Chapter 6-3
かつて扇空寺は四つに分かたれた。鬼としての力を洗練し継承していく扇空寺を本家とし、扇空寺流における三つの型を極限まで昇華するべく三つの分家が生まれたのだ。『炎』の斎木、『霞』の水瀬、『朧』の玖珂。今やそれぞれの型において本家扇空寺流は分家の足元にも及ばない。最も、司る型に特化し過ぎた三家は他の型においては本家に及ばないのだが。
そして玖珂式を操る紗悠里にとって、たとえ相手が元魔とあろうともその攻撃を御し切るのは容易い。フェンリルの猛攻をすべて捌き切り、物理的に躱すことも受け流すのも困難なヨルムンガンドの攻撃は彼が攻撃態勢を取った瞬間を狙って妨害に入る。ヨルムンガンドの技は大がかりで予備動作も大きいぶん隙も多い。更にその凄まじい巨躯はこの廊下の狭さでは存分に振るうことも叶わないだろう。
紗悠里はそこに勝機があると見出していた。まずは紗悠里が盾に徹し、ヨルムンガンドの討伐を狙う。
フェンリルの攻撃は牽制の意味も兼ねてある。彼の攻撃に合わせ、ヨルムンガンドが大技を仕掛けるのが戦略であったが、フェンリルの技がたった一人によって完璧に捌かれているとなっては失策だ。氷柱の乱打は悉く紗悠里によって阻まれる。
朔羅たちは盾を失い隙だらけとなったヨルムンガンドへ向けて駆ける。
水輝の役割はもっぱら牽制と妨害だ。彼の持つ二丁拳銃はそれぞれが風の属性を持ち、水輝の魔力を風弾として撃ち出す。文字通りのエアガンだ。だが音速で空を裂く弾丸の威力は鉛のそれとは比べ物にならない。それでもヨルムンガンドの龍の如き鱗を貫くことは叶わないが、予備動作に入ろうとするヨルムンガンドは弾の乱舞に怯み、それを中断せざるを得ない。
朔羅と棗は水輝の援護を受けながらヨルムンガンドへ突貫する。だがヨルムンガンドとてなにもできないわけではない。大蛇の頭部を持つ彼の鋭敏な牙を以って、迫りくる朔羅と棗に仕掛ける。その巨躯を振り回すことはできないものの、大きく開けた大蛇の口は彼女らを丸ごと呑み込まんとして迫る。
それを防いだのはなぎさだ。矢の連射でヨルムンガンドの攻撃を阻む。矢は命中することこそなかったものの、相手の勢いさえ削げれば充分だ。大きく仰け反ったヨルムンガンドに、朔羅は処刑鎌を大きく振りかざして飛び掛かる。
「弟よ!」
ヨルムンガンドの危機を前にして、フェンリルが吼えた。氷弾の雨を紗悠里に放ちながら、自身は朔羅へと突撃する。
巨大な狼の疾走を前にして朔羅に為す術はない。牙を剥き出しにしたフェンリルは、避けることすらままならない朔羅の身体に喰らい付く。
「朔羅!」
フェンリルの牙が食い込む――その寸前で窮地を救ったのは棗だった。
彼の手にした槍がフェンリルの顎を食い止めていたのだ。
「行け、姐さん!!」
棗の声に飛び出した朔羅の鎌が、ヨルムンガンドの頭部を斬り裂く。これに大蛇はたまらず断末魔の叫び声を上げ、消えた。
まだだ、とフェンリルが反撃を繰り出そうとした瞬間、だが彼の胸に突き刺さる刃があった。
「いいえ、これで終わりです。――往生なさいませ」
紗悠里は刀を引き抜く。血飛沫は黒い霧と化し、フェンリルの身体は弟と同じく霧となって消えていく。
「……ふ、なるほど。今回は我々の敗北だ。だが、これは我らの現世における仮初の姿。また会える日を楽しみにしているぞ」
フェンリルは消えゆくなかで不敵に微笑んだ。
どういうことだと訝しがる紗悠里たちを嘲るかのように、突如ビルを襲う地震が巻き起こる。
「そんな、ヨルムンガンドはもう倒したのに!?」
「これはまさか……!?」
「若様……!」
「若!」
膝を付き、それぞれが驚愕に表情を染める。
この先に京太がいることを知る紗悠里と棗の顔色はむしろ絶望に近い。
「いや、これは我らの勝利かもしれんな。終焉の魔神様の再誕だ。もう会うことは叶わぬかもしれんなこれは――」
フェンリルの姿が消え去る。
地震が収まり、紗悠里と棗はすぐさま駆け出した。彼女の後を追って朔羅たちも続く。
「玖珂さん! もしかして、扇空寺君は……!」
階段を駆け上がるなか、なぎさが紗悠里に問いかける。
「ええ、若様は先に屋上へ向かわれました。ですが、この状況は……」
その先は口にしたくないのだろう。みなが同じことを考えている。唇を噛み締めた紗悠里に追及はない。
「お兄ちゃん……」
沈痛な面持ちで呟き、あやめは立ち止まる。屋上では京太が戦っているらしい。
だが、そんな中で終焉の魔神が再誕しようとしている――!?
「大丈夫だよ、あやめちゃん」
「風代、さん……?」
顔を上げれば、そこには手を差し伸べる朔羅の姿があった。
「京太君なら大丈夫だよ。京太君ってすっごく強いんだよ。こんなところで負けるはずないもん。だから、行こうよあやめちゃん」
朔羅の声は確信に満ち溢れていた。その眼は京太への信頼に満ちている。
「そう、ですよね。……はい、行きましょう!」
あやめは朔羅の手を取って駆け出した。他のみなも、焦りや不安に表情を染めてはいるが、京太への信頼がある。兄を信じる人たちがいる。それを実感するだけであやめは胸が熱くなるのを感じた。私も信じてますよ、お兄ちゃん。
尚も間を置いて襲いくる地震に足を取られながらも、六人は屋上へと急ぐ。
やがて現れた屋上への扉を開ければ、そこには青白く輝く魔方陣と。
天高くそびえるほど巨大な、終焉の魔神の姿があった。
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