第4話 懺悔の記

 シェーファー修道院にやってきて三年目の夏。雲一つない青空がやがて黄昏に染まり、ひと際星の輝く夜空がやってきた日のことでした。


「『〈人の子〉は、失われたものを探し、救うために来たのだ』……」


 いつものように、ワタクシは聖堂でシスターと夜のミサをしていました。その最中、ワタクシの収音センサーが食堂から大きな音がしたのを捉えたのです。どうやらそれは、窓ガラスが破られた音でした。


「シスター、お聞きになりましたか? 食堂から妙な音が」


 ワタクシの問いかけに、シスターグラシアは


「はて、わたくしもすっかり耳が遠くなってしまって……」


 と、困ったように言いました。


「当機が様子を見に行ってきます。その間、聖堂の扉を閉めて用心してください。異常がないかどうか確認したら、すぐに戻ってまいります」


「わかりました。お願いしますね、ロボットさん」


 シスターの傍を離れるのは心配ではありましたが、ワタクシは急いで食堂に向かおうとしました。


 そして聖堂のドアを開けた途端、機関銃を肩からぶら下げた男たちの一団と鉢合わせしたのです。


「あなた方は――」


 言い終わる前に機関銃が火を噴きました。身体のあちこちから火花が散り、為すすべなく倒れ込んでしまいました。各パーツの破損、異常を知らせるアラートが中枢制御装置(CPU)内に響き渡ります。バッテリーの電圧も徐々に下がっていきます。銃撃によって自分が重大な損傷を受けたのは明白でした。まだ稼働できているのは奇跡としか言いようがありません。


「おい、むやみに撃つんじゃない! 政府軍のドローンに気づかれたらどうするんだ!」


 男たちの一人がそう怒鳴るのを聞きました。収音センサーもなんとか機能しているようです。


「仕方ないだろ! 出会い頭にロボットと遭遇したんだぞ!」


「こいつは戦闘用じゃないな。街中をトボトボ歩いてるポンコツどもと一緒だ」


「おい、ターゲットは死んでるのか?」


 男たちは口々に言いながら、泥だらけのブーツで聖堂に乗り込んできました。ここはそんな身なりで入ってはいけないと注意したかったのですが、事態はそれどころではありません。


 彼女は、シスターは無事なのでしょうか。それが最も気がかりでした。


 辛うじて動く首を回して、シスターのいた方角を向きました。


 まず視界に入ったのは、赤黒い液体の溜まりでした。


 その中央には、ぐったりと横たわったシスターがいました。腹部を真っ赤にして、苦しそうに呻きながら。


 一刻も早く駆け付けたかったのですが、緊急時用に内蔵していた補助バッテリーが一向に作動してくれず、なかなか動けませんでした。


 彼女の周りを男たちが囲っています。一人が懐から取り出した拳銃を握りしめて言いました。


「アレックス、こいつに間違いないんだな?」


「あぁ、この婆さんだ。三年前にチトーを殺したクソシスターだよ」


「老いぼれのくせにやりやがるぜ」


 彼らの発言が理解できませんでした。聖職たるシスターが誰かを殺すなどありえません。虫一匹すら手をかけたりしないお方です。


「停戦協定が破棄された今、ようやく報復が叶う。これでチトーの魂も浮かばれるだろう」


 拳銃の男が銃のスライドを引いて、シスターの頭に狙いを定めました。とどめを刺すつもりでしょう。


 しかし、そんなことはさせません。幸運にもようやく補助バッテリーが起動し、身体中に電気の本流が満ち満ちていくのを感じました。


 シスターを守る。ワタクシにとってなによりの使命が、CPUを極限まで演算させ、各種センサーをブーストさせていきます。


 ワタクシはアクチュエーターが悲鳴をあげるのも無視し、間接に力を入れ、立ち上がりました。


「おい、ロボットが!」


 相手の一人が言うより早く、彼の顔面に拳を叩きこみます。鼻の骨が陥没する手ごたえがありました。五本ある指の内、三本がバラバラになってしまいましたが、問題はありません。


「この野郎! 撃て!」


 機関銃が一斉に発射されました。聖堂内に野蛮で乾いた発砲音がとどろきます。それがワタクシの使命感をより燃え上がらせました。シスターの生命と、聖堂の神聖さを脅かす彼らを許してはおけません。


 弾丸はワタクシの脇腹を貫通し、ラジエーターをえぐりました。両手首は吹っ飛び、頭部も貫きました。弾はCPUの一部も削り取り、もはや安全装置も効かなくなりました。力の制御ができなくなったワタクシは彼らに突進し、手当たり次第に殴りかかります。男たちは次第に悲鳴をあげ、目的は達成した、これ以上留まる必要はないと、聖堂から退却を始めたのです。


 彼らの中から一人、逃げ遅れた者がいました。どうやら仲間の撃った銃弾が、誤ってふくらはぎに命中したようです。フラフラと立ち去ろうとしています。


 ワタクシももはや、文字通りの蜂の巣の状態ではありましたが、それでも立っていられることはできました。全身から異音と煙が発せられていましたが、あと数分だけは稼働できそうだったので、拳もなくした腕を上げながら、彼の頭上に振り下ろそうとしました。


 今でもワタクシのメモリーには、この時の恐怖に歪んだ男の顔と、シスターのか細い声が鮮明に記録されています。


「やめなさい」


 シスターの言葉は、暴走状態だったワタクシの収音センサーでなければ聞こえなかったでしょう。それほどにか細いものでした。


「殺してはなりません。あなたまで罪を背負うことはありません」


 彼女の発した命令は、熱に浮かされたワタクシの全身を冷たく、穏やかにダウンさせていきました。シスターが殺すなというなら、それに従うまで。


 活動限界を迎えたワタクシはそのまま倒れ、男は必死になって逃げていきました。


 ワタクシは残っていたエネルギーを使って、シスターの元まで這っていきました。彼女の命は尽きようとしていました。顔も土気色で、床に垂れ流しになっている血がワタクシのボディまでも赤く染めあげます。


「シスター、死なないでください」


 彼女の手を握りしめようとしましたが、ワタクシ自身の手が残っていませんでした。パートナーを支えるための手を失い、その使用目的を誤った後悔に苛まれるワタクシの腕を、シスターは握りしめてくださいました。


「もう、長くはありません。すべては必然です。これはわたくしに下された天罰です」


「仰っている意味がわかりません」


「よく聞くのです。彼らは三年前に姉妹たちを連れ去った武装勢力の兵士に違いありません。彼らはわたくしへ報復に来たのですよ」


「仰っている意味がわかりません」


「あの日……姉妹たちを守ろうとするがあまり、わたくしは薪割り用の斧で彼らの一人を殺めたのです。後ろから忍び寄って……この獣どもめと、斧を振り下ろしたのです。でも結局、誰も助けられなかった」


「仰っている意味がわかりません」


「正当防衛ということで逮捕こそされませんでしたが、それ以来、わたくしの心臓は病に侵され……常に苦しみを味わうようになりました。神の戒めに違いありません。贖罪のつもりで聖務日課に一層励みましたが、にも拘わらず、わたくしはあなたを利用してままごとをしてしまいました。ロボットさん、あなたは従順でした。わたくしはそんなあなたを利用して、かつての姉妹の真似事をさせていたのです。まるでかつての日々が戻ってきたみたいで……」


 話している間にも、彼女の口からは血がこぼれました。


「本当に、ごめんなさいね」


「それ以上喋らな、いでくだザい。お願、いでズ」


 いつしかワタクシの声は、ノイズ交じりの途切れ途切れになっていました。補助バッテリーが無くなりかけていたのです。そしてワタクシの要請にも構わず、シスターは語り続けました。


「もう、いいのです、ロボットさん。わたくしは罪人なのです。聖職者でありながら人の命を奪ったのです。罪人は地獄に堕ちなければなりません。あなたは機械ですが、罪を犯さず、立派に務めを果たしてくれました。あなたはもう自由です」


「ロボットから職務、を取っダら、何も残りまゼん。それにあなたが罪人というなら当機も罪、人です。あなダを守れ、なガっ、た」


 シスターの視線は宙を向いていました。まるで空を目指そうとしているように。


「では……最後の命令を与えます。この修道院を、動ける限り守ってください。わたくしと、姉妹たちと、主との思い出の込められたこの聖域を、どうか」


「当機にゾの、ような資格はありまゼん。当機は信徒です、らない、のです」


「今、あなたに洗礼を施します。略式ではありますが、ロボットさん、これであなたも立派な信徒です」


 シスターは震える手でワタクシの頭に手を載せ、祈りの言葉を口にしました。蚊の飛ぶ音より頼りなく、なのにとても厳粛な響きをもって。


「ロボットさん。わたくしは父と、子と、聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます。アーメン」


 こうして十字を切って洗礼を終えた彼女は、深く息を吸ったかと思うと、そのままこと切れました。電池の切れたおもちゃのように、動かなくなったのです。


 CPUを混乱が渦巻いています。シスターが死んでしまった。彼女が遺した使命はあまりに重すぎます。彼女無しで、ワタクシ一人で何ができるというのでしょう。それにワタクシ自身ももう、機能停止寸前だというのに。


 補助バッテリーが底をつきました。全身から力が抜けて、シスターの隣に横たわりました。視界がブラックアウトしていきます。シスターの姿が闇に溶けていきます。でもこのままではだめです。せめて開きっぱなしのまぶたを……


 ワタクシはわずかに残った電力を、左腕にかき集めて動かすと、彼女の目を閉ざしました。


 これがあなたにしてあげられる、最後の貢献です。申し訳ありません、シスター。


 そしてプツンという音と共に、内部機能が停止しました。メモリーもCPUもシャットダウンされました。


 それなのに……不思議なことが起こったのです。


 闇に閉ざされたワタクシの世界に、光が満ちました。まるで始めて起動したときのようなまぶしい光が、ワタクシを包み込んでいきます。


 さらにワタクシの目に飛び込んできたのは、聖母マリアに抱きかかえられたシスターの姿でした。


 マリア様の慈悲に満ちた微笑みは、シスターに温かく注がれていました。そうして背中に羽の生えた数多の天使たちと共に、天に昇っていきます。シスターは苦痛から解放された安堵の表情を浮かべていました。


 あぁ。ありがとうございます、聖母マリア。あなたはシスターグラシアの献身と贖罪を、認めてくださったのですね……


 機械のワタクシではありますが、この不可解な光景に何の疑問も持ちませんでした。ボロボロになったCPUは穏やかな波長に満たされました。ロボットのワタクシにまでこのような祝福を授けてくれる神の思し召しは、もしワタクシが人間であったなら、感動の涙を流していたでしょう。


 そうして、ワタクシは感謝の念に包まれながら機能を停止させたのです。

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