4話 橙
橙:一
ようやく秋が主役になる。そんな季節。
テストが終わった途端、クラスの関心は文化祭へ移る。出し物は演劇。キャストは夏休みから練習を始めていたらしいけど、準備や当日の役割分担は現在進行中。
やりたい物は特に無い。人が足りないところに適当に入れておいてもらえば、それで。
「そうだ美彩季! 元美術部だろ、看板やってくれよ!」
想定していた図は、教室の真ん中にいる大樹の大声で崩れ去った。
「え、知らなかった。そうなの?」
黒板の前で指揮を取る風子を筆頭に、教室全体の視線が集まる。どことなく〝こいつが適任〟という風潮になる。
気乗りしない。注目されると居心地が悪い。それでも、必要とされたと分かると引き受けてしまう性を呪う。
「ん、やる」
黒板には、各役割の下に決定した人の名前が書かれていく。
教室にいる全員が何らかのポジションに収まった。が、風子は懸念を語る。
「ねえ、看板一人になっちゃったけど大丈夫?」
その口調と目線は、私一人に問いかけているとも、全体に手伝うよう諭しているとも取れる。
「大丈夫、適当に手伝ってもらう」
「そう? 声掛けてよ?」
こんなに絵に自信がない人ばかりとは。別に画力の有無は関係無いのに。この結果には少々驚いたけれど、心のどこかでは好都合とも思っていた。人が増えれば増えるほど、面倒でやり辛い。だから、下手に誰かが手を差し伸べてくる前に会話を切った。
でも、一人は流石に厳しいか。もう一人くらいなら、いてもいい。
誰に声を掛けるか。ぼうっと黒板を眺める。しかしどうしても、誰かと共同作業をしている図を思い浮かべられない。教室を見渡しても、一緒に絵を描く姿を想像出来る人はいなかった。
五時間目が終わり、美術室まで来た。結局、答えは出せないまま。
一人で考えていると、黒板側のドアが開いた。
「あっ、おはよ美彩季」
「おはよ」
入るなりやんわりと口角を上げ、紡がれた第一声。目は合わせると逸らすし、たかが挨拶程度。だけど、会う度に表情も話し方も自然になっていく様子を思えば、きっとそれが律にとって大きなことなのだろうと察しがつく。
「あれ、絵、描いてないの?」
「ん、考えることあったから」
「そうなんだ。……何のことか、聞いて平気?」
暗黙の指定席から、だから少し遠巻きにではあるものの私の顔を伺いつつ、遠慮がちに尋ねられる。会話が続くようになったのも、喜ばしいことなのだろう。
「文化祭、あるじゃん」
「ああ……来月、だよね」
「そ、うちのクラスは演劇だって」
気づけば律は、へえ、と目を大きくしながら身体ごとこちらを向いていた。
「美彩季、出るの?」
「いや、けど看板描かなきゃいけなくて」
「看板か。……なんか〝文化祭〟って感じだね」
空を見つめ小さく、いいな、と呟いた。律は参加しないのだと凡そ推測出来る。でも、その口振りは––––、
「興味ある?」
「ある……けど、」
段々と俯くその表情は、寂しそうに見えた。本当は参加したいんだろうな。
––––だったら、丁度いい役割がある。
話しやすいように、律の斜め向かいに移動してから口火を切った。
「じゃあ看板、一緒にやらない?」
「えっ……?」
顔が上がって一瞬目が合った。しかし、すぐに視線は逸らされ、瞬きを繰り返しながら彷徨い始める。
「でも、俺、クラス入ったこと無くて、」
「いいよそれでも」
「皆と一緒に準備とか、出来ない」
「二人だけど」
「当日も、行けないと思う」
「前日までにやるやつだから」
慌てたように口に出される〝出来ない理由〟は、どれも一言で打ち砕けた。それだけ、気に病む必要のないものばかり。冷静に返せば、向こうも少しずつ落ち着いてきた。
「まあ全然、嫌なら無理強いしないんだけど」
「いや、……そういうんじゃ、なくて、」
態勢を立て直すように一つ息を吐いて、今度はしっかりと、不安の根幹が語られた。
「……教室に来ない人が準備だけ参加する、っていう状況を、クラスの人達がどう思うのか、不安で。もし批判があったら、俺へはまだしも、俺を参加させた美彩季へも……あるかも、しれないから」
不安を抱えたままの声が絞り出される。確かに、律の考えは一理あるだろう。一切交流が無ければ、準備を任せるなど考えもしない。でもそれは、選択肢に無いだけ。批判を受ける理由にはならない。第一、私のことなど気にしなくてもいいじゃないか。
「それはなんとかする」
「なんとかって……どうするの」
「『律も一緒にやる』って言えば大丈夫」
こういう時、教室中の好意に似た何か––––酷く特殊で浅はかな態度が役立つ。おかしな立ち位置に据えられて、特別だか差別だか分からないその扱い。いつも崇められているようで気持ち悪いから、ちょっとくらい利用してもいいだろう。
「本当に……大丈夫?」
「そ、大丈夫」
まだ迷いのある目。これ以上押していると無理に協力させる形になりそうだから、それは避けたい。「考えといて」と席を離れようとした途端、「待って」と聞こえた。振り返れば、机の一点を見つめたまま固まった姿がある。
「……やって、みたい。もし、出来る、なら。……憧れてたんだ。文化祭とか、そういう、高校の行事」
自信の無い声で訴えられたそれは、本音だと分かった。
やっぱり。不安に邪魔されていただけ。
「じゃ、お願い」
その声に、顔を上げて頷いた。まだ自信無さげな、しかしどこか吹っ切れたような、淀みのない笑顔だった。
後日、風子がまた人手が必要か聞いてきたから「律とやる」と答えた。珍しく大声で復唱した学級委員に注目が集まったと同時に、教室がざわついた。批判、までは無かったが、心配の声は散見される。
「いいでしょ?」
一言投げれば、美彩季がそう言うなら、なんて声と共にその場は収まるのだ。
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