Chapter5 ありがとう、お姉ちゃん
Chapter 5-1
絹枝が目を覚ました時、そこは自室のベッドの上だった。
「お姉ちゃん!」
見れば、ベッドの脇には彼女を心配そうに見つめる樹理の姿があった。
「樹理……」
「大丈夫? お姉ちゃん、またカリキュラムの途中で倒れちゃって……」
酷く
樹理がナースコールを鳴らすと、即座に医療班が絹枝の部屋を訪れて検査を始めた。ここ『ガーデン』では当たり前の光景だった。
特殊能力研究開発施設『ガーデン』。その正式名称ですら一部の人間しか知らないこの施設では超能力者の研究が行われており、絹枝と樹理のようにその素養を持つと目されている者たちが、被験体として共同生活を送っている。
「脳波、血圧、共に異常ありません。正常値を示しています」
頭部にセットされたヘルメット状の脳波測定器の向こう側から、検査結果を観測していた者の無機質な声が聞こえる。そう。異常などない。薄れる意識の中、あれほどまでに痛んでいた右目にはもう痛みは残っていなかった。
医療班のリーダーである医師から念の為に安静にしておくよう言われ、絹枝はベッドに身体を寝かせたまま樹理と向き合う。
「樹理、ごめんね。心配、掛けちゃって……」
「ううん、お姉ちゃんが大丈夫なら私は平気だよ」
消え入りそうな絹枝の謝罪に、樹理は首を横に振って返す。この同い年の妹は姉が無事であった事に心底安堵している様子であった。
「この間、翔が倒れたまま死んじゃったでしょ? だからお姉ちゃんまで死んじゃったらって思ったら私、すごく不安で……」
この『ガーデン』に集められた被験者は当初、二十人を越えていた。だが研究が進む過程で多くの者がその力を持て余した結果、命を落とし、その人数は既に男子が二人、女子が四人という人数にまで減少してしまっていた。
自分の力を制御しきれなくなった者、『ガーデン』からの脱走を試みた結果処分された者。その末路は様々だったが。
鞘上絹枝と万野樹理。天涯孤独の身である者が多い被験者たちの中で、数少ない血の繋がった姉妹である。苗字が違うのは父親が別々である為だが、そんな事は些細な問題だった。
二人は幼い頃から寝食を共にしてきた紛れもない姉妹であったし、何より二人の持つ能力の特性が彼女らが実の姉妹である事を如実に示していた。
千里眼。ここではクレアボイアンスと称した方が通りがいいその能力を、絹枝は右目に、樹理は左目にそれぞれ宿している。
通常は両目に宿る力を、二人は何故か分け合うかのように片目にその力を発現していた。この為か二人は他の被験者たちと比べてもより能力の制御に苦心していた。
もちろん、二人が苦しんでいたのはそれが理由ではない。彼女らの力は魔法と呼ばれる代物であり、彼女らが身に宿す魔力回路の制御を学ばなければ千里眼を意のままに操る事は不可能だったのだ。
彼女らは千里眼によって自身が超能力者とは別の存在、魔法使いである事を理解していたが、同時にそれを知られれば超能力者ではない自分たちが処分されるであろうとも理解してしまっていた。
惜しむらくは、千里眼さえ自由に使えたのなら、彼女らがその制御法を垣間見るのも容易であったことだろう。
何にせよ、こうして絹枝が暴走する千里眼に振り回された挙句気を失うのは今に始まった事ではない。絹枝も樹理も、幾度となく自身の力を制御できずに倒れていた。
特に性質上の問題なのか、樹理に比べて絹枝の暴走の頻度は多かった。酷い時は四六時中、痛む右目を抱えて一日を過ごさなければならない時もあった。
「私、大丈夫だよ」
絹枝の言葉に、安心したせいか樹理の目から零れるものがあった。
絹枝は手を伸ばしてそれを拭い取ってやった。
※ ※ ※
その日、新しく配属された医師を見た時から、絹枝は嫌な予感を消し去ることができずにいた。千里眼のお陰か勘が鋭い絹枝は、彼が招かれざる客である事を既に悟っていた。
四十代くらいの痩せこけた男だ。その風貌は医師と言うより、他の研究者たちより余程それらしいくらいであった。彼の診察は特に怪しむようなものではなかったが、それでも絹枝の疑心は消えなかった。
この眼が自由に使えたら。この時ほどそう思わずにいられなかったことはない。
「お姉ちゃん……」
夜、絹枝がベッドに横になっていると、そのかたわらまで樹理がやって来ていた。
「樹理?」
絹枝が問うと、樹理は困ったようにその表情を歪ませる。一体どうしたと言うのか。やはり彼女もあの医師が気になるのだろうか。
「一緒に、寝てもいい?」
なんだ、そんなことか。絹枝は快諾し、布団の中に妹を招き入れた。嬉しそうにベッドに入り込んできた樹理の身体を、絹枝は抱き留めた。
こうして二人で寄り添って寝るのはいつ以来だろう。絹枝はもう思い出せないくらい幼い頃はしょっちゅう、こうして樹理のために添い寝をしていたのを思い出して思わず笑みを零した。
千里眼のせいで視たくもないものを視てしまうことから、次第に対人関係に臆病になっていった絹枝。絹枝よりも能力の暴走が少ないためか快活だが、実はやはり臆病で、絹枝以外にはあまり心を開いていない樹理。
きっと私たちはこうして生きていくしかない。この閉ざされた世界の中で、二人で寄り添って生きていくしかないのだ。
「お姉、ちゃん」
胸の中で、樹理が不安げに絹枝を呼ぶ。だが彼女は首を横に振った。
「……ううん、何でもない。おやすみ、お姉ちゃん」
「おやすみ、樹理」
この時、暴走でも何でもいい、その眼に真実が視えていたなら。絹枝は思い返す度にそう願う。
きっと樹理は、大切な妹は、臆病で甘えん坊なままの彼女でいてくれたのかもしれない。
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