窓が開いている部屋

糖質30g

これはあるネットラジオ配信者の体験談だ。


「近くのマンションの窓がずっと開いてて、人が死んでるのかもしれない」

という投稿を最後に、数か月止まっているツイッターアカウントがある。

その投稿をたまたま目にしたS氏は興味を惹かれ、DMを送ると、返事が来た。それで、その投稿者を会うことになり、詳しく話を聞くと、こういうことだった


東京のA区の古いマンションの一室の窓がいつも開いている。


七階建てのマンションの、五階にある部屋だ。両隣の建物はファミレスとコンビ二が入っており、両方とも一階建てだった。その間に挟まれてにゅっと突き出るように、そのマンションは立っている。障害物がないので、道路をはさんだ向こう側から、五階の窓ははっきり視認できる。ベランダには植物はなく、カーテンもかかっていないように見える。

古い、今にも崩れそうな、耐震工事も疎かそうなマンションである。

S氏があらかじめ調べた不動産広告には、築48年とあった。今時オートロックでもない。そんな感じなので、住人の平均的な経済レベルもなんとなく推し量れるーーそんな感じの郊外にはよくあるマンションだった。だから、夏だったのもあり、「ああエアコンがないんだな、最近酷暑とか言ってるから大変だなあ」、と最初は思った、と言う。

しかしーーこの話をしてくれた人はそのマンションの、道路を挟んだ向かいのガソリンスタンドで働いている青年なのだがーー夏をすぎても、窓はそのままだった。

「少し開いてるとかじゃないんですよ。傾いちゃって最後まで閉まらないとか、そういうのじゃなくって、全開なんですよ。治安がいい町でもないのに」

秋になっても、冬になっても、窓はそのまま開きっぱなしだった。そのガソリンスタンドは24時間営業で、フリーターである彼はシフトによって、早朝も、深夜も、昼間も、あらゆる時間に勤務していた。そのどの時間にも、その部屋の窓は開いていた。

住人の気配はあるような、ないような感じだった。ベランダには洗濯物が干しっぱなしで、その色や柄、形がはっきりと見えるわけではないが、同じものがずっとかかっているように思える。人が住んでいないのかもしれない。しかし空き部屋だとしても、窓を開けっ放しにすることはないだろう。


ーー事件なんじゃないかな。


と、思ったと言う。人が、病気か事故か事件か、とにかく、あの部屋で、ひとが死んでるんじゃないか。そう思った。この時、開いた窓を見上げ続けて、もう2年ほど経っていた。

「生きてる人間が2年間窓を開け放しにしてる方が怖いし、死んでた方がこうすっきりするなあってなっちゃって。だって怖いから。だからもううっかり窓全開にしたまま留守にしててくれてるのが一番いいんすけど、そんなことあります? とにかくずっともやもやしてて解決したくて。死んでてくれたらいいのになと思っていて」

なので、彼曰く、

「頼むから、死んでてくれ~!死んでてくれ~! と祈りながら、通報しました」

ということだった。

それでどうだったのか、と私が聞くと、息を潜めて、囁くように、

「生きてたんです」

と言う。

「なんか警察の人によると、普通に毎日生活して、普通に毎日、仕事行ってたらしいですよ。真冬も窓もカーテンもなくて、開けっ放しで……」

そういうと、彼は黙った。


件のマンションの隣のファミレスである。この青年がツイッターにさわりだけ書き込んだこの不思議な事件に興味を惹かれ、コンタクトを取り、S氏はわざわざA区に彼を訪ねてきたのだった。

話を聞き終えたS氏は、ひとまず、

「生きててよかったじゃないですか」

と言った。

青年はわずかに頷いたが、とても、良かった、と言う顔ではなかった。指先が震えている。真冬なので冷え込んではいる。だがそれだけではないのかもしれないとS氏は思った。青年は何かにおびえているのだ。



ガソリンスタンドの青年と別れた後、S氏は、その部屋を訪ねた。

住人のKさんは、三十代の女性で、突然訪ねてきた私が「都市伝説を収集しています。ガソリンスタンドの人から聞いて……」と言うとドアチェーン越しに笑って、部屋にあげてくれた。

「ああ、あの話ですね。ガソリンスタンドさんには大変ご迷惑をおかけしました」

と言う彼女の声は朗らかで、とても窓を二年間開けっぱなしにして暮らしていた人には見えない。ごく普通の勤め人、という感じの女性だった。Kさんは少し斜めに傾いたテーブルの椅子を勧めてくれ、その向かい側に自分も座った。

「なんだかその時、鬱になってて、人生で一番やる気がなくって。窓を閉めるのがおっくうでそのままにしてただけなんです。警察の方から通報の経緯を聞いて、そんな風に人様に心配かけるなんて、申し訳無かったです。警察の人にも管理人さんにもほんとに…。それから転職して、もう全然大丈夫なんですけどね」

「そうだったんですか」

「そのガソリンスタンドの店員さん、どなたかは知らないんですけど、ご迷惑おかけしました。でも東京も人情があって捨てたもんじゃないなあって、ちょっといい話ですよね、うふふふ」

と笑う。

なるほど。一見怪談のようの裏話がなんてことはない、という例だ。

洗濯物も同じような柄ワンピースばかり持っているから、外から違いが判別できなかっただけで、同じものを干していたわけではない、という落ちらしい。

ガソリンスタンドの青年の陰鬱な顔色が気になって突撃取材をしに来たS氏はやや拍子抜けしたが、大体の都市伝説や怪談は裏を取るとこんなふうだ。

「あなたの前にも取材に来た人、何人かいましたよ」

とKさんは気さくに笑う。

「そうだったんですか」

と言いながら、S氏は少し悔しい思いをした。彼はネットラジオの配信で実話ホラーを話すのを趣味にしている。軽く調べた範囲ではこのマンションの取材記事はなかったが、先を越されたのかもしれない。いや、まだ発表していなければ、こちらのネタだ。そう思って、質問した。

「その前に取材に来た人たちは、何か配信されたり、ブログとかに書かれたんですか?」

するとKさんは、

「あれ、ガソリンスタンドのお兄さんから聞いてませんか?」

と言う。どういうことだろうか。きっと前回の取材者もガソリンスタンドの青年から話を聞いたのだろう、とは思うが。

「彼が知っているんですか?」

と聞くと、

「知ってると思いますよ、いや、私は知らないですけど…どうなったかは知ってるんじゃないかなあ……立地的に……」

とよくわからないことを言う。彼女の肩越しに、その窓は、今この時も開け放たれている。

彼女は立ち上がり、開けっ放しの窓からベランダに出る。S氏はその後を追った。ベランダに出て、彼女の隣に立つ。ベランダの柵はボロボロに腐れ、欠けて、用をなしていない。道路を挟んですぐ向かい側にガソリンスタンドがある。

Kさんは「ほら、あそこ」と下の方を指差した。つられて下を見た瞬間、どん、と背中を強く押された。


















と、ここまでが、ネットラジオ配信者のS氏の話である。

「それで目を覚ましたら病院だったんですよ、すごい話でしょう。いやあ本物のサイコパスに会っちゃいましたよ」

と、S氏は言った。

私とS氏とは昔からの怪談仲間だ。ネットラジオ配信仲間でもある。このラジオにも何回か出演してくれたので、リスナーのみなさんも記憶にあるかもしれない。

その彼は、薄手のパジャマの下にあちこち包帯を巻かれて、病院の、窓際のベッドに座っていた。見舞いに来た自分ににこにこしながら、怖い体験を話してくれた。人のことは言えないが、筋金入りのホラー好きはすごい。たまたま個室に入れてラッキーだと喜んでいて、一度巡回に来た看護師さんと、軽口を交わす余裕さえあった。

「事故で入院したと聞いて心配したけど元気そうでよかった」

と私は言った。何度か配信も一緒にしたような仲だ。「入院しました」のメッセージを受け取って、とても心配していた。しかもそんなおかしな体験をしていたとは。S氏はにこにこしているが、自分の体はかすかに震えていた。S氏は体は満身創痍だったが、やたら元気だった。「今思うとあのガソリンスタンドの兄ちゃんも怪しいと思うんだよね。ネットで人を釣ってあのマンションに誘導してるとか……あいつこそ実は死んでて、幽霊だっていうのはどうだろう。そうだったらおもしろいなあ……」などとうれしそうに考察している様子はずいぶん生き生きしていた。

数時間、病室に滞在した。

彼はまだまだ話したりなさそうだったが、私は、

「早く骨を治してまた怪談配信しようね、またね」

と声をかけて、早めに病院を出たのだった。

廊下はあたたかく、ほっとして、長いため息が出た。

S氏の病室の窓は、真冬なのに全開だった。

なのに、S氏はパジャマ一枚で凍える様子もなく、看護師さんもなんにも言わない。これ以上長居してはいけない。二度と見舞いに来てもいけない。そういう勘が働いた。薄情だが、次に会うときは、S氏の葬式かもしれない、とすら思った。

病室から、冷たい風が吹き込み、それと一緒に、かすかな声がする。S氏の声だ。私はとっさにその声を録音した。今から再生するので、みなさんにもお裾分けしよう。このように言っていた。



「死んでてくれ~ 死んでてくれ~」





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