かけがえの無いもの

 彼は夢の中にいた。

 夢の中で、懐かしい光景をその目に見ていた。

 それは彼がまだ子供だった頃に見た光景だ。


 丘の上で二人の不死者が戦っている。

 二人は剣を振るい、お互いを殺し合っていた。


 二人は何度も死に、そのたびに蘇った。

 手足を斬り飛ばされたとしても、失われたそれはたちどころに生えてくる。

 たとえ首を切り落とされたとしても、彼らはすぐに蘇り、立ち上がった。


 その二人の戦う姿を見て、最初は恐怖した。

 だが、ずっと見ているうちに、その二人の戦う様に魅入られてしまった。

 二人の不死者が振るう剣の技は、彼が見たことの無いものだった。

 何をやっているのか良くわからなかったが、何故か彼は、それを美しいと感じていた。


 彼はその姿に憧れ、それを真似てみようと思った。

 その場所を何度も訪れ、彼らの戦う姿を観察し、その動きを真似てみた。 

 何日もの間、彼は飽きもせず不死者たちの動きを真似して、同じように動いてみた。


 そんなある日、不死者の一人が彼を手招きした。

 不死者達は彼が見ていることに以前から気付いていた。

 目が合うことが何度かあったが、彼は不死者たちを恐れてすぐに目を逸らし、物陰に身を隠してしまった。

 まさか手招きされるなどとは思っていなかった。

 彼はそれに驚き、その場から逃げ出してしまった。


 元々その丘に近付いてはいけないと、大人たちには言われていた。

 そこには悪魔のように強い不死者が住んでいるからと。

 不死者を捕らえることが出来れば、様々な恩恵がある。

 かつてはその恩恵を手にするために、丘の上の不死者に挑んだ者たちが大勢いたらしい。

 だがそのほとんどが生きて帰っては来なかった。

 そしてかろうじて逃げ延びた者たちは、皆が口を揃えてこう言ったのだそうだ。

 あの丘の上の不死者には決して近付いてはならないと。


 そのころの彼は、実際の戦いというものを知らなかった。

 それでも二人の不死者が相当に強いのだろうということくらいはわかった。

 手招きされたにも関わらず、その場から逃げ出してしまったが、もし不死者が彼を殺そうと思えば、いつでも殺すことは出来た筈だ。

 あの不死者は、好意を持って誘ってくれたのではないだろうか? 逃げる必要は無かったのではないかと、彼は後悔していた。

 逃げ出したりしなければ、見よう見まねでは無く、二人に直接戦い方を教えて貰えたかもしれない。

 彼はそのせっかくの機会をふいにしてしまったのだ。

 自身の住処に戻った彼は、一人でそれをずっと悔み続けていた。


 もう一度あの場所に行ったら、彼らはまた誘ってくれるだろうか?


 翌日、彼はまたその丘を訪れた。

 いつものように、二人の不死者は剣を振るい、お互いを殺し合っている。


 いつもは少し離れた場所から眺めるだけだった。

 だがその日は必死に勇気を振り絞り、二人に近付いていった。

 その手には途中で拾った木の枝を握っている。

 恐怖と緊張で震える足を必死で動かし、前へと進む。


 不死者の片方が彼を見た。

 彼はその不死者に向かって手にした棒を持ち上げ、二人がしていたのと同じような構えを取ってみた。


 不死者はそれを見て少し驚いたような表情を見せた。

 そして笑みを浮かべ……前日と同じように、彼を再び手招きしてくれた。







 ティルヤは藁を敷き詰めた寝床の上で目を覚ました。

 すぐ傍で、彼の娘がその顔を覗き込んでいる。

 娘は既に嫁いで家を出ていたが、彼の世話をするために戻ってきているのだ。

 彼の妻は二年前に既に冥府へと旅立っていた。


「父さん、眠ったまま笑ってたわ。良い夢でも見てたの?」

「ああ……懐かしい夢を見ていた」


 ティルヤは笑みを浮かべながら、そう答えた。

 今でもあの日のことを鮮明に思い出すことが出来る。

 あの日、二人がティルヤを受け入れてくれた……あの瞬間が彼の人生の転機であった気がする。


 二人の不死者に教えを受けた彼は、部族で最も優れた戦士となった。


 彼がどれほど鍛錬を積んでも、二人にはまるで歯が立たなかった。

 だが、それでも部族の中で彼以上の戦士はいなかった。


 年を経て体が衰え始めた頃、彼は部族の長として祭り上げられた。

 そして今、彼はすっかり年老いてしまっている。

 じきに、その寿命も尽きるのだろう。


 だが二人の不死者は、今も初めて出会った時の姿のままでいた。

 子供の彼が憧れた、あの頃のままの姿で、彼らは今も在り続けている。

 何もかもが、あの頃とは違ってしまっている。

 その中で、彼らだけは何一つ変わらないままだ。

 ティルヤにはそれが、とても嬉しく思えた。


 小屋の外から声が聞こえ、娘が外に出ていった。

 それからすぐに彼女は戻って来て、ティルヤに来客を告げる。


「父さん、アディメイムとクラウスが来たわ」

「ああ、そうか」


 呟き、笑みを浮かべる。

 ティルヤはもう自分一人では自由に歩き回ることも出来ない。

 自分の意思で彼らに会いに行くことも、もう出来ないのだ。

 残った寿命のうちで、あと何度彼らに会えるかわからない。

 だからこそ、二人が自分に会いに来てくれた事が嬉しかった。


 家に入ってきた二人が横になったティルヤに向けて笑顔を見せ、その両隣に腰を下ろす。


「よう」

「ああ……クラウス、アディメイム、ここまで足を運んで会いに来てくれたのか?」

「ああ、わざわざ足を運んで会いに来たよ」


 クラウスが苦笑しながらそう答える。

 アディメイムも、いつもの穏やかな笑みを浮かべてティルヤを見ていた。


 二人が会いに来る度に、ティルヤは二人に対して感謝の言葉を口にしていた。

 二人はその彼の感謝を大袈裟だと思っているようだった。


 だがそれは、ティルヤにとっては大袈裟でも何でもない、心からの言葉であった。

 ティルヤに残された時間は少ない。

 あと何度彼らに会えるかもわからない。

 これまでにどれ程の恩を与えられてきたか。

 そのどれ一つも返せていない。

 せめてその想いだけでも……自分がどれ程感謝しているのか、それだけでも二人に知って欲しかった。

 彼らからすれば大袈裟に聞こえるのかもしれない。

 だがティルヤからすれば、まだ言葉が足りていないように思えるのだ。


「子供の頃……二人に近付く勇気もなかった俺を、初めて手招きしてくれた日のことを覚えているか?」

「ああ、覚えてるさ」

「あの日……まさしくあの日から、俺の日々は輝き始めたんだ」

「なんだ? 輝くってお前……相変わらず大袈裟だな」

「いや、大袈裟なんかじゃない。あの日から、二人にどれ程の物を与えて貰ったか……俺はその恩を未だ何一つ返すことも出来ていない」


 それを聞いたクラウスは、アディメイムのほうに視線を向け、それからティルヤに視線を戻し、困ったように笑みを浮かべる。


「何度も言ったろ? そんな事は気にしなくていいんだ。余計な事は気にせず貰える物は貰っとけ。お前がガキだった頃からずっとそうだったろ? 今更になって恩を返せなんて言ったりしないさ」

「ああ……あの頃から俺は随分変わったつもりでいたが、二人からすれば何も変わってなどいないんだろうな」


 ティルヤはそう口にして、笑みを浮かべる。

 二人はあの頃のままだ。

 自分はすっかり年老いてしまったが、彼らはこの先もずっと今のままの姿であり続けるのだろう。

 二人にとって、自分は未だに子供のようなものなのかもしれない。


「ありがとう」


 ティルヤは小さな声で、そう呟いた。

 あまり感謝の言葉を口にしすぎると、また大袈裟だと言われてしまうかもしれない。

 あの日……二人はティルヤを受け入れてくれた。

 それはきっと二人にとっては大したことでは無かったのだろう。

 だがティルヤにとってはそうでは無かった。

 あの日、受け入れて貰えたおかげで、今の彼があるのだ。







 クラウスは目の前で横たわっているティルヤをみていた。


 初めて会った頃は体も小さく貧弱だった。

 だが時を経るにつれて成長し、たくましくなっていった。

 そして今は年を取り、出会った頃よりもさらに弱々しくなってしまった。


 ティルヤがわずかに上体を起こし、クラウスとアディメイムに交互に視線を送る。

 それから、ティルヤはわずかに躊躇うような素振りを見せた後に、口を開いた。


「二人に頼みがあるんだ……」

「なんだ?」

「手を、握っていてはくれないか?」


 その小さな子供のような願いにクラウスは笑みを浮かべた。

 ちょうどティルヤが子供だった頃の事を思い出していたのもある。


「なんだ? 心細いのか?」

「ああ、そうなんだ」


 からかうような口調で問いかけるクラウスの言葉に、ティルヤは笑みを浮かべて答える。

 クラウスは苦笑しながら、差し出された手を握る。

 アディメイムもまた、反対側の手を同じように握った。


 ティルヤはそのまま目を閉じた。

 クラウスはティルヤが静かに呼吸する音を聞きながら、この世界に来てからのことを思い出していた。


 ティルヤと出会ってから、もう五十年以上の時間が経っている。

 本当にあっと言う間だったような気がする。


 ティルヤに剣を教えるのは、実際のところ簡単ではなかった。

 クラウスはこれまでに他人に剣を教えたことなど無かったからだ。

 どうすればうまく伝わるか、アディメイムに相談し、自分自身でも真剣になって考えた。

 その甲斐あってか、ティルヤは十分に強くなり、集落の中で皆に認められるようになった。


 そんなことを思い出しているうちに、ふと違和感を覚えて、眠るティルヤの顔を見る。

 いつの間にか、その呼吸の音は聞こえなくなっていた。


 アディメイムに視線を向けると、彼は小さくうなずき、それから目を伏せた。

 アディメイムは握っていたティルヤの右手を、その胸の上に置く。

 クラウスも同じように、その左手を胸の上に置いた。


 ティルヤは笑みを浮かべていた。

 それは、つい先ほどまでクラウスらと話していたときに浮かべていたのと同じ、満足げな笑みだった。

 その表情に釣られたのだろうか?

 気付かぬうちに、クラウスも笑みを浮かべていた。


 クラウスは静かに立ち上がり、扉へと向かって歩いて行く。

 それに気づいたのだろう。

 ティルヤの娘がこちらに近づいて来た。


「あの……」


 クラウスは黙って首を振った。

 彼女は慌てたようにティルヤの元に行ってその手首を掴み、それから急いで部屋を出ていった。

 人を呼びに行ったのだろう。

 アディメイムは今も座ったまま、ティルヤの顔をじっと見ていた。

 クラウスはその場をあとにして、一人小屋の外へと歩いて行く。


 小屋を出て、すぐ近くに生えていた木の下に腰を降ろし、空を見上げる。


 この世界にくる以前、彼は戦場で人の死をいくらでも目にしてきた。

 傭兵など、いつ死んでもおかしくない職業だ。

 自分自身、そう長生きできるとも思っていなかった。

 傭兵仲間が死んだとしても、それは想定内のことが起こっただけだ。

 大事な何かを失った……そんな感情を抱いたりする筈もない。


 今になって、初めて彼は気づいた。

 これまで一度も親しい者の死を経験したことが無かったということに。

 クラウスは今更そんなことに気付いたのだ。


 彼にとって親しい者といえば、子供の頃に過ごした孤児院の仲間やシスターくらいだろう。

 十三歳の頃にそこを飛び出してからは、親しいと呼べるような者はいなかった。


 最近は以前と比べれば、ティルヤの顔を見ることも少なくなっていた。

 とはいっても毎日会っていたのが週に一回か二回になったという程度ではあるが。

 ティルヤが自分の足で丘の上に来ることはなくなったが、会いたくなればいつでもこちらから会いに行くことは出来た。

 だがもう、それも出来なくなってしまった。


 会いに行くたびに、ティルヤは皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして、嬉しそうに笑っていた。

 わざわざ会いに来てくれたのかと、大袈裟と思えるほどに喜んでいた。

 わざわざ……などという程の距離でも無いというのに。

 今思えば、本当にそれくらい嬉しかったのだろう。


 この五十年の間、ほとんど毎日ティルヤの顔を見ていた。

 それが当たり前の日常となっていた。

 その当たり前が無くなってしまった事を実感する。


 会いに来るたび大袈裟に喜ぶ、その笑顔を思い出す。

 気付けば、脳裏に浮かぶ笑顔に釣られるように、自身も笑顔を浮かべていた。


 その笑顔も、もう二度と見ることは出来ない。

 かけがえのないものを失くしてしまったのだという、そのことをクラウスは生まれて初めて実感し、その喪失感を噛み締める。


 戦士として、戦いの中で死ぬ……自身の命を失うことに対する覚悟は常に持っていた。

 だが、自分にとって大切な誰かを失うという事……いつか必ず訪れる、その時に対する覚悟をクラウスは持っていなかった。


 自身の表情が歪むのがわかった。

 歯を食いしばる。

 溢れ出てくる感情を抑えることが出来なかった。


 ボロボロと零れ落ちる涙が頬をつたい落ちていく。


 ティルヤはもういない。

 ここに来ても、ティルヤに会うことは、もう出来ない。


 ティルヤはきっと理解し、覚悟も出来ていたのだろう。

 年を取り、あと何度会えるかわからないと……それを理解していたから、会いに来るたび、あんな風に喜んでいたのではないか。

 その覚悟がクラウスには出来ていなかったのだ。


 クラウスは声も立てず、その場で一人涙を流し続けた。






 ティルヤの死から一週間が過ぎ、丘の上にまた亜人たちがやってきた。

 この一週間、彼らは喪に服していたのだという。

 彼らにとって偉大な戦士の、その死を悼むために。


「今日からまた、よろしくお願いします」


 クラウスとアディメイムの前に立って挨拶をするのは、ティルヤの息子のルトゥラだった。


「ああ、よろしくな」


 返事をしながら、その顔を見た。

 彼もいずれ年老いて、死んでいくのだろう。

 あるいはその前に戦いなどで命を落とすのかもしれない。

 その時自分は何を感じるのだろうかと、クラウスは考える。


「お前はいくつになったんだったか?」

「三十八になります」

「もうそんなになるのか。ついこの間まで子供だったような気がしたが」


 それを聞いたルトゥラが困ったように笑みを浮かべる。


「私もそろそろ引退を考えなければと思っていたんですが、まだ子供扱いですか?」

「ああ、すまんな。本当に……時間が経つのは速いもんだ」


 クラウスは答え、笑みを返す。

 そして、ティルヤが生まれたばかりのルトゥラを抱いて見せに来た時のことを、思い出していた。


「クラウス?」

「ああ……お前に初めて会った日の事を思い出しててな」

「私にですか?」

「ああ、母親の腕に抱かれて眠ってたよ」

「覚えていませんね」

「そりゃそうだ。生まれたばかりだったんだから」


 その言葉にルトゥラが笑い声を上げ、クラウスとアディメイムも共に笑う。


 恐る恐る近付いてきたティルヤを手招きした日のことを思い出す。

 それももう、五十年以上前のことになるのだ。

 その情景を、今でも鮮明に思い出せる。

 あの小さな子供が立派に成長し、長として祭り上げられる程に皆に慕われるようになった。


 あいつはあんな風に笑いながら逝ったのだ。

 本当に満足のいく人生を送れたのだろう。


 クラウスの様子から、何を考えているかを察したのか、ルトゥラが笑みを浮かべながら口を開く。


「父は、ずっと二人に感謝をしていました。二人のおかげで今の自分があるのだと、いつも話していましたよ」

「ああ……知ってるよ」


 ティルヤは何も恩を返せていないと言っていた。

 だがそんな物は必要無い。

 クラウスはそんな物を求めてはいなかった。

 アディメイムも同じ筈だ。


 あいつが成長するのを見るのが楽しかった。

 それだけで十分だった。

 それ以上の見返りなど欲した事は無い。

 その成長ぶりを見て、誇らしく思ってさえいた。


 ふと気になって、アディメイムの顔を見た。

 隣に立つアディメイムは、いつもの穏やかな笑みを浮かべ、クラウスとルトゥラの話を聞いている。


 アディメイムは、ティルヤを失ったことに対して、どう思っているのだろうか?

 クラウスと同じように喪失感を抱いたりしているのだろうか?

 アディメイムの様子に以前と変わったところは無さそうに見えた。

 だが、ティルヤの死について、アディメイムが何とも思っていない筈など無い。

 ただ、それを表情に出していないだけなのだろう。

 傍から見れば、自分も同じように見えているのかもしれない。


 アディメイムは、もう何度もこんな事を経験しているのではないか。

 子供の頃に聞いた、死の女神を封印した英雄の物語。

 クラウスの知っているその物語の内容が真実であるのなら、アディメイムは元居た世界で幾人もの仲間や家族を失っている筈だ。

 こんな事を何度も経験するうちに、少しずつそれに慣れてきたりするのだろうか?


 丘の上に集まっている亜人達に目を向ける。

 彼らは皆、時が経てば死んでしまう。

 例外はクラウスとアディメイムだけだ。


 長い時間を共に過ごし、いつからか身近に存在するのが当たり前の様になっていた存在。

 それを失うという事がどういう事なのか、クラウスはわかっていなかった。

 そういう日がいつか来るということを、頭で理解はしていた。

 だがそれを実際に経験したのは、これが初めてだ。


 ティルヤはもういなくなってしまった。

 だが共に過ごした日々の思い出が、消えることは無い。

 クラウスがティルヤのことを忘れたりすることは無いだろう。


 だが、亜人たちは皆死んでゆく。

 今は皆がティルヤのことを知っているが、いずれはティルヤの事を知る者もいなくなる。

 そのまま、あいつの事は忘れ去られてしまったりするのだろうか?


 わずかな時間考えてから、クラウスは空を見上げた。

 その時は……もし誰もティルヤの事を知る者が居なくなってしまったなら、彼らに話してやろう。

 勇気を出して近付いてきた子供、勇敢で誰よりも強かった戦士の話を。

 そして、その時には……その戦士を育てたのは自分たちなのだと、自慢をしても良いだろうか?


「そうだな。そうしよう」

「クラウス? どうしたんです?」


 クラウスのつぶやきを聞いたルトゥラが、首を傾げながら問いかけてくる。


「ああ、この先……お前の孫とかひ孫とかにも話をしてやろうと思ってな。誰よりも強い戦士がいたって話をさ」

「ああ、それは……必要無いですよ。私たちが子供達にも伝えていきますから」

「そうか? じゃあ俺はあいつを育てたのは俺たちなんだって自慢だけさせてもらうよ」

「それは……父もきっと喜ぶでしょう」


 そう言って、クラウスとアディメイム、ルトゥラの三人は笑い合う。

 そうして笑った後に、アディメイムに目を向けた。

 アディメイムは亜人たちとは違い、いなくなってしまうことは無いだろう。

 だがいるのが当たり前などと思うのは愚かであるということを、クラウスは先日学んだばかりだ。


 ティルヤが二人に感謝していたのと同じように、クラウスもアディメイムに対して感謝の念を抱き続けていた。

 だがティルヤがしたように、それを言葉にして伝えたことは無かった気がする。


「アディメイム」


 クラウスの呼びかけに、アディメイムは何事かと視線を向ける。


「ありがとう」


 その突然の感謝の言葉に、アディメイムは驚いたようにわずかに目を見開く。

 クラウスは苦笑を浮かべ言葉を続けた。


「ああ……いや、何でもない。気にしないでくれ」


 そのごまかすようなクラウスの言葉に対して、アディメイムは楽し気な笑みを浮かべながら、地面に文字を書いた。


『これからもよろしく頼む』

「ああ、俺の方こそよろしく頼むよ」


 照れくささを隠そうとクラウスは顔を上げ、丘の上にいる弟子たちに目を向けた。

 ティルヤと共に過ごした五十年の歳月は、あっという間に過ぎていった。

 彼らもあっという間に年を取り、いなくなってしまうのだろう。


 大事なものを一つ失った。

 これから先も、多くのものを失う事になるのだろう。

 だがそれを悲しく思うのは、共に過ごした時間が掛け替えの無いものだったからではないだろうか。

 だからこそ、彼らと共にある時間を楽しみ、後悔の無いようにしなければと、そう思うのだ。


「じゃあ、はじめるか」

「わかりました」


 クラウスの言葉にルトゥラが頷きを返した。


 そうしてまた、残された者たちの日々は続いてゆく。

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さまよい人は帰り来たりぬ @makoto_jin

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