最終話 聖誕の記

「『悲しみに沈んではならない。泣いてはならない。涙をながしてはならない』」


 そんなシスターの声が聞こえた気がして、ワタクシは自らを再起動させました。


「おう、目が覚めたか」


 聞き馴染みのある声がした方を向くと、テッドがいました。あちこちから綿の飛び出た丸椅子に腰かけて、油にまみれた工具や機械部品に囲まれながら。


 ここはワタクシも何度か修理に訪れた、テッドの作業場でした。


「当機は、シスターはどうなったのですか?」


 状況が呑み込めず、ワタクシは慌ててたずねました。


「シスターは死んだよ。遺体は修道院の庭に埋葬しておいた。お前のメモリーのおかげで事件の一部始終がわかったよ。あの武装勢力のテロリストたちは、今政府軍が行方を追っている。まぁ婆さん一人殺した兵士なんて、本気で捜索したりはしないだろうがな。そしてズタボロになったお前は俺の手によって、新しい身体で生まれ変わった、というわけだ」


「新しい身体?」


 そう言われて、ようやくワタクシはこれまでの自分の身体感覚が、一新されていることに気づいたのです。まるで枷が外れたように、各関節がスムーズに動くのがわかります。眼前に腕を持っていくと、やわらかな白い樹脂素材に包まれた手が付いていました。


「お前、シスターと一緒に余った野菜や手芸品を売っていただろ? その売上金と、シスターが入信する前に貯蓄して手を付けてなかった全財産を使って、お前専用の特注ボディを作らせていたのさ。この俺にな。まったく材料をかき集めるのに苦労したぜ」


 苦笑いを浮かべる彼をよそに、ワタクシは横たわっていた作業台から降り、部屋の窓に映った自分を確かめました。


 そこにいたのは、シスターグラシアの修道服に似たボディの、女性型ロボットでした。


「これが、当機ですか」


「そうだ。フランケンシュタインからお姫様、いや立派な修道士へ大変身だ」


 人で例えれば夢うつつの気分で、人間そっくりに造形された自分の頬に触れてみました。硬いプラスチックであったそこもまた、温かく柔らかい樹脂で包まれていました。それはシスターに触れたときのメモリーを思い起こさせました。


 何もかもが見違えたワタクシでしたが、一つだけ、足りない点を見つけました。


「テッド様、十字架を。当機が身に着けていた十字架を返してください」


 テッドは最初、ワタクシが何を言っているのかわからない様子でしたが、すぐに


「あぁ、これのことか」


 と、傍らに置いてあった十字架のネックレスをくれました。ワタクシはそれを首からぶら下げ、ようやく溜飲が下がりました。


「ありがとうございます。シスターグラシアからの贈り物なので」


「そうか。で、これからどうするんだ? 俺は彼女の遺言通りお前を生まれ変わらせたが、それ以降は知らんぞ」


「シスターの遺した最後の命令を実行します。このボディーが稼働不可能になるまで、シェーファー修道院を存続させます。主への献身に邁進し、そのお言葉に耳を傾き続けます」


「AIロボットのお前がか?」


「そうです。さっそく修道院に戻ろうと思います。今までありがとうございました」


 ワタクシは決然と彼に告げると、作業場のドアへ向かいました。


 しかし退室する寸前、ふと彼にたずねてみたいと思いました。なぜテッド様は、ここまでワタクシとシスターに良くしてくださるのか。


 思い当たる理由はただ一つ。


「テッド様、あなたもシスターグラシアを愛していたのですか?」


 彼はワタクシに背を向けると、そのまま答えました。


「俺は学校に通えなかった。俺に読み書きを教えてくれたのはシスターだった」


 それだけ聞ければ充分でした。ワタクシは頭を下げ、その場を後にしました。彼のすすり泣く声をあとにして。




 修道院はひどい有様でした。窓という窓は割られ、あちこちに弾痕が穿たれています。どうやらこの地域一帯が、政府軍と武装勢力の戦場となっていたようです。戦域は移動したようですが、特に聖堂の荒れ果てようはひどいものでした。台座に飾られていた十字架は根元から折れ、マリア像の胸には大きな穴があけられていました。


 でもワタクシはまず、シスターが埋葬された庭の一角に向かいました。そうして彼女からの使命を実行することを、改めてお伝えしました。


 聖堂に戻ると、工具箱から拝借してきた接着剤で壊れた十字架とマリア像を直しました。そして慣例に則り、昼の祈りを始めたのです。


 しかし、ここである問題に気づきました。シスターが命をかけて洗礼を施してくださった際、ワタクシに洗礼名を付けるまでには至らなかったことを。


 そこでシスターには悪いですが、ワタクシはワタクシ自身で、洗礼名を与えることにさせてもらいました。


「当機は……当機の洗礼名は……」


 シェーファー修道院を守る者として、相応しい名前は一つしかありませんでした。


 当機は、わたくしは――


 ワタクシは、グラシア。


 あのお方の名と職務を継ぎ、聖域を守る役を仰せつかった信徒。


 ワタクシは首から下げた十字架を握りしめ、まぶたを閉じ、主に祈りました。


 天国へ行ったシスター。


 彼女を慕ったテッド。


 会うこと叶わなかった姉妹たち。


 そして内戦に苦しむこの国の平穏を。


 機械の身なればこそ、献身のみにワタクシは生きられます。


 主よ。どうかワタクシの決意を受け入れ、この聖域で生きることをお許しください。アーメン。


 十字を切ったワタクシに、聖母マリアの像は優しく微笑んでおられました。



〈終〉

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アーティフィシャル・セイント 我破 レンジ @wareharenzi

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