第5話
到着ロビーはいつもよりは人出は少なかったが、テレビで以前見たようなガラガラ状態ではなかった。日本へ到着した人はまずPCR検査をする。検査が陰性であれば、今は隔離はなく外へ出ることができる。ただし公の交通機関とタクシーは使うことができず、車を使うしか方法がない。彰子はそのためにはるばる名古屋から車で来たのだ。
検査やビザの審査のために入国には時間がかかるだろう。二時十五分到着予定だけれど、どのくらいの時間がかかるのだろう。彰子は不安で到着出口で待っていた。到着時刻後二時間ほどすると少しずつ人が出てきだした。彼らは迎えにきた人を見つけ一緒に嬉しそうに去っていった。三時間たってもオリバーは現れなかった。オリバーらしい外国人を見つけると近づき、挨拶をしようとしたが全て人違いだった。四時間、五時間、どんどん時間が経っていった。最終便の到着時刻になり、最終便の人たちが出てくるようになった。
オリバーは日本に着いたらすぐ電話をすると言っていた。電話がないと言うことは日本についていないのだろうか。検査が長引き連絡できないのだろうか。電話が使えないのかもしれない。
彰子は空港関係者に残りの人はいないか尋ねたが、到着した人は全て出たはずだと言う。彼の乗ったという便の乗客名簿を調べても
らったが、そんな名前の人はいないという。彼に送った航空代金はどうなってしまうのだろう。彼は日本についたら返すと言っていた。
彰子は不安と猜疑心で心が折れそうになった。私の求めていた愛は何だったのか。やはり私は騙されたのか。彰子は急いで仮想通貨を確かめようとして自分のアドレスへ繋ごうとしたが、アクセスできない。何度も試みたが、繋がらなかった。退職金までも無くしてしまったのか。頭は真っ白になり彰子は立っていることができず近くの椅子に崩れ落ちた。呼吸も苦しくなってくる。不整脈が出たようだ。
「彰子さんじゃないですか?村上彰子さんじゃないですか?」と声をかけられた。見ると髪に白いものが混じった男性が立っていた。
「え?」彰子はその男性を見たが、マスクをしているので誰かわからなかった。
「私ですよ。新井ですよ」
「新井さん?どうしてここへ?」
確かにその男性には新井の面影があった。しかし昔の生き生きした活発な新井ではなかった。新井の顔に疲れた老人の影が一瞬通り過ぎた。
「知り合いを見送りにきた帰りに、ここを通りかかったんだ。そうしたら彰子さんによく似た人がいるからちょっと気になって。彰子さんこそどうしてここに?」
「よく私だと分かったのね」
「うん、何か落ち着きがなくうろうろしている女の人がいるなと思っていたんだ。誰か人を探しているような女の人。よく見ると彰子さんに似ているんだ。彰子さんこそ、どうしてここに?」
「一言で言えないわ。話せば長くなると思うわ」
「じゃー、コーヒーでも飲みませんか」
彰子は携帯を確かめた。オリバーからの電話もラインも何も入っていなかった。滲み出る涙を隠し、大声で絶叫したい衝動を抑えた。自分のした事が恥ずかしくとても人に言えない心境だった。
「そうね。私も疲れたから丁度いいかも」
二十数年ぶりに会った新井と彰子はコーヒーの飲める喫茶店を探した。歩きながら新井は言った。
「アルバイトの仕事ありがとう。やはり彰子さんに頼んでよかったよ」
喫茶店に着いてから一息入れて新井は言った。
「実は妻が急に亡くなったんだ」
「え?どうして?」
「くも膜下出血でね。とても元気だったんだけれど。急にね。コロナのせいで葬式も身内だけでひっそりと行ってね。活発で交際範囲の広かった妻には寂しい葬式だったけれど。今日は妻の身内を送りに来たんだ」
「そうですか。大変だったのですね」
頭が混乱してパニック状態の彰子は言葉が出なかった。しばらく沈黙が続いた。彰子は店内に流れている音楽が珍しくクラシックなのに気づいた。
新井はコーヒーを手に取り言った。
「彰子さんはインスタをやっているでしょう」
「あっ、知っていたんですか」
「もちろんさ、彰子さんのことなら何でもね」
窓を見ると外はもうすっかり暗くなっている。
店内の音楽は聞き覚えのあるシューベルトのピアノトリオになっていた。回転している彰子の頭の中でそのメロディーが渦を巻いた。呼吸が苦しい。不整脈が続いている。
ロマンスの影/峰原すばる R&W @randw
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