第14話 モノクロ

 大川さんの質問に、どう答えるべきなのか。


 上辺だけの回答をすることは容易い。だけど私は、この優しい人にそんな心無い対応はしたくはなかった。


 たとえこの後、気不味くなってしまおうとも。


 それでもきっと、大川さんは私を気遣い続けるのが分かっていても。


「……突然こんな話をするのもどうかと思う……けど」


 大川さんの方を見て、はっきりと言う。私が再び臆病に戻ってしまった原因。この先、少しでもきちんと大川さんと正面を向き合っていく為には、これを話さないままではいけないんじゃないか。そう思えた。


「うん、ちゃんと聞く。聞かせて」


 大川さんが、注意は前方に払ったまま、静かな口調で横目で私に笑いかける。


 すう、と息を吸ってから、拳を膝の上で握り締めつつ前を向いた。


「社会人二年目になった時に、職場の先輩に合コンの数合わせに参加してくれないかと頼まれて行ったことがあるんです」

「合コン……? うん」


 何で今このタイミングで合コンの話が出てくるのか、さすがに話題がずれ過ぎて大川さんも分かりかねたのだろう。だけど、大川さんは私が再び話し出すのを待ってくれた。


「……そこで会った人と連絡先を交換して、何回か会って食事をしたりして」


 あの時のことを思い出すと、未だに静かな怒りが込み上げてくる。いや、これは怒りというよりも、悔しさに近いかもしれなかった。


 何にも知らない癖に。どうやって私がここまで耐えてきたか、考えたこともない癖に。


 そんなどす黒い感情が沸き起こる自分が嫌で、でも分かって欲しくて、私はずっとこの感情から目を逸し続けていた。『ピート』とマスターというぬるま湯の様な幸せな場所に浸かることで、向き合うことを避けて。


 でも、マスターに背中を押してもらったから、そろそろ後ろ向きな考えを切り替える時期に来ている様な気がしてきていた。


「それで……。三回目に会った時に付き合わないかって言われて、印象も悪くなかったし、はいって返事したんです」

「うん」

「その時に初めて、両親が交通事故に巻き込まれて死んでしまっていることを話したら、その……」


 どう伝えよう。だけど、どう取り繕ったところで、私の中で未だにあの時の衝撃はちっとも薄れてはいない。心が狭いのかもしれない。だけど、やはりこれは私にとって大事なことだった。


「そうしたら、その人に『じゃあ、保険金で暮らせるじゃないか。働く必要なくない?』って言われて……」

「うわ……」


 思わずといった声が、大川さんの方から聞こえてきた。


「頭が真っ白になって、その場でやっぱり付き合えないことをまくし立てたんです。そうしたら、怒っちゃって高級フレンチに置いてきぼりにされました。へへ……」


 今思えば、振られたからといってそんな態度を取る男だと、深く付き合う前に判明してよかったんだろう。


 だからといって、傷つけられた事実は変わらないけれど。


「それから、誰かとお付き合いしようっていう気が失せちゃって」

「ああ……うん、それは何となく分かるなあ」


 大川さんの声には、多分に同情の色が込められていた。


「両親の死からようやく立ち直ってきたところで、両親の死をお金に換算された気がしちゃって、それで……今に至ります」

「……うん」


 結局私は、まだ大川さんの質問には答えられていない。回りくどい言い訳の様な自分の話に、もっとスマートに話せたらいいのにと思う。自分でもよく分かっている。


 私は不器用でウジウジしていて、二十代も半ばを過ぎたというのに、親を恋しがる子供のままで止まっているのだと。


「大川さんに話そうと思ったのは、その……マスターに、大川さんはそいつじゃないぞって言ってもらえて」

「マスターに?」


 こくりと頷き返す。


「これはマスターの言葉の受け売りなんですけど、私はそろそろ前に進みたいと思ってる。心はそれくらい回復してきたのに、でも過去に傷つけられた経験があって一歩踏み出せないんじゃないかって」

「うん」


 大川さんの相槌は、優しい。柔らかくて、そのまま寄りかかったらふわりと気持ちよさそうだと思えてしまう。


「……私、大川さんはそういう人じゃないって分かっているつもりです。だけど、これ以上親しくなるのが怖い。でも」

「……でも?」


 大川さんが、静かに促した。運転している大川さんの方を見ると、大川さんはちらりと横目で私の視線を捉え、目を緩やかに細める。


「大川さんといると、何故かとても落ち着くんです。もっと同じ時間をゆったりと過ごしたいと思う。大川さんは何だか――どこか私と似ている気がしているから、ほっとするんだと思います」

「――うん」


 左の口角が、小さく上がった。嫌な思いはさせていないみたいだ。


「だから――隠していた私を知ってもらいたくなったんです」


 息をひとつ挟むと、大川さんが口を挟む隙を与えないまま続ける。


「だから、大川さんのことももっと知りたいと思ったんです」

「月島さん……」


 大川さんは暫く考え込んでいる風だったけど、やがて覚悟を決めたかの様に深く頷くと、きっぱりと言った。


「月島さん、話してくれてありがとう。僕も……僕も、ずっと止まっていたんだ」


 大川さんの次の言葉を、固唾を呑んで待つ。


 聞けるだろうか。私の知らない大川さんの話を。


 もっと大川さんのことを知って、それで更にもっと知りたいと思えるだろうか。


 今度こそ、本心から。


「……それに。月島さんと一緒で、怖かった。僕はどうも落ち着いて大人びて見えるみたいだけど、前にも言った様に内心は結構焦ったりしてるから」


 ふう、と呼吸を挟み、大川さんは先を続けた。


「実は小心者だってバレたら、飽きられちゃうんじゃないかと思うと、人に自分のことを話せなくて」


 小心者という言葉は、確かに大川さんの雰囲気には似つかわしくない言葉かもしれない。だけど、大川さんが慎重なのは、私にも何となく分かっていた。


 これは、怖がっていたからなのか――。


 すとん、とそのことが腑に落ち、私は「うん」と相槌を打った。先程、大川さんがそうして私を一切否定せず促してくれた様に。


 私の相槌に肯定を感じ取ってくれたのか、大川さんは前方を見続けながら先を続けた。


「例の友人のこともあって……。誰かに近付いても、気が付くと向こうから離れていっちゃって」

「え?」


 私の問いかけに、大川さんは苦そうな表情をして頷く。


「まさか何かしたのかと思って友人を問い詰めても、知る訳ないって言われてさ。でも、離れていく子たちの態度は明らかにおかしくて」


 何かされるんじゃないか。自分が好きになった所為で、好きな相手が傷付くんじゃないかと思ったら、優しい大川さんなら身を引いてしまうだろうことが容易に想像出来た。


「もし僕の好意の所為でその子に何か悪影響があるなら、友人が誰か特定の人のものになるまで待つべきなのかなって、最近は諦めてた」


 はは、と乾いた笑いが大川さんの口から飛び出した。


「僕さ、家族と上手くいってなくて」

「……うん」

「実家は頼れないし、いつまでこれが続くんだろうってうんざりしてた時に、月島さんに出会ったんだ」

「え、私?」


 それまで両手をハンドルから離そうとしなかった大川さんが、初めてハンドルを離す。離した左手は、大川さんの口許を覆った。


 照れ臭そうに。


「うん。……そこから、僕の色味のない生活は一変したんだ。本当に、これまでモノクロの世界で生きている様に感じていたのに」


 だから、と大川さんは顔を綻ばせる。


「僕に色彩をくれた月島さんが見てる世界を、僕も一緒に見ていきたい」


 ……んだけど、と照れ臭そうに笑う大川さんに、同じ狭い車内にいるというのに、大きな声で「はい!」と返事をした私だった。

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