Chapter 5-5
新しく医師として『ガーデン』に配属されたという彼は、
瞬間、樹理の左目に激痛が走った。目の前に立つ万野という男の全てが、樹理の脳裡に走馬灯のように駆け巡る。
樹理は瞬時に理解した。この万野慎吾という男が、自分と言う存在を作った父親であること。母親である魔法使い、赤羽サツキのこと。ミステリアスアイ・プロジェクトと呼ばれる計画の事。
「理解したか?」
感動の対面、などという物では決してない。その証拠に蹲る樹理を見下ろす瞳は冷ややかで、とても実の娘に向けるような視線と声色ではなかった。
樹理は左目の痛みにも構わず、胸の奥からこみ上げてくる激情のままに声を荒げた。
「分かったよ……。あんたが、あんたたちがっ!!」
ミステリアスアイ・プロジェクト。ミステリアスアイと呼ばれる大魔法使い、赤羽サツキの持つ千里眼を量産、強化するという目的の為に発足した計画だった。
その方法は極めて単純、赤羽サツキの子供を大量に作るというものだ。これにサツキ本人は自身の卵子を提供するのみでその他一切の関与をしなかったが、計画は問題なく進行した。
計画への賛同者は多かった。千里眼と、赤羽の血を自身の血筋に招き入れられるというのは、魔法使いにとって喉から手が出る程の魅力を持っていたのだ。
魔力回路とは何の下準備もなく一個人の努力だけで完成させられるものではない。魔法使いは子を成し、代を継ぎながら自身の血筋に流れる魔力回路を作り上げていく。
五大英雄である大魔法使い、イリス・ウィザーズも赤羽サツキも、魔法使いとして名の知れた名家の出だ。
プロジェクトは彼らに多額の資金を要求していたが、そんなものは先祖代々育まれてきた魔力回路が飛躍的に完成度を増す代償としてははした金に過ぎなかった。
かくして、交配させる為の精子が集められたが、結局それが成就したのはたったの二人だった。鞘上絹枝と、万野樹理。いや、むしろ二人も成功してしまったのが不幸の始まりだったのかもしれない。
他にも誕生した者は数人いたが、その全員が自身の持つ魔力回路の力に耐え切れず死んでいった。それもただ死んだだけには留まらない。ショートし、燃え尽きていく回路のように発火する子供たちは研究施設を焼き尽くしていった。
プロジェクトの研究施設は崩壊したが、絹枝と樹理はある一人の男に救助され一命を取り留めた。
そして今、絹枝と樹理の行方を突き止めた万野は医師に成りすまして『ガーデン』へと潜入を成功させたのだ。
「あんたたちが、私とお姉ちゃんをこんな風にしたのか……っ!!」
樹理は痛みに震えながらも万野へ殴り掛かる。初めから自分たちは実験の道具として作られた存在だった。許せない。自分たち姉妹がこれまで苦しみながら生きてきたのは全て、目の前にいる男のせいならば。
だがその拳はあっけなく万野の手中に収まる。樹理の拳を難無く受け止めた万野は、樹理を抱き寄せて口付けた。
樹理の口内に、何か硬い物が押し込まれる。ざらつく感触の固形物が何かを察する前に、樹理はそれを嚥下してしまう。
途端に樹理は脳が溶けてしまいそうな感覚に呑まれてその場に膝を付いてしまった。何も考えられない。頭が真っ白になっていく。それはどこか快感のようでもあった。
「私の専門は魔法薬学でな。お前も、ここにいる能力者たちも、私の意のままに操ることなど造作もない」
万野はへたり込む樹理の腕を掴み、立ち上がらせる。
「私に付いて来い、娘よ。お前にはもっと愉しい事を教えてやろう」
※ ※ ※
「今の、私た……ち……っ!」
突然、樹理は頭を抱えてその場に
「時間切れだ」
不意に男の声が聞こえた。朔羅たちはその、まるで感情のない冷徹な声のした方を見る。屋上のドアの前に、一人の男が立っていた。
「万野、慎吾……!」
絹枝は彼を睨んで、その名を
「万野って、もしかして……」
「この人が、万野さんの父親……!」
万野は突如として現れた彼に驚愕している朔羅たちを気に留めようともせず、樹理の元へ歩み寄ろうとする。
だがそんな彼の進路を阻むべく、絹枝が既に駆け出していた。その背に炎の翼を纏い、床を蹴り、万野へと空を駆ける。
焔と化した拳を万野へと叩き付ける。彼を焼き尽くすには充分すぎる火力を伴った一撃は、しかし、万野の眼前で止まっていた。何もない虚空で、だが絹枝の拳はそこから先へと進む事を許されずに停止している。
いや、拡散する焔の奔流がそれを覆い隠してしまっているが、万野の前には確かに、何か壁のようなものが浮かび上がっている。
「この程度か、鞘上絹枝。やはり貴様は私には必要ない」
弾き飛ばされ、絹枝は翼を消失させて落下する。限界だった。歯噛みして万野を睨む絹枝はもう自力で身を起こすのも不可能だった。
万野は絹枝には目もくれず、樹理へと歩を進める。
朔羅となぎさは視線を合わせ、頷き合う。彼が樹理を連れていくつもりであるのは一目瞭然だ。絹枝の為にも、絶対に阻止しなければならない。
なぎさが電撃を走らせ、万野へ仕掛ける。それは万野の眼前で掻き消されたが、続いて朔羅が鎌を振りかぶりながら迫る。
「連れてなんて、行かせない!」
攻撃を仕掛ける、その寸前で朔羅は素早く万野の背後へ回り込んだ。振り下ろす処刑鎌の必殺の一撃は確実に万野に届く。
――はずだった。
「無駄だ。貴様たちでは私の編み上げたこれを越える事はできん」
それはまさしく盾であった。
朔羅の処刑鎌と交差し、火花を散らしながらその全容が姿を現していた。万野の周囲を取り囲むように、幾重もの魔方陣が連なり、展開されている。前方に四、左右後方及び頭上に三、という布陣で配置されたそれは彼をあらゆる攻撃から護る最高級の魔法障壁だった。
絹枝の千里眼でも存在すら看破できなかった程の代物に、朔羅が太刀打ち出来得る筈もなく弾き飛ばされる。
壁に叩き付けられ、朔羅の脳がぐらりと揺さぶられる。打ちどころが悪かったのか、視界が霞み平衡感覚がおかしくなる。これでは立つことすらままならない。
「待ちなさい!」
なぎさが追撃を仕掛ける。だがそれも弾かれ、あろう事か彼女の電撃がなぎさ自身を襲う。
朔羅たちの妨害も虚しく、万野は樹理の腕を掴む。痛みに呻く樹理だったが、その口が開く。
「離せ……。離せよ、クソ親父!」
樹理は万野の手を振り払い、鉈を持って斬り掛かる。それは案の定弾かれ、樹理の身体も吹き飛ばされてしまうものの、彼女は受け身を取って立ち上がる。
「ありがとう、お姉ちゃん。……今の私たちに、こんな人は必要ない!」
鉈を手に再び斬り掛かる樹理だったが、万野の魔法障壁は苦も無くそれを受け止める。万野の伸ばした手が、樹理の腕を再び掴んだ。
そのまま彼と樹理の身体は、屋上から消えてしまった。
「そん、な……」
朔羅の意識は、悔しさに歯噛みする間もなく失われていった。
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