冷酷な覇王の予期せぬ溺愛 SS 「甘い朝」

甘い朝



「ターのこと、好きなんだ」


タールグは、目の前で顔を赤らめるレオナを見つめ、ごくりと唾をのんだ。


「だから……全部ターにあげるよ。全部

……」


レオナはいつのまにか裸になり、抱きついてくる。ついにこの時が来てしまったか。

タールグはこの上ない幸福感に満たされた。


「……優しくする」


絶対に気持ちよくさせてやる。後悔はさせない。

そう思いながら黒い髪を撫でて、首筋に口付けた。ぎゅうぎゅうと抱きしめる。


「ター、起きてる?」


レオナが、タールグの股間に太腿をぎゅうと押しつけた。ビクンと硬くなる。


「起きてるぞ。わかるだろう?」

「……一緒にいくよね?」


王子のくせに、なんて卑猥なことを口にするのか。だがそういう落差もまたいい。


「あぁ、お前の中でイキたい」




体を揺さぶられて、ふと目を覚ました。

腕の中には、寝巻き姿のレオナがいる。部屋の中は、まだ夜の暗さだ。


「……ん?」

「今日、庭に行くんだよね……?」


そうだ、今朝は早起きして離宮の庭へと向かおうと約束していたのだ。


「もう朝か」


タールグの頭の中から眠気のもやは消え、すっきりと目が覚める。体には力が漲り、下半身も朝特有の元気さを見せていた。しかしその股間をレオナの太腿に押しつけていたことに気がつき、すぐに体を離す。


何かとてもいい夢を見た気がしていたが、その残像を追うことはせずに起き上がった。

部屋の中の物は次第に輪郭を濃くし始め、夜の影は薄くなる。


急いで自分の部屋に戻り、支度部屋から護衛兵の服を持ち出した。万が一の時を考えて、さまざまな服を用意していたのが役立った。

着替え終えて再び階下へ戻ると、レオナはまだもたもたと着替えている途中だった。


「……何やってるんだ」


早くしないと完全に夜が明けてしまう。タールグはつかつかと大股で近づき、レオナの前に回り込んだ。ジャケットのボタンをとめるのに手間取っているらしい。


「手を外せ。俺がやる」


要領が悪い王子に代わってサッサと着せ終わると、レオナは顔を赤らめてタールグを見ていた。


「……ありがとうございます」

「……ん」


申し訳なさそうに縮こまるレオナの手を取って、隠し通路の中に入った。規則的に空いた通気孔から、ごくかすかに外の光が入る。


「暗いから、足元に気をつけろ」

「はい」


……と返事をしたそばから、レオナが階段を踏み外しそうになる。タールグは強く手を引き、レオナを起こした。


「……だから気をつけろと……」

「すみません」


しゅんと小さくなるレオナを見て、タールグはため息をついた。

このぼんくら王子は、何もないところですら、よくつまづいたり転んだりしているのだ。


タールグはしっかりと手をつなぎ直し、レオナの速度に合わせてゆっくり降りていった。

地上につくと、古い石の扉がある。


タールグは扉をよく点検してから、そっと押してみた。しかし何かに絡まっているのか、うまく動かない。細く開いた隙間から、蔦の根が見えた。


「切ったほうが早いかも」

「そうだな」


タールグは短剣を取り出し、隙間に差し入れて上下に往復させた。蔦を切り、扉を少し押す。その隙間から外の様子を窺い、誰もいなそうだと判断すると、体で押して扉を開けた。


「ここだけやけに蔦があるなぁと思ってたんだけど、扉があったからなんですね」


外に出たレオナが、宮殿の壁を見て言った。東の空が白み始めている。生まれたばかりの光は、容赦なくすべてを白日の下に晒すだろう。タールグは急いで愛馬を置いている厩舎へと向かった。

愛馬を手早く外に連れ出すと、朝の散歩に興奮しているのか、低くいなないて尻尾を揺らす。


レオナを乗せて二人で離宮に向かうと、木々の間に朝靄がけぶっていた。

鳥のさえずりだけが聞こえる。護衛兵もいないところにいるのは久々だった。

何かあれば、レオナを真っ先に守らねばならない。周囲を注意深く見回し、気を引き締めるタールグを尻目に、レオナは足取りも軽く屋敷の中へと入っていく。タールグは慌てて後を追った。暴漢が中に潜んでいたらどうするのか。

レオナは台所へ向かい、灰を火かき棒でつつき始めた。


「あったあった」


熾火を取り出して風を送ると、炭は赤く輝き始める。レオナはそれを木の箱に入った金属鉢に移した。


「俺が運ぼう」


この美しい木箱を自分で運ぼうとした王子が転び、三回ほど食堂が灰まみれになったことがある。

ガーフの報告でその事件を知っていたタールグは、レオナの返事を聞く前にさっさと自分で運んだ。食堂は、当初絨毯が敷かれていたが、灰と焦げで幾度も悲惨な状態になったため、今は木の床が剥き出しのままだ。


「ありがとうござ……わっ」


鈍い音と派手な金属音に振り返ると、レオナが転んでいた。水を入れた鉄のポットを持ったまま、慌てて追いかけようとしたらしい。


「大丈夫か?」


タールグは木箱をテーブルに置くと、レオナのもとに駆けつけた。


「……はい……すみません。床、拭かないと……」


「水だし、後でいいだろう。そのうち乾く」


レオナはうなずいた。しょげた様子で、「また水を入れてきます」と言って立ち上がる。


「いや、俺がやるから、お前は茶葉の用意をしろ。な? 俺だとそのあたりはわからないから、お前しかできない」


腕を軽く叩いて励ますように言うと、レオナはこくこくとうなずいて、茶葉をしまっている食堂の棚に向かった。

タールグがポットに水を入れ終えた時、また何かが割れる音がして、レオナの小さな叫びが聞こえた。

茶葉の入っていた瓶を落としたらしい。すぐ食堂に行くと、レオナは泣きそうな顔をしていた。


「ターに飲んでもらおうと思ってたハーブの瓶を、落としちゃった」


付き人たちの苦労が偲ばれる。


「いや、俺はなんでもいい。片付けは後にして、白湯でもいいから、ゆっくりしよう」


レオナはうなずくと、棚から別の瓶をいくつか取り出した。どう見てもまた手から滑り落ちそうなので、タールグは素早く横に行って瓶を持ってやった。


「普段使う分は、瓶じゃなくて、紙か布の袋に入れたらどうだ」


「それだと匂いがとんじゃうかも……」


ガラス片が混ざって飲めなくなるよりマシではないかと思ったが、グッと言葉を飲み込んだ。


「蝋引きした紙袋を、後でここに届けさせる」


レオナは目を丸くしてから、眉を下げて微笑んだ。


「ありがとうございます。今日はターがいるから、いつもより浮き足立ってしまって、失敗ばっかり」


タールグは目を逸らした。どうも照れ臭い。

レオナは鉄のポットを木箱の上に据えて湯を沸かす間、棚にしまっていた陶製のポットを取り出そうとした。


「あっ、俺がやる」


椅子に座りかけていたタールグは、サッと腰を上げた。


「え、でも……」

「お前は茶葉を混ぜたりするんだろう? 湯の具合も見張っていないと」


レオナはこくこくとうなずいて、鉄のポットの前に座った。

割れにくいカップを欲しがった理由が、今さらながらよく理解できる。

タールグが陶製のポットをテーブルに置き、今度は棚からカップとソーサーを出そうとした時、「熱っ」という声がした。


「大丈夫かっ?」


振り向くと、レオナは指にふぅふぅと息を吹きかけている。さては、熱したポットにうっかり触ったか。「うっかり」の種類の豊富さに驚きを禁じ得ない。


「平気だよ。……よくあることだから」


こいつはやはり庭か畑に置いておくのが一番だ。しかし大型の農具は決してその手に握らせないようにしないといけない。

タールグはレオナの隣に座った。険しい顔で手をとると、レオナはビクッと怯えたような反応をする。

指先を見ると、ごく小さな水泡ができていた。


「水がめでちょっと冷やしてこい。茶は俺が淹れる。ここにある葉を適当に入れればいいんだな?」


「うん、手前にあるのはスプーン一杯、真ん中のは半分、その奥のは一杯よりちょっと少なめにして入れて」


意外と細かい指示にタールグは面食らったが、「わかった」と言った。

茶を陶製のポットに入れて、湯を注ぐ。すぐカップに注ごうとすると、「だめーっ」という声がした。振り向くと、レオナが焦った顔でこちらに来ようとする。次の瞬間、顔が見えなくなった。つるっと滑って今度は後ろ向きに転んだのだ。


「えっ、おい、大丈夫かっ?」


タールグは思わず立ち上がった。濡れた床を拭いておくべきだったか。何回大丈夫かと言えばいいのだろう。


「む、蒸らさないと……」


尻を濡らしたレオナが立ち上がると、沈んだ様子で言った。


「……わかったから。とりあえず下を脱げ」


確か膝掛けが長椅子にあったはずだ。タールグはそれを素早くとって戻ると、ブーツを脱ぐのに手間取るレオナを手伝ってズボンも脱がし、膝掛けを巻きつけてやった。


「ここには着替えも置いてるんだ……」

「取ってくる」


こういう不測の事態に備えて、付き人たちが用意しているのだろう。

主寝室とつながる衣装部屋には、替えの服がいくつか置いてあった。そのひとつを手にして戻ると、レオナは椅子に座ってうなだれていた。


「ほら、着替えろ」


レオナはパッと顔を上げた。緑の瞳が潤んでいる。


「ごめ……僕、本当……全然ダメで……」


かわいそうなくらい、落ち込んでいた。


「いや……まぁ……火傷は? あと、さっき尻を打ったんじゃないか?」


「平気……」


タールグは着替えを終えたレオナを長椅子へ座らせると、庭に面した鎧戸を開けた。澄んだ朝の風が入り、すっかり明るくなった庭の景色が目の前に広がる。


「確かにきれいになったな、庭」


レオナのほうを振り返ると、ハッとした顔をしていた。それからうれしそうに笑い、首がもげるのではないかというくらい何度も深くうなずいた。


タールグは茶を淹れると、椅子を二つとサイドテーブルを庭の前に移動させて、レオナを呼んだ。


「こっちで飲もう」

「ごめんね、全部やってもらっちやって」

「気にするな」


二人で椅子に座り、庭を眺めながらお茶を飲んだ。

かなりの手間をかけて淹れた一杯はおいしく、タールグの冷えた体をゆっくりと温める。


「うまいな」

「ターの淹れ方、上手だね……」


茶を一口飲んだレオナが、ほぉっと息を大きく吐いた。


「そうか?」


レオナに褒められると、くすぐったいような、落ち着かない気分になる。


「おいしい」


レオナは笑って、カップを傾けた。

タールグは茶を飲み干すと、椅子ごとレオナのすぐそばに寄った。手を取って、火傷した指先を見つめる。


「大丈夫だよ?」


その指先をちょっと舐めると、レオナの顔が真っ赤になった。


「あの……」

「こうすると早く治る。昔教わった」


指をさらに大胆に舐めると、レオナは目をさまよわせてもじもじとした。

指を口から離すと、自然とレオナと視線がぶつかる。そのまま二人で見つめ合っていた。

レオナは熱のこもった目で、タールグをじっと見ている。

タールグもまた、この愛する存在から目を離せなかった。

放っておけない。そばにいてやらないと。もっと頼ってくれていい。

レオナは何か言いたそうに口を開いたが、唇を震わせるようにしてすぐに閉じた。

——もし、レオナが好きだと言ってくれたら。

タールグは少しだけ期待した。望みが叶えられなかった時の傷を最低限にするために、ごくかすかに抑えた期待。

でも、こういう時間を積み重ねていけば、きっと深い関係を築けるはずだ。


「……もうそろそろ戻らないといけないな」

「はい」


レオナはうなずくと、タールグの分のカップも持って立ちあがろうとした。


「あ、大丈夫だ。自分でやる」


レオナは決まり悪そうに笑った。


「僕だと割っちゃうからね」

「いや、自分のことは自分でやる主義だから」


レオナは恥ずかしそうに目を伏せて、顔を赤くした。一緒に台所へ行こうとして、ふと気がつく。


「あ、片付け……」


レオナが、割れた瓶と濡れた床を見て言った。なかなかの惨状だ。

レオナはカップをテーブルに置いた。この王子の性格からすると、ここをそのままにしておくことはできないだろう。だが片付けの際に二次災害が起きる可能性が高い。付き人たちがやったほうがいい。

しかしレオナはいつのまにかほうきを出していた。


「貸せ。俺がざっとやっておく。カップとソーサーはここに置いて、後で付き人たちに片付けさせればいい。ただし、俺が来ていたことは、付き人たちだけにとどめておけ。大臣や将軍にも言うなと念押ししろ」


「わかりました。でも、さすがに皇帝陛下に掃除をさせるわけには……」


タールグは、ごにょごにょと言い募るレオナの手から半ば強引にほうきを奪うと、手早く片付けた。茶を飲むだけで一苦労だ。


「ありがとう」


レオナは何か切羽詰まる形相で言った。


「ター、ごめんね。あの、今度から、絶対気をつけるから、だから、また……」


「あぁ、せめて週に一度は、朝の茶を楽しもうか」


レオナは一瞬虚を突かれた顔をしたが、頬を紅潮させて目を輝かせた。


「はいっ」


また視線が絡み合った。レオナはじっとタールグを見つめてから、恥ずかしそうに目を逸らす。

ふと、朝方見た夢が頭の中を一瞬通り過ぎた。

こんな顔で、レオナが抱きついてくれた気がする。

それはきっと、自分の願望だ。実際はそんなことが起こるわけじゃない。レオナから何かしてくれる、ということは。

でもこの二人だけの時間が、たまらなく幸せだった。できるなら、ずっとここでこうしていたい。

タールグはレオナの手を取り、宮殿へと戻った。


今まで、誰かと話すことにはすべて目的があり、得るべき結果があった。だが会話そのものを、その時間自体を楽しむという感覚を、レオナと出会って初めて知った。

——なんでもない時間というのは、いいものだ。

夕方までにはやるべきことを終え、レオナとゆっくり食事をしよう。

タールグの心を読んだかのように、愛馬は軽やかに宮殿へと駆けていった。

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