老いた戦士

 丘の上で亜人たちが剣の鍛錬を行なっている。

 クラウスとアディメイム、そしてティルヤの三人が、その様子を少し離れた場所から見守っていた。


 クラウスは隣に立つティルヤに視線を向け、声を掛ける。


「どうだ? 最近の調子は」

「流石に衰えた気がするよ。やはり年には勝てないみたいだ」


 そう言ってティルヤは笑みを浮かべる。


「そうか? 今ここにいる連中で、お前に勝てそうな奴はいなさそうだがな」

「今はまだそうかもしれない。でも、じきに追い越されるよ」


 そう語るティルヤの表情は穏やかだった。

 自身の肉体が衰え、他の者たちに追い越されていくことに対して、焦りや悔しさといった負の感情は抱いていないようだ。


 ティルヤに出会ってから、既に四十年近くが経っていた。

 その体毛には所々に白い物も混じっている。

 彼らの寿命は大体六十年程度なのだそうだ。

 ティルヤが六十歳になるまで、あと十年ほどだ。

 十年というと、随分と先の事のようにも思える。

 だがこれまでの時間……ティルヤと出会ってからの四十年を思い出すと、あっという間だったように感じている。

 その時はすぐにやってくるのかもしれない。


「……早いもんだな」


 この世界に放り込まれてから、五十年もの時間が過ぎたことになる。

 特にアディメイムに出会ってからは、時が過ぎ去って行くのを早く感じていた。


 強くなりたいと……アディメイムに少しでも近付きたいと思い、一日のほとんどの時間を鍛錬に費やした。

 そして、その合間のわずかな時間に周囲の景色を眺めて過ごす。

 ティルヤに出会って以降は、彼らに戦うすべを教える時間も増えた。

 クラウスは、それらの全ての時間を楽しんでいた。


 クラウス自身、この世界に来てすぐの頃と比べたら随分と強くなったと感じていた。

 いまだにアディメイムには及ばないが、それでも十回勝負すればニ回程度は勝てるようになっている。

 自身の技が磨かれ、洗練されていくのを感じるのは楽しかった。

 ティルヤをはじめとする弟子たちが成長し、強くなって行くのを見るのも楽しかった。


 亜人たちと共に過ごす毎日。

 今となっては、それが当たり前のようになっている。

 特にティルヤとは四十年もの時間を共に過ごしてきていた。

 彼らはクラウスやアディメイムとは違い、年を経るごとに老いていく。

 そしていつかはいなくなってしまうのだろう。

 ティルヤのいなくなった日常を想像してみたが、あまり実感は沸かなかった。


 亜人たちの鍛錬を見守るティルヤの横顔に目を向け、声を掛けてみる。


「今日は大丈夫なのか? 長殿おさどの。忙しいんじゃないのか?」

「俺は戦士としての力量を認められておさになったんだ。だから問題無い」


 からかうようなクラウスの問いに、ティルヤは苦笑を浮べながら答える。

 ティルヤは亜人達の集落の長となっていた。

 亜人達の集落で最高の戦士として皆に認められ、長として祭り上げられたのだそうだ。


 今、丘の上には三十人程の亜人たちが来ている。

 一時は数が増え過ぎて、この丘の上には収まりきらない程の人数がやってきていた。

 そのため、今はその人数を制限し、日を分けて通わせている。

 他の者たちは集落に残り、自分たちで鍛錬をしているようだ。


 四十年前、一人の子供が恐る恐る近付いてきたのが最初だった。

 その子供が成長して強くなり、周囲に認められるようになった。

 そして仲間を連れてきて、今はこんな大所帯になってしまっている。

 さらにその子は、集落を統べるおさになった。


「……随分と立派になったもんだ」

「俺のことか?」

「他に誰がいる?」


 クラウスのつぶやきを聞いたのか、怪訝な表情で問いかけてきたティルヤに、クラウスは笑みを浮かべながら答える。


「そうなのかな? 未だに二人にはまるで及ばないんだが」

「他の連中は誰もお前に追い付けていないんだ。あいつらはお前を認めてる。あいつらがお前をどう見てるかはお前にも分かるはずだ」


 彼らは半年に一度、皆で武の技を競い合うのだそうだ。

 そこで良い成績を収めた者は、勇者と呼ばれ称えられるらしい。


 そのため皆が鍛錬を重ね、しのぎを削って競い合っているらしいが、それでも未だティルヤに敵う者はいないらしい。

 年と共に肉体は衰えてきているようだが、魔力量は以前よりも増し、それを制御する技量についても、誰よりも優れている。

 技の切れもまた、年を重ねるごとに増していた。

 今思えば、元々才能もあったのだろう。

 その上、この年になっても鍛錬を怠ったりはしていない。

 他の者たちが彼に追い付くには、まだ時間が必要なようだ。


 一人の若い亜人が、三人の前まで歩いてきて、頭を下げた。

 そしてティルヤに声を掛ける。


おさ。ご指南をお願いしたいのですが……」

「ああ、いいとも」


 遠慮がちに申し出るその亜人に対して、ティルヤは笑みを浮かべて応える。


「頑張れよ、長殿おさどの


 からかうようなクラウスの言葉に、ティルヤは苦笑を浮かべながら歩いていく。


 ティルヤは若い亜人と何度か立ち合った後に、いくつかの助言を与えていた。

 その亜人の指導はそれで終わりだったが、他の若い亜人たちが自分も、自分もと次々に教えを乞いにやって来た。


 亜人たちの中では、ティルヤは特別な存在なのだろう。

 そのせいで、若い亜人たちからすると少し近寄りがたい存在にもなっているようだ。

 最初にティルヤに声をかけた、あの若い亜人も勇気を出してやっと声を掛けたのではないだろうか。

 ティルヤが彼らに慕われ、敬われているのが見て取れる。


 何故だろうか。

 その姿を見ていると、自分まで誇らしいような気分になってくる。

 

「……お前は十分立派になってるさ」 


 思っていた事が、無意識のうちに口をついて出てくる。

 横に立つアディメイムに視線を向けると、今のクラウスのつぶやきを聞いていたのだろう、楽し気な笑みを浮かべて、同意を示す様に頷いた。


 しばらくして、何人もの若い亜人達の相手を終えたティルヤが戻ってくる。


「大変だったな、長殿おさどの

「そんなことは無いよ。若い奴らは俺に遠慮してるのか、あまり声を掛けてこないせいで、相手をすることもほとんど無いからな。楽しい時間だったよ」

「皆をここに通わせなくても、集落でお前が教えてもいいんじゃないか?」


 そのクラウスの言葉を聞いたティルヤは、少し考えるような素振りを見せたのちに、笑みを浮かべた。


「俺でも教えることは出来るだろうが、より良い師に教えて貰えるのなら、そのほうがいい。二人が面倒だって言うなら考えるが」

「ああ……俺等は別に問題無い。もう何十年もやってきてるんだ。今更面倒だなんて言いやしないよ。だよな?」


 クラウスはそう言ってアディメイムに同意を求める。

 彼は笑みを浮かべ頷きを返す。

 それを見たティルヤは、まだ鍛錬を続けている亜人たちに目を向けた。


「俺程度なら、あいつらもすぐに追い付けるだろう。だが、俺なんかよりもずっと上の存在がいるんだってことを、あいつらも知っておいた方がいいと思うんだ。それを言葉だけでは無く、その目で見て理解しておいた方がいいんじゃないかと、そう思うんだよ」

「あいつらがお前に追いつくのは、そんなに簡単じゃ無さそうだがな」

「そうかな?」

「俺はそう思うがね」

「そうか……人数が増えたのもあるのかもな。俺はずっと二人に付きっ切りで教えて貰っていた。今は人数が増えすぎたせいで、二人に直接相手をして貰うのも難しい。その差が出てるのかもしれないな」


 そう語るティルヤの視線の先にいるのは、先程ティルヤが指導していた、数人の若い亜人達だった。


「最近参加するようになった連中はどうだ? お前の目から見て」

「まだまだだが、最初は皆そうだ。それでも真剣に鍛錬を続けていれば、必ず強くなれる」

「まあ、そうだな。お前は最初の頃、自分がどんな感じだったか覚えてるか?」


 そのクラウスの問いに、ティルヤは苦笑を浮かべ、何かを思い出すかのように、視線を上げた。


「最初の頃は……ただ何も出来なかったということしか覚えていない。二人の動きを見ても、どう動いているのか、まるでわからなかった。あいつらは、あの頃の俺に比べれば、まだずっとましに見える」

「まずお前が身に付けて、それを周りに広めた。そのお陰で、皆が子供の頃から色々学べるようになったんだ。そういう環境を作ったのはお前だろ?」

「ああ、そうか……そうだな」


 ティルヤは笑い、再び亜人たちが鍛錬している様子に目を向ける。

 その顔には何かを懐かしむような表情が浮かんでいた。

 そのまましばらく、ティルヤは無言で亜人たちの様子を眺めていた。


「良かったよ」


 突然、ティルヤが呟くように言葉を発した。


「ん? 何がだ?」

「あの日、勇気を出して良かった。今思えば、怖いもの知らずなガキだったから、あんな事が出来たんだと思う。もっと年を取って大人になってからだったら、あんな真似は出来なかっただろう」


 木の陰に隠れて様子を窺っていた子供。

 あの日、恐る恐る近付いて来たその子供の手が、震えていたのを今でも覚えている。


「丘の上にいる奴らには近付くなって言われてたんだよな?」


 そう言ってクラウスはアディメイムに視線を向ける。

 その視線を受けたアディメイムは、苦笑を浮かべていた。

 かつて、さまよい人を手に入れようと、彼に襲い掛かった者たちがいた。

 アディメイムは逃げる者まで追いかけて殺したりはしなかったようだ。

 そうして生き残った亜人たちが、この丘の上のさまよい人には決して手を出さないようにと話したのだろう。


 ティルヤに視線を戻すと、彼は楽し気な笑みを浮かべていた。


「丘の上には、恐ろしい不死者が住んでいると教えられた。命が惜しければ絶対に近づくなと、そう言い聞かされて育った。俺はあの日、その教えに背いたが……そのおかげで色々なものを手に入れることが出来た」


 懐かしんでいるのか、ティルヤは何処か遠くを見るような表情を浮かべる。

 しばらくして、ティルヤは近くに置いてあった木剣を手に取り、クラウスに向き直った。


「クラウス、相手をして貰えないか?」

「ん? ああ、いいぞ。いつも通りでいいのか?」

「ああ」


 ティルヤと打ち合う時には、ティルヤが魔力による身体強化を行い、クラウスとアディメイムは強化無しでその相手をする。

 いつも通りというのはそういう意味だ。

 それでも、ティルヤが二人に勝てたことは無かった。


 クラウスとティルヤが木剣を持って対峙すると、他の亜人達が動きを止め、二人に注目する。

 二人は通常よりも遠い間合いを保ったまま向かい合っていた。

 身体強化したティルヤであれば、一足で剣を届かせることの出来る間合いだ。

 強化無しのクラウスが間合いを詰めて攻撃しようとすれば、数歩前進しなければならない。

 それはティルヤに有利な間合いであった。


 クラウスが一歩前に出て間合いを詰める。

 それでもまだクラウスの剣が届く間合いには入っていない。

 対するティルヤの間合いには既に入っているが、ティルヤは攻撃を繰り出そうとはせず、逆に後ろに下がって間合いを外していた。


 クラウスが再び、一歩前に出た。

 その瞬間、クラウスの動きに合わせるようにティルヤが飛び込んで来る。

 限界まで強化した筋力により、その踏み込みの速さは凄まじいものになっていた。


 強化した自身の筋力に振り回されたりはしておらず、その肉体を完全に制御できている。

 本当に強くなったと、そう思う。

 だがそれでも、その打ち込みでクラウスを捕らえることは出来なかった。


 ティルヤの技がどれ程上達したとは言っても、アディメイムと比べてしまうと天と地ほどの差がある。

 そのアディメイムの剣を四六時中受け続けているクラウスからすれば、ティルヤの技を捌き切るのは難しい事では無い。


 ティルヤが上段から剣を振り下ろした。

 クラウスはたいを開いてそれを躱しながら腕を掴み、そのままティルヤを投げ飛ばした。


 それから、クラウスは地面に倒れているティルヤの手を引いて起き上がらせる。

 立ち上がったティルヤは、負けたというのに満足げな笑みを浮かべていた。


「ありがとう」


 クラウスに感謝の言葉を述べたティルヤは、今度はアディメイムに声を掛ける。


「アディメイム、相手をして貰えるだろうか?」


 その言葉にアディメイムは笑みを浮かべ頷きを返した。


 木剣を手にして二人が対峙する。

 二人の間合いは、先程のクラウスとの立ち合いと同じ、ティルヤに有利な間合いだった。


 数秒程して、ティルヤが動いた。

 一足で素早く踏み込み、木剣を振り下ろす。

 亜人たちの中に、全力で身体強化したティルヤの打ち込みに対応できる者は、恐らくいないだろう。

 だが当然アディメイムには通用しない。

 ティルヤの突進に合わせて、アディメイムは半歩後ろに下がって間合いを外していた。

 袈裟斬りに振り下ろされたティルヤの木剣は、アディメイムの胸を掠めるように通り過ぎる。

 ティルヤが間髪入れず二の太刀を繰り出そうとしたその瞬間、アディメイムがティルヤの手にした木剣を巻き取るように動き、そのまま跳ね飛ばしていた。

 木剣を失ったティルヤは、一瞬唖然としたような表情を浮かべたのちに笑みを浮かべる。


「ありがとう」


 ティルヤは笑顔で感謝の言葉を口にする。

 アディメイムも笑みを浮かべながら、ティルヤをねぎらうようにその肩を叩いた。


「もういいのか?」

「ああ」


 クラウスの問いに頷き、ティルヤは亜人たちに目を向ける。


「俺が魔力で肉体を最大限強化しても、強化無しの二人に敵わない。上には上がいるんだって事を、あいつらにも知っておいて欲しいんだ。あいつらも、いずれ俺を越えていくだろう。その時におかしな勘違いをしたり、自惚れて目標を見失ったりしないように」

「それは……大丈夫じゃないか? 今のお前みたいに、一人だけ突出して強いような奴も居ない。このまま皆で競い合っていきそうだがな」

「そうだといいんだが……。俺たちでは二人にはどうやっても敵わない。強くなって増長して、二人に挑んでくるような奴がもし居たら、手加減なしで叩き伏せてやって欲しい」


 ティルヤはそう語りながら、まるで眩しく輝くものでも見ているかのように目を細め、クラウスとアディメイムをじっと見ていた。

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