遠慮なく、最も路地裏入口に近い位置にいた男を殴り飛ばした。男は仲間の方へ吹っ飛び、倒れる。


「――んだテメェ! 死にてぇのかガキがァッ!!」

「はっ、死にてぇのはどっちだかな」


 京太は殴り掛かってきた男の拳をさらりと躱し、その腕を掴んで捻じりながら投げ倒す。


 残りは二人。

 ひっ、とたじろいだ方はまず無視する。逆上し、頭に血の昇った馬鹿の方が相手にしやすいからだ。案の定、馬鹿はナイフを取り出し構えも何もないまま切っ先を京太に向けてきた。


 京太はそいつの持ち手を手刀でいなすと、勢いのまま突っ込んでくる脳天に頭突きを入れてやった。


「あとはてめぇだ、なっ!」


 残りの一人と向き合うと、京太は一気に距離を詰めて飛び蹴りを決めてやった。

 難無く片が付いた喧嘩に京太は肩を竦ませる。少女はと言えば、喧嘩に乗じて空が路地裏の奥へと連れて行っていた。京太も彼女らの元へ向かう。


「ありがとよ、空。あんた、怪我はねぇか」

「ありがとう、ございます……。大丈夫です……」


 髪の長い、見るからに大人しそうな少女である。まだ怯えが残っているのか、酷く顔色が悪い。

 少女は京太と空へ、深く頭を下げた。


 すると少女の懐から、何かが地面に落ちた。小さなビニールパックに入った、錠剤のようなものだった。

 少女は慌ててそれを拾い上げ、懐に仕舞う。


「おい、そいつぁ……」


 それはまさか、『ラグナロク』ではないのか――!?


「……ッ!!」


 京太が問おうとする最中に、少女は脱兎の如く路地裏の奥へと逃げ出した。


「ちっ……! 空、お前は先帰ってろ!」


 言い置いて、京太も少女を追って駆け出そうとする。が、想定外の事態が背後で巻き起こった。


「……のヤロォ! 待ちやがれ!!」


 倒した男どもが立ち上がり、こちらへ追い縋って来たのだ。もっと完膚なきまでに叩きのめしておいた方がよかったかと京太は内心で舌打ちする。

 ともかく、これでは空の帰る道がない。もう一度奴らを倒してもいいが、それでは逃げる少女を見失う。


「空、掴まってろよ!」

「う、うん!」


 仕方がない、と京太は空の身体をいわゆるお姫様だっこの状態で抱えた。


 こうして、逃げる少女を追いかける京太、更にそれを追う男どもという奇妙な追いかけっこが始まった。


 しかし、その差は一向に縮まらない。少女の足が意外に早いのもあるが、曲がり角や通路に置かれているポリバケツなどをひたすらひっくり返して足止めを食らわせてくるからだ。


 あの少女は一体何故、『ラグナロク』を持っているのか。答えはおそらく、彼女が売人の一人だからだ。男の内の一人がこう言っていた。「もっとあんだろうが」と。


 つまり、男たちは『ラグナロク』の使用者で、売人である少女を脅してタダで薬を手に入れようとしていたのだろう。使用者ではなく転売する連中かもしれないが、それは今はどちらでもいい。


 少女の倒したポリバケツを跳躍して避け、更にそれを後ろに蹴り飛ばして男どもにぶつけてやった。これで少しは時間稼ぎになるだろう。

 それにしても少女の逃げ足が速い。妨害が多いとはいえ、ここまで追いつけないとは一体何者なのだ――?


 やがて、少女が立ち止まるのが見えた。京太も少女のいる空間に出る。そこは広く開いたスペースであったが、京太たちが入ってきた路地以外に道のない、行き止まりだった。


「大人しくしな。その薬のこと、話してもらうぜ」


 これだけ走っても尚息を切らさず、京太は少女へ声を掛けた。しかし少女はこちらを振り返る様子はない。


「ふん」


 少女は鼻を鳴らした。何が可笑しい。京太が訊ねる前に、少女は口を開く。


「掛かったね、扇空寺京太」

「何……!?」


 ふと、背後に気配を感じ京太は振り返る。さっきの男どもだ。だがその眼は虚ろで生気が感じられない。気配も薄く、そのせいか気付くのが遅れてしまった。


 京太が振り返った瞬間だった。彼らは京太の身体をがっしりと掴み、空の身体をむしり取るように奪って少女の元へ駆けて行った。


「京太!」

「空!」


 京太は空へ追い縋ろうとするが、既に遅し。男どもは少女の傍にまで逃げおおせてしまい、更には少女の繰り出した細剣の切っ先が空の喉元に突き付けられる。


「この子を返して欲しいなら、私と戦ってもらおうか」

「……てめぇ、何者だ」


 完全に雰囲気を変えた少女は、京太の問いにようやく振り返る。彼女は鋭い眼光で京太を睨み付け、低く唸るような声で名乗った。


「私はゲイル。『黒翼機関』のエキスパートだ」

「『黒翼機関』……だと……!?」


 ゲイルの方はその反応に特に何の興味も示さず、京太を強く睨み付けたままだ。


「それで、私と戦うのか。どっちだい」

「選ばせるつもりあんのかてめぇ。それに大体、てめぇにそこまで睨まれるような仲じゃねぇだろ」

「ま、それもそうだ。けど、その気があるんなら――いや、この子に無事でいて欲しいなら付いて来な」

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