第9話 川の向こう ①
「今日も~働くラースは~」
自作の労働歌を口ずさんでラースは今日も斧を振り回した。
6月の厳しい日差しで、ひときわのどかな天気のせいで筋肉に満ちたラースの肉体は、森の茂った陰の下でも汗だくだ。
ズシッ。
絶えず振り回された斧に胴体を半分ほどへこんだ木一本が自らの重さに耐えられず結局倒れた。
倒れた木の柱の直径はおよそ50程度。
少し疲れた瞬間にちょうど座りやすい広さの株が現れると、ラースはしばらく息を引き返すことにしてその上に腰掛けた。
握っていた斧は地面に寝かせた木の表面に打ち込んだ後、ラースは水筒の蓋を開けた。
「ふぅ、助かった」
おのずと出る嘆声。
のどに流れ込んだ爽やかな清涼の気に全身を包み込んでいた暑さと疲れが一気に吹き飛ぶ。
「最近暑いよ。 持って行って」
と、寝ている間に目をこすりながら部屋から這い出てきたムームが朝に世話をしてくれたこの水筒でなかったら、自分はこの猛暑の中で疲れ果てて気を失ったかもしれない。
「水を冷たい状態のまま保存する水筒とは。 本当に不思議な物も上手に作るね」
この水筒もムームの発明品の一つだ。
内部温度を維持させる水筒。
似たような役割をする魔導具は村内にも存在するが、それらとの違いがあるとすれば、この水筒はまさに家で満たした水の温度そのままを保存していた。
もっと冷たくも、ぬるくもない。
まるで外部から内部を完全に隔離したような神妙な物だ。
「カートに目をつけたシャイロックにこの水筒を売ってみようか」という短い妄想をしながら、ラースはここ数日間の取引を思い出した。
「それにしても、シャイロックと取引を始めてもうひと月目かな。 収入は満足だけど、なかなか休めないっていうのはちょっと大変だね」
依然として不平は多いが、シャイロックは素晴らしい取引相手だ。
条件通り、指定された量よりもう少し多くの物を持ってくれば、シャイロックはその追加分の対価も確実に支払った。
予期せぬ支出にも全く慌てずためらうことなく計算をするのを見ると、シャイロックにとってお金はあまり問題にならないようだ。
そのようなシャイロックのおかげで大いに動機づけられたラースは思う存分斧を振り回し、その結果稼いだお金は一日6ゴールドから8ゴールドまで上がった。
もちろん、毎日極限まで力を使うせいで休息する時間さえ無駄に使えないというのが問題ではあったが。
「でも、この取引がいつまで続くか分からないし、今は昼が長い夏だから可能だよ。 もう少しで秋だ。冬まで来たら、昼間が短いから大変そうだから、できるだけ多くしておいた方がいいだろう」
櫓はもともと水が入ってきた時にかき混ぜなければならないものだ。
日が長い季節の徳を十分に享受しようと決心しながら打ち込んでおいた斧の柄に向かってラースが手を伸ばそうとした瞬間、
「ふむ。変だね」
すぐ後ろからなぜか少年の声が聞こえてきた。
「!」
まるで背中にぴったりくっついてささやくかのように、超近距離から聞こえてくる音声。
全身に鳥肌が立ったラースは、斧の柄を急いでつかみ、席を蹴って立ち上がった。
振り返ってみると、大きな黒いフードケープ姿の誰かがラースが腰掛けていた切り株とほぼ膝を触れ合うように立ち並んでいた。
声と小柄な体型から判断した場合、十代の少年。
深くかぶったフードのせいで顔は一片も見えないが、フードの少年はなんだかラースを不思議そうにぼんやりとのぞいているようだ。
(気づかなかった……。 一体いつから立っていたのだろうか)
足をいくら慎重に踏み出すとしても、地面を伝って伝わる微細な振動までは隠すことが難しい。
それに、自分はデュラハンだ。
触覚に敏感なデュラハン人自身が誰かがこのように近く接近する瞬間まで感知さえできないことは初めてだった。
まるでここに突然現れたようだ。
「だ……だれ?」
なおびえたままで質問を投げかけるのとは別に、ラースの両腕は本能的に握っていた斧の柄にさらに力を入れて肩のあたりまで引き上げた。
振り回す気なんて存在しなかったが、相手にだけは今にも斧を振り回す準備ができているというふうに十分見えたのだろう。
しかし、フードの少年はラースがそうであろうとなかろうと、少しの関心も持たない。
「確かにこちらも指していたようですが……ここにあるのはヒューマン族に見える単純なデュラハン。可笑しい」
首をかしげて独り言を続けるだけ。
なかなかのマイペースだ。
ちょうどその他に感想が浮かばない少年が当惑するラースはどうしていいか分からず、ただ中途半端な姿勢で斧だけを持っていた。
「ああ、ごめん、ごめん!」
そんなラースの雰囲気をついに察知したのか、少年はぐったりとした袖の隙間から真っ白な両手を伸ばして、慌てて左右に振った。
「私の名前はミュリサ。 会えて嬉しいよ」
自分をミューリサと紹介した少年は握手を求めるように、右手を差し出した。
「 不本意ながら驚かせてしまった点は本当にごめんね。ちょっと道に迷ってしまってね。 ハハハハ!」
ミュリサは道に迷ったのがやや恥ずかしかったのか、くだらない笑い声を言葉の末に付け加えた。
それこそ「傷つけません」という文字を額に書き付けたように無害さが多分に感じられる姿にラースも緊張をほぐした。
「大丈夫です」
ミュリサが差し出した右手を握ったラースは、
「こちらは深い森の中なので道に迷うのも無理はないですからね。 人通りがまれでもあるし。 あ、僕はラースと申します。 はは……」
一瞬臆病者のように大げさだった自分の姿がふと恥ずかしくなり、ミュリサと同じように言葉を濁しながら力なく笑った。
「はは……」
「はははっ……」
「ハハハハハハハハ!」
「ハハハハハハハハハハハ!」
「ハハハ……あの、左手のそれはそろそろ下げてくれない?」
「あっ!すみません!」
閑静な森の中で広がっていた照れくさそうな笑い声のメドレーは、ミュリサがラースの左手にぎゅっと握っていた斧を慎重に指さすことでついに終わった。
「あの……ミューリサさん?」
「うん?」
「先ほどあちらの方向からいらっしゃったようですが、まさか今対岸からいらっしゃったのではないでしょう…?」
ずっと気になっていた点だ。
ミュリサが歩んできた方向でまともな道は川辺を行き来する直線行きの道だけ。
普通の場合なら、その方向から誰かが歩いてくることはめったにない。
きっと森の中で道に迷ったあまり、草むらと木をかき分けながらうろうろして川辺の方に行った後、ここに到達したのだろう。
そのようにラースは思ったが、
「合ってるよ?」
違った。
「え??!」
びっくりして大声を上げるラースの反応にミュリサはむしろ何が問題なのかと首をかしげる。
「ここもぎりぎりの境界線ですが、川の向こうは確かな危険区域なんですよ。 亡混体でもぶつかって攻撃されたら大変だったのに…」
「亡混体?」
大騒ぎするラースの反応にも、ミュリサは初めて聞くかのように首をかしげた。
「あの怪物たちです! 川の向こうにあるですよ! 口の中に翼があったり、手足が一箇所にいくつもついていたり…。あれこれ全部怖そうなものです」
「あ、それら? そしてブサイクだなんて…… 見た目でからかわないで。 かわいそうじゃないか」
「そんなこと言ってないんですよ!」
ボディーランゲージで様々な忘却体の姿を真似しながらその危険性について説明していたが、聞くかどうか冗談を言うミュリサの反応にラースはかっとなった。
亡混体。
動物や怪物の死体に
混ざっているという表現にふさわしく、それらには一定の形が別になく、一様に怪奇な外見をしている。
角と歯が足や肩に生えた場合はよくある方で、さらにはお互いを噛みちぎろうとする頭を2つつけている個体もいる。
亡者のように魔力をエネルギーにして動く亡魂体は、ある種の理由で危険区域を通る亡者に深刻な攻撃性を帯びるが、いざお互いだけはあまり触らないという。
仲間意識というよりは、おそらく不必要な動きを最大限減らすことで魔力の保存を図る個体の生存本能が原因ではないかと思う。
「まあ、こう見えても足がかなり速い方だから、それらに出くわしても私なら簡単に逃げることができる。 しんぱいしないで。でも、気をつけて悪いことはないよ! ありがとう!」
「……」
肩をすくめて平気なように豪快な笑みを浮かべるミュリサの虚勢に、ラースは少し言葉を失った。
ムームの仕事を手伝っていたずいぶん前、ラースも一度だけ川の向こうにいる怪兄の亡混体と出会ったことがある。
それは川を渡ろうとしているのかあちこちに川岸をうろついていただけだったが、その一瞬で見ただけでラースは怪物が本当に追いかけてきたら絶対に逃げられないと直感した。
足が速いというだけでは解決策にならないほど。
「運がよかったですね…」
その時に見た恐ろしい姿とその体に似合わない速い動きだけを思い浮かべると、今も身震いが自ずと震えるラースは率直な感想を打ち明けた。
「大丈夫、大丈夫!ハハハハ!」
しかし, ラースがそうであろうとなかろうと, ミュリサはただ笑っているだけだ。
聖剣学院のデュラハン ~アンデッドだけど聖剣士を夢見る~ リノたん @linothang4180
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