【ショートショート】ひと目惚れ【2,000字以内】
石矢天
ひと目惚れ
オシャレな街のオシャレなカフェ。
入り口に近い二人掛けのテーブル席に、僕はひとりで座っていた。
外は人通りが多くて、店内にいても道行く人々の喧騒が届く。
海の家なんかにありそうな、白い木製の丸テーブル。
そこには、まだ湯気が出ているコーヒーがふたつと、食べかけのチョコレートケーキがひとつ。
そう。ちょっと前まで、僕の前には人が座っていた。
栗色のフワフワした髪が可愛らしくて、少し高いアニメのような声が素敵な女の子。
僕は彼女とふたりで、このオシャレなカフェに入った。
ひと目惚れして以来、ずっとアタックし続けていた女性との初めてのデート。
喜びもひとしおだ。
メニューを広げて、どれにしようかと迷う彼女の姿も愛おしかった。
しばらく悩んだ末、彼女はチョコレートケーキを指差して「これにします」と微笑んだ。
「食べないんですか?」と聞かれたけれど、僕の胃袋は緊張のあまりケーキを受け付けられるような状態ではなかったからコーヒーを頼むことにした。
正直に言えば、コーヒーでさえ飲める気はしなかったのだけど、何も頼まないわけにはいかなかった。
オシャレなカフェにぴったりの、オシャレな制服をきた店員さんが、コーヒーをふたつとチョコレートケーキを持ってきた。
「こちらでお揃いですか?」という質問に頷くと、会計用の伝票を静かにテーブル置いて戻っていく。去り方までオシャレだ。
「美味しそう!」と相好を崩した彼女が、銀色のフォークをチョコレートケーキに突き刺す。
なめらかなチョコレートソース、やわらかなスポンジ、しっとりしたチョコレートクリームを一気に貫いて、切り離されたチョコレートケーキの一片が彼女の口元へと運ばれていった。
その様子を僕はコーヒー越しに眺めている。
なんて幸せな時間だろうか。
しかし、そんな至福の時を冷たい電子音が貫く。
その音は、彼女がバッグから取り出したスマートフォンから鳴っていた。
おもむろにディスプレイを見た彼女の目が、バッと見開かれる。
「ごめんなさい、ちょっと席を外しますね」
そう言って席を立った彼女を、僕は「どうぞ」と見送った。
店を出た彼女は、チョコレートケーキを前にしたときの5倍くらい嬉しそうな笑顔で電話をしている。
自慢じゃないが僕はとても耳が良い。
店内にいても、道行く人々の喧騒が聞こえてしまうくらいには。
「仕事、早く終わったの?」
「ううん、全然平気。すぐに行けるよ」
「早く会えるの、嬉しいよ」
僕と話すときとは違う、とても心の距離が近い会話の断片。
彼女の少し高いアニメのような声が、今はちょっと耳障りだ。
僕は小さくため息をつくと、コーヒーをすすった。
カフェインが胃袋を刺激する。
席に戻ってきた彼女は再び席に座ることなく、そそくさと荷物をまとめはじめた。
「ごめんなさい。急に仕事が入っちゃって。この埋め合わせは必ずしますからっ」
彼女は僕の返事を待つことなく、さっさと店を出て行った。
もちろん、会計用の伝票はテーブルに置かれたままだ。
全てが終わった。
経験上、こういう状況でいなくなった女性が、別で埋め合わせをしてくれることは万に一つもない。
僕はチッと舌打ちをしてスマートフォンを取り出す。
「彼氏持ちが登録してんじゃねぇよ。クソビッチが!」
独りで毒づきながら、僕はマッチングアプリ『AI-TAI』を開くと、彼女のアカウントをブロックした。
そのままスイスイと女性の顔写真をスワイプしながら、僕は次のひと目惚れを探しにいく。
【了】
【PR】
一話(5,000~6,000字程度)完結で連載中。
ファンタジー世界の人情を小さな食堂から眺めるヒューマンドラマ
「王都の路地裏食堂『ヴィオレッタ』へようこそ」
★スライムところてん
⇒https://kakuyomu.jp/works/16817139559111561877/episodes/16817330648831841447
【ショートショート】ひと目惚れ【2,000字以内】 石矢天 @Ten_Ishiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます