Chapter 6-6
絹枝の眼が真実を捉える。
淀みなく、たった一瞬にして。
絹枝の眼は、目の前の男が実の父であると何よりも明確に訴えかけてきた。
※ ※ ※
「お父、さん……?」
呆然と自身を見つめる娘の視線に居た堪れなくなったのか、赤羽――いや、鞘上弦一郎は顔を背ける。
「止めろ……。俺にそう呼んでもらえる資格はねぇ」
「そうやってまた逃げるのか鞘上弦一郎。それは紛れもなく貴様の娘だぞ。貴様が自分の私利私欲、研究意欲と赤羽サツキへの妄信の果てに試験管の中で作り上げた正真正銘貴様の娘だ!」
万野が再び床を踏みつける。激震する床に再び足元を掬われるかと思いきや、この振動は激しい突風とぶつかり合って消えた。
突風を発生させた張本人――万野の地属性の攻撃を風の属性で相殺したのだ。
鞘上は立ち上がり、万野を睨み返す。
「黙れよ万野。そんな事は分かり切ってんだよ。……試験管だろうがなんだろうが、てめぇの愛した女との間にできた娘を愛さねぇ父親なんざこの世にはいねぇ!」
鞘上は拳に竜巻を纏わせ、万野へと疾駆する。その速度は並の人間を軽く超越している。身体強化の魔法を施しているのは一目瞭然であった。
対する万野は身じろぎ一つせず鞘上を待ち構えていた。睨み合う両者の間には、不可視の障壁が存在する。万野の使用するあの、多重魔法障壁とでも呼ぶべき壁が。
激突。鞘上の拳は万野の目前で動きを止めた。だが弾かれはしない。激しい衝撃波を伴いながらもせめぎ合う。
「先生!」
「待って、朔羅ちゃん!」
追随しようとした朔羅だが、背後から掛けられた制止の声と両肩を掴まれた衝撃に足を止めざるを得なかった。
「待って……。お願い、まだ、手を出さないで」
振り返れば、朔羅の肩に手を掛ける絹枝が俯きながら声を絞り出していた。俯いてこそいるが、見上げる形となっている朔羅にはその表情がありありと窺えた。
歯を食いしばって耐えているのは、恐らくは赤羽の正体が実の父であった事実への戸惑いなのだろう。
当然だ。叔父だと紹介されたはずの男が、よもや実の父親だったとは。朔羅たちでさえ訳がわからないのだ。例えその眼に真実が映ったとしても、実感など到底得られまい。
「分からない……分からないよ。いきなりお父さんなんて言われても、どうしていいか分からない」
朔羅は視線を鞘上たちへ戻す。依然拮抗する二人であったが、万野が口を開いた。
「戯言を。貴様が娘を捨て、己を偽り……魔法使いとしての自分すら封印してここまで来た事に変わりはあるまい!」
万野は大きく目を見開く。瞬間、鞘上の拳を食い止めていた障壁が眼が眩むほどの閃光を伴って炸裂した。鞘上はこれに堪らず弾き飛ばされる。
床に大きく叩き付けられながらも、鞘上はなんとか手を付いて身を起こそうとする。
「無様だな鞘上弦一郎。……貴様とは常に相容れない関係だったが、それもこれで終わりだ」
万野は床を鳴らしながら鞘上へ歩み寄る。彼の掌上にバスケットボール大の岩石が生まれ、それを赤い焔が包み込んだ。
二人の争いを呆然と見守るしかなかった朔羅には、二人の間にどんな軋轢があるのかは分からない。万野の眼を見る。だがそこにある殺意は紛れもなく本物だ。次の一手で、間違いなく万野は鞘上の命を絶とうとするだろう。
万野が射程距離に鞘上を追い詰める寸前、電撃が弾けた。万野の魔法障壁により阻まれたそれは、なぎさによる狙撃であった。
「朔羅!」
殆ど条件反射だ。なぎさの檄を受けて朔羅は絹枝の手を振り払い、動きを止めた万野と鞘上の間へ割って入るべく飛び出していた。
「嬢ちゃん……!?」
「『神隠しの踊り子』か。その力も研究対象として興味深くはあるが……」
言葉を切った万野の掌上に浮かぶ岩が、次の瞬間時計のように円を描きながら十二個にまで増殖していく。
「私は今、そこの男に用がある。邪魔をすると言うなら消えてもらおう」
万野が片腕を大きく横薙ぎに振るう。増殖した岩が朔羅へ向かって次々と飛来してくる。炎の尾を引き突撃してくるその様はさながら隕石のようであった。
鞘上を護る為に飛び出した手前、これを避けるという選択肢は朔羅にはなかった。かといって四大元素に通じていない朔羅には相殺する術はない。手に構える処刑鎌で全てを打ち払うしか手段はあるまい。
幸い、なぎさも雷弾による狙撃で援護をしてくれている。それでも撃ち落とせたのは僅かに三つだが、この連射速度と命中精度の高さには感謝してもし切れない。朔羅は処刑鎌を振り回して隕石を弾く。
個数にして九の隕石を打ち払うのは至難の業と言えた。同時に飛来するそれらを、ほぼ一撃で仕留めなければならないからだ。朔羅は身体強化の魔法を瞬間的に最大出力で行使した。これによりほんの一瞬、超人級の速度を得た朔羅は幾度も処刑鎌を返し全ての隕石を弾き落とした。
身体強化を通常の出力に戻した瞬間、朔羅の身体に想像以上の脱力感が襲い掛かる。
この、隙を突かれた。
万野は再び隕石の円――さしずめ隕石陣と言った所か――を発動させる。再度襲い来る隕石陣を前に、朔羅には為す術もなかった。
「朔羅ちゃん!」
轟、と熱風が朔羅の肌を嬲った。朔羅の目の前に広がる炎の壁が、隕石陣を次々と融解させていく。その悉くを焼き払った焔は立ち消え、炎の翼をまとっていた絹枝の姿が現れる。
だが万野は攻撃の手を止めた訳ではない。更に隕石陣を発動させた彼は絹枝に向けてそれを放つ。今度こそこれを止める手立てはない。最大出力を賭して隕石陣を阻んだ反動により身体が言う事を聞かないのだ。
「絹枝! 朔羅! 避けて!!」
なりふり構わず叫ぶなぎさの声が耳朶を打つが、二人が身動きを取るよりも早く隕石陣は彼女らの身体を穿つだろう。
絶体絶命の窮地。
思わず目を瞑った朔羅は、前方から男の呻き声が聞こえてその目を開いた。
そこには、両腕を大きく広げて隕石陣を全身に受けて立つ鞘上の姿があった。
「……そうさ。俺は自分を捨て、娘の前から消えた最低のクソ親父さ。だがな、だからこそ俺は娘を、絹枝を守り通さなきゃならねぇんだよ……!!」
「い……。いやあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
最初から最後まで娘を、絹枝を守ろうとしていただけだ。今も身を挺して、命を賭して絹枝の身を守った。
ただそれだけなのに。例え絹枝を忌むべき実験の果てに生み出した元凶であろうと、ただひたすら絹枝を守り抜こうとした紛れもない父親がどうしてこんな紛い物の形だけの父親の前で命を散らさなければならないのか――!
倒れ伏した鞘上を前に、万野は高らかに哄笑を上げた。
「はははははははははは!! 無様だ、無様だよ鞘上弦一郎! 私の勝ちだ!」
彼は言葉を切ると感慨深げに息を吐く。
「――そう、私は勝ちたかった。貴様と言う常に私の一歩先に居る存在が妬ましくて仕方がなかったのだよ。貴様への劣等感だけが私の原動力だった。ひたすらに力を求めてここまで来たが……。さて、これからどうするか」
万野は振り返る。その視線の先には、この場にそぐわない安らかな寝息を立てる樹理の姿があった。
「力、か。……ならば、その究極を目指すしかあるまい。それこそ私のような研究者の成れの果てには相応しい末路だ」
再びこちらへ向き直る万野は、絹枝に狂気じみた双眸を向ける。
「さあ、その眼を渡してもらおうか鞘上絹枝。右と左、両の千里眼が揃ってやっと、我が娘は究極の力を持つ魔法使いになれる」
「な――にが」
踏み出す。全力で振り回す処刑鎌が魔法障壁に阻まれながらも返す刃で更に斬り付ける。それでも弾かれ、床に転がされたが立ち上がり、朔羅は万野を睨み付ける。
「何が力だ……。そんな、そんな下らないものの為に絹枝ちゃんのお父さんを殺して、樹理ちゃんを利用しようとして――ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
朔羅はもう一度斬りかかる。何度阻まれようが、どれだけ傷付けられようが知った事か。全力を以って叩き伏せる。斬り殺す。『神隠しの踊り子』の力だって使っても構わない。こんな男、人間でも何でもない。どこにでも消えてしまえ――。
だが朔羅に残された力では万野に刃が届くどころか魔法障壁に傷一つ付けられない。前日までの消耗が、朔羅の戦闘能力を想像以上に低下させていた。激昂し切った朔羅はそんな事実にも目を背けてがむしゃらに斬り掛かり続ける。
再び弾かれた朔羅は、震える足で立ち上がり自身の身体の状態など考慮せず処刑鎌を振りかぶる。
「朔羅! もう、もうやめて――!」
「だとよ」
なぎさの制止の声も聞こえない振りをして床を蹴ろうとした朔羅の腕を、誰かが掴んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます