Chapter 5-2

 それは突如として巻き起こった。


 爆音。同時に警報が施設内に鳴り響く。この時間は確か、樹理がカリキュラムを受けている最中だ。まさか彼女の身に何か起こったのではないだろうか。そう思い、走り出そうとしたのも束の間、今度は別の方角から再び爆音が絹枝の鼓膜を震わせる。


 もう訳が分からなかった。施設内が破壊されたものであろう爆音は最早絶えず鳴り響き出し、絹枝は混乱の極致にあった。とにかく今は樹理の無事を確かめなければ。ただそれだけを胸に、絹枝は揺れる施設内をひたすらに駆け抜けた。


「樹理!」


 研究室まで辿り着いた絹枝は、開口一番に妹の名を呼んだ。

 絹枝の胸に安堵が広がる。室内には樹理の姿があった。部屋の内部は破壊されて見る影もなくなってしまっているが、どうやら無事らしい。


 だがそこまでだった。絹枝の視線は樹理が何故か手にしている鉈へと移る。女性が持つには余りに不釣り合いな大振りの刃物の先端からは、紅い雫が、ぽたり、ぽたりと音を立てて、滴り落ちている。


 周囲に目を配る。瓦礫に埋もれる研究員たちは皆、四肢を斬り刻まれ、頭部を叩き割られ、脳漿のうしょうさらけ出して絶命している。余りに凄惨せいさんな光景を前に、それがどうやって引き起こされたかを想像するのは容易だった。


 絹枝は震える声で、何とかもう一度呼びかけるのが精一杯だった。


「樹理……?」


 ゆらり、と樹理が振り返る。いや、そこにいたのはもう、絹枝の知る妹ではなかった。人の命など何とも思っていない、ただの殺人鬼が絹枝を視界に捉える。


 瞬間、絹枝の右目に激痛が走る。『ガーデン』内部で今まさに行われている、能力者たちが研究員を皆殺しにする惨殺映像が彼女の眼にまざまざと見せ付けられる。


 胃の中の物を全て吐き出すまで時間はかからなかった。胃液が喉を焼くまで何もかもをも吐き出し切って尚、右目の痛みは留まる所を知らず絹枝を苦しめる。


 だが絹枝には全てが視えた。この能力者たちの反乱も、それを引き起こした張本人も。


「鞘上絹枝。お前は必要ない」


 絹枝のかたわらに立つ気配があった。見上げれば、そこにいたのはあの新しく配属された医師だった。彼の正体も既に視えている。


 万野慎吾。医師として『ガーデン』へ潜り込み、樹理たちにこの反乱を促した張本人であり、樹理の実の父親であった。


     ※     ※     ※


 それからどうやって殺人狂と化した妹から逃げ切ったのか、もう覚えていない程ただ必死に逃走を続けて。


 気付けば、絹枝はベッドの上に横たわっていた。


 知らない部屋だった。何気なく見渡す内に右目の痛みがない事に気付くと、絹枝はナースコールを探して枕元を探る。だがどこにもそんなものがないと知り、絹枝は気を失う前の光景が夢ではないと実感した。


 しばらくして、部屋のドアが開き一匹の猫が入ってきた。


「気が付いたか」


 しゃべる猫など初めて見た。だが驚く間もなく、猫はベッド脇の椅子に飛び乗る。


「まずは自己紹介をしよう。私はシオン。シオン老師と呼ばれているよ。よろしく、鞘上絹枝」

「……どうして、知ってるんですか」


 見ず知らずの人間が自分の名前を知っているなど『ガーデン』では当然だった。だがここは既に『ガーデン』ではないし、彼女も研究員ではない。絹枝に対して害があるようには感じないが、警戒せざるを得ない。


 故意にやったのだろう。シオン老師は絹枝が名乗る前から彼女の名前を出したことを悪びれる様子もなく、問い返す。


「赤羽サツキという人を知っているかね」


 絹枝は首を横に振る。シオン老師はそのまま続けた。


「君の母親の名前だ。同時に彼女は私の師と呼ぶべき人でもある。私は彼女の弟――つまり君の叔父に当たる人物から君の世話を頼まれたという訳だ。君には説明の必要はないかもしれないが、な」


 シオン老師は絹枝の眼を見る。どうやら千里眼についても知っているらしい。もしかしたら千里眼が自由に使えないのもばれているのかもしれないが、絹枝は何となく「ええ、まあ」と言葉を濁すに留めた。


 老師の言葉に嘘はないように思う。千里眼に由来するこの感覚は絹枝にとって信用に値するものだ。


 だが一つだけ、気になることがある。


「私の母親、一体何者なんですか」

「赤羽サツキはかつて、世界を救った五大英雄の一人さ。『ミステリアスアイ』という二つ名を持つ程の大魔法使いだよ」

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