Chapter 4-4
結界に包まれた月島ホールディングス本社ビルは完全な異界と化していた。静謐な儀式場であるビルには、結界の効力をディスペルした魔法使いや退魔師以外の者が踏み入るなど不可能だ。まして一般人にはそこが表の世界から隔絶された異界であるなどと認識すらできまい。
『螺旋の環』は堂々と正面から突入する構えだ。幾重もの罠が張り巡らされているのは間違いない。だが今の彼らには、真正面から突破する以外に手はない。
「私も行きます。私のところにも、これが」
あやめが見せてきたのは、朔羅たちが受け取ったのと同じ招待状だった。
朔羅たちは驚きつつも頷いた。彼女も覚悟があってここまで来たのだ。先陣は切ろうと後退はしないだろう。
玄関ホールへの自動ドアはなぜかそのままの機能を保っていた。オートで開いたガラス戸を潜れば、彼らの到来を待ち構えていたかのように独りでに明かりが灯っていく。
それだけではなかった。足を踏み入れたビル内は、次々に禍々しい姿へと変貌していく。光の色は薄く、装飾は魔的に。リノリウムの床は硬質な石畳へ。現代的な建物内は見る間に中世の古城といった風体に様変わりしてしまった。
薄闇のなか、青白い光が瞬いた。床に現れた円が光を放ったのだ。魔法使いたる『螺旋の環』の面々はそれが召喚の魔方陣であると一目で看破した。
魔方陣は何条もの円を床に刻み、その悉くから醜く蠢くものが這い上がってくる。黒いコールタールのような塊は地上に現れると同時に形を変え、四本足の獣のような姿を象る。『魔』だ。差し詰めこの魔城を守る獰猛な番犬といったところか。
無数の魔が侵入者を排除するべく唸り声を上げながら周囲を取り囲み始めた。
※ ※ ※
城内を駆ける。もはやここはビルとは呼べない。石造りの建物内に敷かれた赤い絨毯の上を、更に上階を目指して疾駆する。廊下は一本道で障害物の類はなに一つ配置されていない。
最初の包囲網を突破した後も、魔の軍勢はひっきりなしに襲い掛かってくる。
整えられた戦場に、本能を剥き出しにした魔どもは歓喜の咆哮をあげる。
だが障害がないのはこちらとて同じ。『螺旋の環』は持てる力の全てを以って迫りくる怒涛の軍勢を排除して進む。
あやめはその戦いを後ろで見守るだけで充分だった。
なぎさの放つ電撃の矢が手前の魔を屠り、水輝の銃から発射される魔弾がその背後に構えていた魔を撃ち、残された魔の首を朔羅の鎌が狩り取る。完璧な連携による戦いにおいて、あやめが手を挟む隙などどこにもなかったのだ。
あやめの役割はただ、その階層における戦闘を終えた彼女らの僅かな治癒のみであった。
だが、限界は訪れつつあった。
「くっ……!」
水輝の銃弾を受け、尚も怯まず襲い来る一匹の魔があった。なぎさの援護を受け対処は叶ったものの、たった一体を相手にこれだけの消耗は大きい。
朔羅が対峙する人型の魔も相当な手練れであった。朔羅の鎌を受け止め反撃に出る。炎に包まれた腕が朔羅の頭部に掴みかからんとしたとき、水輝の放った弾丸がそれを抑制した。その隙を突いて朔羅は鎌を振るう。四肢を切断された魔は塵となって消え失せた。
「召喚される魔のランクが上がってきてるわね」
「ええ。恐らくはこの先、元魔クラスが現れる可能性も高いでしょうね」
元魔とは即ち、遥か昔、神話の時代より世界に存在する悪魔たちのことだ。これまで倒してきた魔どもとは比べ物にならない絶大な力を持つが、そう簡単にこの世界に現れることはできない。
だが少なくとも、鷲澤老のそばには元魔に匹敵する力を持つ魔が控えているに違いないだろう。
戦う以外に道はない。なぎさの能力で消耗を癒した朔羅たちは、先を急ぐべく階段を駆け上がった。
途端に、これまでとは違う異質な気配を感じ取る。
――兄者よ、我らの敵はこやつらか?
――そのようだな。人間どもよ、この先に進むことは許さんぞ。
重く、昏い力の気配が朔羅たちの神経を刺激する。廊下の薄闇さえ濃くなったような気がする雰囲気に呑まれそうになり、朔羅は思わず大声を張り上げた。
「誰!?」
朔羅の声に呼応してか、召喚の魔方陣が青白く輝く。数は二つ。気配の主が地獄の底から這い上がるかのように光のなかから顕現する。
片や、白く輝く荘厳な氷原のような毛並を持つ、巨大な狼。
片や、龍のように猛々しい鱗を持つ、先の狼より遥かに巨大な蛇。
「お初にお目にかかる。我が名は元魔フェンリル。ラグナロク様復活の邪魔はさせんぞ、人間ども」
「同じく、元魔ヨルムンガンド。貴様らはここで俺と兄者の前に敗れるがいい」
元魔クラスどころではない。元魔そのものが朔羅たちの前に立ちはだかった。その名乗りが偽りでないことは、そこに在るだけで肌を焼かれそうな存在感が如実に示している。
身構える朔羅たちに対し、先に仕掛けたのはフェンリルだ。その双眸が冷たい氷のような青白い光を放ち、頭上にその巨躯に匹敵する質量を持つ氷柱を形成する。この氷柱をあろうことか、フェンリルは機関銃のように連射してみせた。
絨毯爆撃の如き猛攻に、だが朔羅たちはあくまで冷静に対処する。廊下を縦横無尽に駆け回りながら氷柱を避け、反撃の目を窺う。朔羅に至っては華麗なステップを駆使してフェンリルの前に躍り出ると、鎌を大きく振りかぶった。
「そうはいかんぞ!」
だが吼えたのはヨルムンガンドである。彼が咆哮を上げると、廊下全体が波打つかのように振動した。この大地震に人間の脚力は抵抗する術を持たない。無様に転がるしかない朔羅たちを、ヨルムンガンドは更に畳み掛ける。
津波だ。大きくうねりを伴って、廊下の奥から津波が押し寄せてくる。暴れ狂う水の奔流は瞬く間に朔羅たちを呑み込んでしまう。
これを凍り付かせたのはフェンリルだ。フェンリルはその能力で朔羅たちを呑み込んだ廊下の海を氷河に変えた。
二柱はともに咆哮を上げる。氷を自在に操るフェンリルと、大地を揺るがすヨルムンガンドのそれは氷河を爆散させ、木っ端微塵に散った氷の破片が舞う廊下に朔羅たちは倒れ伏した。
圧倒的に過ぎる。元魔の力とはこれほどまでに強大なのか。
絶望に打ちひしがれる朔羅たちへとどめを刺すべく、フェンリルは氷柱を放つ。
全員が敗北と、その先の死を覚悟したその瞬間、
――扇空寺流、玖珂式『朧蓮華』
一閃が瞬いた。正確には何十という単位の剣戟がたった一瞬の内に繰り出され、フェンリルの攻撃の悉くを打ち払ったのだ。
「紗悠里、さん――?」
現れた紗悠里の姿に全員が目をしばたたいた。彼女がなぜここに……?
その隣には棗の姿もある。
「みなさん、動けますか?」
紗悠里の目配せに、朔羅たちはまともに動かすことも叶わない身体を地面から引き剥がすかのように起こした。彼女らの身体を淡い光が包む。あやめの治癒能力だ。直接触れなければ気休め程度に過ぎないが、確実にダメージは軟化していた。
彼女らの様子に紗悠里は微笑む。だが紗悠里はすぐさまその表情を消し、元魔たちに向き直る。
扇空寺流、楯の型『朧』。扇空寺流において唯一、守りに特化した型である。扇空寺流玖珂式はその型の究極系を目指した派生流派だ。こと魔との戦闘においてのそれは、完璧な防御力を備えた最強の盾と言ってしまっても過言ではない。
「私と棗さんを先頭に、穂叢さんと水輝さんは援護を。風代さんは遊撃をお願いします。あやめ様はお下がりください」
紗悠里の指示通りに陣形が組まれる。紗悠里は刀を手に、二柱の元魔と相対する。
「玖珂紗悠里。参ります」
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