盗まれちゃったら困るんだもの
硝水
第1話
彼女は陽の当たる窓際の席で、いつも汚い人形を抱えて重そうな本を読んでいた。
「あの人、すっごい綺麗だよね」
「ほんとお人形さんみたい」
英語の問題集で顔を隠しながら彼女を盗み見るのも、いつもの私達だった。田舎のぼろくさい電車に似合わない彼女はもっぱら憧憬の対象になっていて、彼女の目撃情報だけを書き連ねるチャットとかもある。私は問題集を盾にしたまま、例のチャットに『青い服、金髪縦ロール、なんかデカい頭のやつ』と書き込んだ。
「全然伝わらないっちゅーの」
通知を見たのか、苦笑する有希は何かのアプリを立ち上げて彼女に向ける。
「ちょっと、盗撮はまずいでしょ」
「いーじゃん、仲間内で崇めるだけだし」
「犯罪だって」
「バレなきゃいいっしょ」
車内アナウンスが最寄駅の名前を告げる。
「消しなよ」
「はいはい、また明日ね」
有希はひらひらと手を振って、空いた席に腰掛けた。ぽこんと通知が鳴る。チャットにはさっきの写真が上がっている。
「消しなったら……」
有希は次の日学校に来なかった。
その次の日も来なかった。
帰り道に有希の家を訪ねると、三日前から帰ってきていないらしく、捜索願を出したところだという。メッセージにも既読がつかないし、電話にも出ない。咎めたせいで避けられているのかと思っていたが。
「電車がまいります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください」
冷房に効いた車両に乗り込む。ボックス席の空いたところに腰掛けた。
「お向かい、よろしくて」
「あ、はい、どうぞ」
慌てて顔を上げると、彼女だった。頭に大きなリボンをつけて、フリフリの黒いワンピース。こんなに間近で見るのは初めてだった。やっぱり左手には薄汚れた人形を抱いている。
「お友達が遠くへ引越してしまったの」
「え、はぁ、そうなんですか」
彼女はビー玉のように透きとおった瞳を瞬きもせず見開いていて、口はかたく引き結んだままだ。
「あの」
「腹話術? じょうずでしょう」
「はい、お上手です、本当に喋ってないみたい」
「ねえ、お友達になってくださらない」
「お、お友達ですか……」
依然としてピクリともしない、その整った顔が恐ろしく感じて視線を落とす。煤を被ったような人形は、私と、同じ、制服を着ていて。手に持った英語の問題集には『有沢有希』と書いてあった。
車内アナウンスが最寄駅の名前を告げる。彼女の碧い瞳は、私を縫い止めるように動かない。
盗まれちゃったら困るんだもの 硝水 @yata3desu
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