Chapter 1-3

 あれから。終焉の魔神が再誕してから一週間が過ぎていた。

 それからというもの、風が凪いでいるかのように平凡な日々が続いていた。


 朔羅たちの学校はゆるやかな坂の上にある。坂の下まで降りてこれば、朝の交差点まで辿り着く。この辺りは学校近くの通学路という事もあってか、立派な並木道になっている。


「もうすぐ六月かぁ」


 あと一年足らずで高校生活も終わりを迎える。朔羅もなぎさも進学を決めていたが、この街からは離れる事になる。卒業すればこれまで一緒だったクラスメイトたちと会える機会はほぼなくなるだろう。


 だが朔羅は感傷に浸るわけでもなく、なぎさに笑顔を向けた。


「それじゃあ、めいっぱい楽しまないとねっ」


 やがてベッドタウンの片隅に、周囲の時代から取り残されたかのような古びた看板が見える。『螺旋の環』の入口を潜り、朔羅たちは帰宅した。


「ただい……あれ?」

「開いてる……?」

「あ……。おかえり、なさい」


 帰宅した朔羅たちを出迎えたのは、今日出会ったばかりの少女だった。


「絹枝ちゃん!?」

「まさかのまさかね」

「え、えと……。改めて、よろしくね?」


 目を見開いて呆然としていた絹枝だったが、その表情はやがて柔和な微笑みに変わる。


「うん、よろしくね」


 朔羅となぎさは自室に鞄を置いて、絹枝の手伝いを始めた。ベッドに机、布団に鏡にタンス。やたらと古めかしい、それこそ『螺旋の環』で商品として陳列されているであろう代物ばかりだ。


 どうやらこれらは全て、彼女の母の遺品であるらしい。装飾過多なものも多く、明らかに部屋の容量をオーバーしていた。


 ある程度内装を決めた後は、文字通りの片付けである。部屋に置く物と置かない物を整理して、使わない物を空いている部屋に運んで行く。


 終わった頃には、既に日は沈んでいた。


     ※     ※     ※


 自室に戻って来た朔羅はベッドの上に寝転がった。


「鞘上絹枝ちゃん、か……」


 長い黒髪が艶やかな和風美人でありながら、おっとりとしていてかわいらしい。話すペースも独特で、癒し系というのが朔羅が抱いた絹枝の印象である。まずは普通の友達として、仲良くできたらなと思う。


 ガラッ、と隣の部屋で窓の開く音がした。ベランダに足音が響く。


 絹枝ちゃん? と朔羅は起き上がってみた。五月も半ばを過ぎたがまだ夜は寒い。深夜を回っている今、夜風に当たるのは身体に悪い。声をかけてあげないと、と朔羅も窓を開けてベランダに出る。


「朔羅、ちゃん」


 ベランダは繋がっているので、朔羅は絹枝の元へ歩み寄る事ができた。

 対して絹枝は、心配そうに朔羅を見つめている。


「風邪、引いちゃうよ」


 絹枝の言葉に朔羅は苦笑した。


「それ私が言おうとしたんだけどなぁ」

「ありがとう。でも私、大丈夫だから」


 絹枝は手摺りに手を置いて、夜の街に視線を向ける。何の変哲もない寝静まったベッドタウンがそこに佇んでいる。


「眠れなくて。ちょっと夜風、当たりたくなって」


 ぼんやりと、しかしどこか初めて見るものに対しての憧憬のようなものを秘めた眼差しで、絹枝は街を見つめていた。


 龍伽りゅうかという名のこの街の外観は、朔羅からすればよくある住宅街という印象なのだが。


「珍しいかな、こういうところ」


 え、と絹枝は朔羅に視線を戻した。しばし呆けたように目を瞬いた後、再び街並みを眺めて答える。


「ううん。……ただ、私、初めてなの」


 絹枝の言う初めての真意が朔羅には分からなかったが、きっと今まで絹枝が住んでいたのはとんでもなく都会か、のどかな田舎かどちらかなのだろうなと朔羅は思った。


「絹枝ちゃんがここに来る前はどんなところにいたの?」

「どんな……」


 絹枝は夜空を見上げた。遠い故郷に思いを馳せるかのように、ゆっくりと語り始める。


「森、だった。広いけど、囲まれてて他に何もないような場所。ここみたいに賑やかじゃないけど、みんながいたから楽しかった」


 その頬を一筋の線が伝った。あまりに自然に流れたそれに、朔羅は驚く事もできずにただ彼女を見つめていた。

 絹枝は顔を抑えてそれを拭った。きっと友達の事を思い出したのだろう。


「ごめんね、急に。……朔羅、ちゃんは、ここに来る前どうしてたの?」

「私? 私はね……」


 今度は朔羅が夜空を見上げた。どうやって説明しようかと少し逡巡して、答える。


「私はね、赤羽サツキさんっていう人に拾われてここにきたの。10年くらい前だったかな」

「……そう、なんだ……。ごめんなさい、辛いこと、聞いちゃって」

「ううん。サツキさんのお陰で、なぎさや色んな人に出会えて、一緒に家族として暮らして来れた。本当のお父さんとお母さんはいなくなっちゃったけど、みんながいたからずっと楽しかった。だから別に、辛いと思った事なんかないよ」


 朔羅は手を叩く。


「そうだ! 今度友達も紹介するね!」


 朔羅が両手を叩いて言うと、気まずそうにしていた絹枝も笑みを取り戻す。


「……うん。ありが――」


 だがその瞬間、絹枝は突然、右目を押さえて蹲った。


「絹枝ちゃん!?」

「朔羅、ちゃん……。逃げ……」


 驚いた朔羅が慌てて寄り添うが、絹枝は何かを言い掛けて気を失ってしまった。


     ※     ※     ※


 少女はゆっくりと目を開いた。目の前に広がるのは当然、瞳を閉じる前と同じ光景だ。どこかの大学の研究室、もしくは病院の院長室だろうか。

 病的なまでに白い壁に囲まれた部屋の中には、机の他には棚と来客用のテーブルとソファしかない。ただ、棚に仕舞ってあるのはホルマリン漬けの得体の知れない植物や、やたらと色鮮やかな液体の入った試験管といった異様な物が目立つが。


 少女の見ているものに何もない。だが、少女は左目に残る違和感から、瞬きを繰り返す。ソファに横たわっていた彼女は、身を起こして取り敢えず身体を伸ばす。


「おはよう。見つけたのか?」


 机には男の姿があった。白衣に身を包んだ男の容貌はいかにも神経質そうで、この部屋の主だと一目で分かる。


 男の問いに、少女は彼を睨み付け、そっぽを向いて答える。


「いた。『螺旋の環』って書いてある看板のある所」

「そうか。成程。あそこに逃げ込んでいたか」


 納得する様子の男に、少女はちらと視線を向けて訊ねる。


「知ってるの?」

「ああ。因果なものだな。巡り巡って、結局あそこに辿り着くとは」


 男は深く息を吐く。目を瞑り、押し黙る。少女にはそれが、視える筈のないものを見ようとしているように見えた。


 やがて、男は目を開けて立ち上がる。


「さて、行く準備をしなければな」

「早くした方がいいよ。あっちも気付いてる筈だから」

「と言っても、これ以上逃げる場所などないと思うがね」


 全くその通りだ。忠告を軽くあしらった男の言葉に、少女は苛立ちを募らせながら立ち上がる。

 と、男は棚から何かを取り出して、それを少女に向けてひょいと投げ渡した。


「追加だ。飲んでおけ」


 錠剤の入った瓶だった。少女はそこから二錠を取り出し、そのまま呑み込む。

 瞬間、少女の口許に笑みが零れる。


「――見つけたよ、お姉ちゃん」

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