Chapter 6-4

 足元から立ち上る青白い光。それは紛れもなくラグナロク復活の魔方陣の発動を意味していた。


「な、に……!?」


 沸き立つ炎のような光に双刃の身体が包まれていく。双刃は抵抗しようともがいていたが、光のなかでは手を動かすことさえ満足にいかないらしい。


「チッ、双刃!」


 京太は双刃に向けて手を伸ばす。だが京太の身体は双刃とは逆にその場から引き剥がされていく。まるで光に拒絶されるかのように京太は衝撃で魔方陣の外へ吹き飛ばされた。


「京太!」


 魔方陣の外で戦いの成り行きを見守っていた空が駆け寄ってくる。大丈夫だ。『龍伽』を鞘に納めて答えようとしたところで、大きな地震が京太たちの足元を襲う。


「きゃっ!?」

「空!」


 転びそうになる空の身体をなんとか抱き留めて、支える。


 これは一体……!? 京太は事態を呑み込めず愕然と目を見開いた。そこへ歩み寄るのはシュラだ。どうやらただ唯一、魔方陣のなかはこの地震の振動を免れているらしい。


「ご苦労様でした。扇空寺京太様、天苗双刃君。我が王のシナリオ通り動き。まことにありがとうございます」

「……どういう意味だ」


 京太は低く唸るような声をぶつけながらシュラを睨む。

 見る間に双刃の身体を呑み込む青白い光は大きく膨れ上がっていく。この光景を前にして真意を察せないほど京太は愚鈍ではない。だがシュラの言うシナリオとは果たしてどんなものなのか。


 しかしシュラはまったく意に介した様子もなく答えた。


「天苗双刃という、終焉の魔神再誕のための触媒は、つい今しがた最高のコンディションとなりました。あなたのおかげですよ、扇空寺の鬼」


 フレイは深々と腰を折る。


「てめぇ、最初から双刃を……!」

「分かりませんでしたか? 天苗双刃という存在がどれだけ触媒として素晴らしいかが。人間としての魂を失い、魔を宿しながらもその肉体は人間として保たれている。しかも彼には人間の魂を取り込む能力があり、どんな存在の魂でも受け入れることができる。魔としての力を全開にした彼ほどに適した触媒はそうそうありません。ですので、その力を存分に振るってもらうための舞台を用意させていただきました」


 つまり最初から、双刃を儀式の触媒とするためにシュラは動いていた。空を誘拐したのはは京太と双刃を戦わせるための罠に過ぎず、本来用意された触媒をカムフラージュとして機能していた。シュラは見事、この一件に関わったすべての者を騙し切っていたのだ。



「……はっ。そいつぁ結構」


 しかし京太はさも愉快げに笑って見せた。


「ここまで義ってもんを溝に捨てた野郎は初めてだ。それこそ、呆れて笑うしかねぇくらいにな」


 空、危ねぇから下がってな。京太は一旦空に声をかけ、『龍伽』を構える。この地震のなかで安全な場所などどこにもないだろう。だがここから先、京太の傍にいるよりは離れていた方が余程安全だ。


 気付けば頭上には雷雲が立ち込め、夜の世界は世界は更に昏く淀んでいった。終焉の魔神は復活間近ということか。ならば。


「てめぇを斬って儀式を止める。それがてめぇが今まで散々騙して利用してきた連中への、俺が果たすべき義だ」


 京太の顔に既に笑みはない。ただただ、倒すべき敵の姿を見据えて睨み付けていた。


 京太はシュラへ斬りかかるべく魔方陣のなかへ足を踏み入れようとする。


 だがその瞬間、京太の身体を焼くかのように魔方陣の光が強烈な熱を発し、京太を外へ弾き返す。舐めやがって。京太は舌打ちを禁じ得ない。


「さて、それも私の元まで近付くことができれば、となりますが」


 もはや魔方陣内は京太でさえ寄り付けない強固な結界と化していた。


 『龍伽』を抜くしかないのか。京太は愛刀の鞘を抜き放たんと手をかける。


「どうやら、お喋りが過ぎたようですね」


 しかしその前に、制限時間は訪れた。魔方陣がより強く瞬く光を放ち、空高く燃え上がるかのように立ち上ったのだ。

 絢爛と形容していい光景だった。空へ向かってひたすらに高く伸びる青白い光は死者の魂を天井へ導くための道にすら見える。

 だが周囲の状況が決してそれを神々しいものとは認めなかった。依然として止まらぬ地震、鳴り止まぬ雷が世界の終焉りを予見している。


「さあ、扇空寺の鬼よ。刮目ください。終焉の魔神の再誕です。この世の終わりを間近で見れることをどうぞお悦びください」


 双刃の身体からどす黒い霧のような何かが吹き上がる。それは瞬く間に天高くまでそびえ立ち、巨大な人のシルエットを模った。


 これが、終焉の魔神。あまりに巨大過ぎる姿に京太は歯噛みする。こんなものを相手にしなければならないこともそうだが、儀式を止められなかったのも歯がゆい。


「若様!」


 屋上のドアを開け放ち、紗悠里たちがやってくる。彼女たちも再誕した魔神の姿を見上げて愕然とした。そう、終焉の魔神は再誕したのだ。世界の終焉を止めるためにはもう、奴を倒す以外にない。


 だがこんな巨大な魔をどう倒せばいいというのか。単純に大きいだけならまだしも、その桁外れの魔力はこの場に立っているだけでひしひしと伝わってくる。今や世界を包む地震と雷といった天変地異はこの力の余波に過ぎなかった。


 歯噛みするばかりの京太の近くで、なにかに思い至った声が上がった。水輝だ。どうしたと彼を仰ぎ見る。


「まだチャンスはあるかもしれません。この姿は恐らく、復活したばかりでまだ力を制御できていないんでしょう。魔力が溢れ返り過ぎて、本来の姿を保てないんです。こうして無作為に力の余波が世界を壊し始めているのがなによりの証拠でしょう」

「つまり、逆に倒すなら今しかねぇ、ってことか」


 水輝は頷いた。終焉の魔神は今、本来の姿を取り戻そうと溢れ出る魔力を制御するのに時間を割いているはずだ。シュラは再誕と形容した。要は生まれたての赤ん坊なのだ。終焉の魔神として本来の力を発揮するためには時間がかかる。ならば今こそが奴を倒せる最大の好機だ。


 はっ、と京太は不敵な笑みを湛えた。なにをビビってやがる。じいちゃんとばあちゃんたちはあれを倒したんだ。なら、孫の俺にできねぇ道理はねぇ。それに俺は退魔の頭領だ。あんなどでかい魔を見過ごせるほど日和ってられる立場じゃねぇんだよ。


「棗、空とあやめを頼むぜ! いくぞお前ら!」


 それぞれの返事を背に、京太は駆け出す。京太の前に立ち塞がる魔方陣の防壁を、水輝がディスペルして局部的に無効化する。ただの光の幕と化したそこから、京太たちは魔方陣内部へ突入する。


 内側は既に外とは切り離された別世界と化していた。ビルの屋上だったとは思えないほど広い、漆黒の空間が京太たちの前に現れる。暗闇のなかに無数の光が瞬いて見えるそこは、まさに星々の煌めく宇宙空間のようであった。見上げる先は空間が割れ、魔方陣の外の光景が垣間見えた。その殆どを埋め尽くすのはラグナロクの巨大な影であったが、異常気象に見舞われる世界の姿は見て取れる。


 だが見回してもシュラの姿はどこにもなかった。双刃の姿もなく、触媒となった彼がどうなったかは分かり得ない。鷲澤老さえその姿は見えず、まるで見物人のようにこちらをあざ笑う声だけが聞こえてくる。


 ――呵々! これで世界は変わるぞ! 人の世が終わり、我ら妖の世が始まるのよ!


「ジジイ! どこにいやがる!」


 どこからともなく響いてくる鷲澤老の声は厭に不気味だ。姿を見せぬまま、鷲澤老は言葉を返してくる。


 ――この世界の終焉、じっくりと見物させてもらおうかの。


 高みの見物というわけか。京太ははっ、そいつぁ結構。


 再誕したばかりの魔神は、見る間にその力を撒き散らしている。これでは奴が本来の姿を取り戻すのが先か、暴れ狂う力が世界を終焉らせるのが先か分かったものではない。


 京太は魔神の姿を見上げた。ここからではその姿の頂きを見るのも叶わないほどの巨躯。これを打倒するにはやはり、心臓のような核か、頭部を斬るしかないのだろうが、それには絶望的なまでの物理的な距離を埋める必要がある。


 京太は足に力を込める。距離自体は鬼である京太にとって大した問題ではない。なにせその強靭な脚力はビルの壁を駆け上がるなどという芸当までやってのけるほどだ。この高さを跳躍しきるのは容易い。


「危ない!」


 だが京太が跳躍する前に、魔神は攻撃を加えてきた。黒い水溜りのような弾丸が、雨の如く降り注いできたのだ。京太たちはそれを避け、弾きながらこの攻撃の正体を悟る。魔神の身体からまさしく雲から落ちた水滴が雨となるように、その巨躯を収縮せんとして力を放出し始めたのだ。


 これでは一足飛びの跳躍は諦めるしかない。跳躍中の京太はほぼ無防備だ。避けることは至難の業となり、受け流せばその分跳躍距離を短縮される。


「僕に任せてください」


 名乗り出たのは水輝だ。彼は目を閉じて念じ始めた。すると、京太たちの足元に大気の流れが集まり彼らの身体を浮遊させた。有り体に言えば、風の足場といったところか。


「京太君たちがジャンプした地点にこれを作っていきます。京太君たちはそれを利用して上に上がっていってください」


 京太たちは頷く。水輝は制御のためにこの場に残らなければならない。だが魔法を行使中の水輝は完全に無防備となる。


「紗悠里、お前は水輝の護衛に残れ。会長と朔羅は俺についてきな!」


 護衛役に残すのは、この面子のなかで最も防御に優れた紗悠里だ。紗悠里は畏まりましたと指示を承諾し、水輝の傍に寄る。それに三人分ならば水輝の負担も少しは減るだろう。


 京太たちは水輝の作る風の足場を使い、魔神へと跳躍していく。降り注ぐ黒い雨を斬り落としながら、ひたすらに上を目指す。


 結界の割れた面を抜け、夜空に躍り出る。この辺りまでくるとようやく魔神の頭部が目視できるようになる。降り注ぐ雨も減り、頂きまでは距離以上に近くなったような気がした。


 その時だ。魔神は頭部をもたげ、緩慢な動作でこちらへ向けてきた。


 まずいと直感した瞬間にはもう、魔神はこちらを標的に攻撃を開始する。これまで無作為に垂れ流していた黒弾を、はっきり京太たちに照準を合わせて撃ち出してきたのだ。


 これまで以上に高速で飛来するそれを、京太たちはかろうじて回避する。


「ちっ、完全に俺たちを敵だと思いやがったな!」

「これじゃあ近付けないわよ!」


 分かってる。なぎさに怒鳴り返そうとするも、続く魔神の攻撃を避けるのに手いっぱいだった。

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