Chapter 2-3

 扇空寺家の朝は早い。それは寝るのが遅い京太であってもだ。

 京太が目覚めたのは朝の五時前。身を起こして伸びをする。


 すると、襖の向こうから声がした。


「若様、お目覚めですか?」

「おう」


 襖が開き、女中の格好をした少女が姿を見せる。


「おはようございます、若様」

「おはよう、紗悠里」


 京太は着替えて、紗悠里の淹れてきた茶を口にする。そのまま毎日の朝のルーティーンのために部屋を出て、離れの道場に向かう。


 祖父・辰真がこの世を去ってからというもの、稽古の相手はもっぱら紗悠里が務めてくれている。今日は学校が休みなこともあり、一時間近く打ち合い、汗を流すと部屋へ戻る。


 身支度を終えて居間に向かうと、途中で空と出会う。


「おっはよー、京太ー」

「よう。しっかり寝れたか?」

「うん、ばっちし!」

「紗悠里から朝飯できてるって聞いたか?」

「うん、聞いた聞いた! いやぁ、わざわざ部屋まで呼びに来てもらって、済みませんねぇ」


 そんな話をしながら居間に着くと、そこには既に先客がいた。


「おはよう、扇空寺君、神埼さん」

「うっす」

「おはようございます、なぎささん!」


 京太たちはなぎさの正面に腰かける。今には彼女たち以外の姿はない。家の人間は既にあらかた出払っていた。


「扇空寺君、ありがとう。朝ごはんまで」

「構わねぇよ、会長。それより、そっちのガキは大丈夫かよ」


 見れば、朔羅は食卓に突っ伏して頭が痛いと唸り続けていた。まるで二日酔いのオッサンである。いや、一滴も呑んでいないはずなのだが。いわゆる場酔いというやつか。


「朔羅ちゃん、昨日ははっちゃけてたからねー」


 相変わらず世話の焼ける奴だと肩を竦めながら、京太は朔羅に声を掛ける。


「とりあえず、もうちょいウチで休んでくか? そんなんじゃ帰るのもつれぇだろ」

「うん、そうするー……」

「んじゃあとっとと寝とけ。それでいいかい、会長」

「むしろ私の方からお願いするわ。本当にごめんなさい」

「構わねぇよ」


 頭を下げるなぎさに対し、京太は軽く手を挙げて応える。

 ついでにリモコンを拾い、テレビを付けた。


 やっていたのはこの地方のローカル情報番組だ。天気予報からニュースに変わるところだった。ちなみに今日の天気は晴れらしい。

 交通事故。岐阜の山中で山火事。通り魔殺人。


「うわー、通り魔だって。こわー」

「最近増えてきているみたいね。ウチの学校でも、部活動を制限するかどうか話し合われているようよ」

「なるほどねぇ。そいつぁ結構。早いとこ犯人が捕まるといいがな」

「ねーねー、京太たちでとっちめたりしないの?」

「ああ? そりゃあウチのシマで好き勝手やり始めたらな。でなけりゃ管轄外だ」

「ふーん」


 やがてニュースは、地域のおすすめスポット情報に変わった。


「……クスリの件はなんもなしか」

「なんか言ったー?」

「いや、なんでもねぇよ」


     ※     ※     ※


 二人の男がテーブルを挟んで対談していた。

 片や、和服に身を包んだ禿頭の老人である。そして向かいには燕尾姿の若い西洋人が座る。


 彼らが腰かけているソファは豪奢ごうしゃなしつらえであり、広々とした室内には様々な調度品が並んでいた。

 部屋の主の趣味だろうか。その意匠には蛇をモチーフにしたものが多い。


 西洋人は手にしていたアタッシュケースをテーブルの上に置く。


「では、今回の分です。お納めください」

「ふむ……」


 老人はケースを開け、中身を検める。

 中に入っていたのは、透明の袋に小分けにされた白い粉である。それがケースいっぱいに敷き詰められていた。


「確かに。代金はこれで足りるかの?」


 老人は裾から札束を取り出し、西洋人の前に置く。それを手に取った西洋人は、サラッと枚数を検めて懐に仕舞う。


「それで、どうされるのです?」

「はて、なんのことかの」

「ご冗談を。扇空寺との全面戦争についてですよ。受けるのですか?」


 その問いに、老人は呵々と笑う。

 立ち上がり、テーブルの脇に置かれた調度品へ近寄る。


 それは蛇の銅像が絡みつくようにあしらわれた、水晶玉だった。


「そうじゃな……。準備はできておるよ、とだけ言っておこうかの」


 水晶玉を撫でる。するとその中に一人の少女の姿が映し出された。


「なるほど。ではその件、我々にも一枚噛ませていただけませんか?」

「ほう?」

「なに。こちらにはかの扇空寺の鬼に因縁のある者もおりましてね」


 西洋人の男は背中越しに背後の空間へ視線を向けた。

 そこには誰もいない、薄暗い空間があるのみである。

 しかしその陰の中から、一人の少年が静かに姿を現した。


「お主は……。そうか、なるほどのう」

「いかがですか、鷲澤わしざわ様」


 鷲澤と呼ばれた老人は、部屋のドアの方へと歩きだした。


「いいじゃろう。好きにするがよい。じゃが、邪魔をすれば。……わかっておるな?」


 最後にその双眸が二人を射抜く。ややあって、鷲澤老は部屋を出ていった。


 しばらくして少年が大きく息を吐く。


「ああ、怖い怖い。ちょっとでもビビってたら殺されてたね、ありゃ」

「さすがは鷲澤おう。老いてなお健在ということですか」


 西洋人の男は口元に笑みをたたえて頷く。


「さて、それで次はどう動くんだい? 楽しませてくれるんだろうな、『黒翼機関』のエキスパートさん」


 西洋人の男は薄く微笑むだけだった。


 彼の視線の先、窓の外では首輪を付けた烏が塀の上から飛び去っていった。

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