ちょっとだけ

 するする、きゅるきゅる。

「あ、朔斗君、どうしたの? お買い物?」

「ううん。これから、衣澄さんのお家に行くんだよ」

「え! 衣澄ちゃんのおうち!」

「そうだよ」

「行儀よくしろよ」

 ギョーギよく?

「うん!」




「三階の、一番端っこのところだよ」

「え、上がれるかなぁ……」

「階段で上れ」

「なんで?」

「行儀が悪すぎる」

 なるほど、ベランダに跳んで上がるのは、ギョーギが悪すぎることなのか。

「それに」

 律君が、指差す。

「花が置いてあるだろ」

「あ」

 遠いけれど、朔斗君の家のベランダと違って、沢山の細い棒のような柵だけで三方面を囲ってあるので、鉢植えの花が綺麗に咲いているのがよく見える。

「分かった」

 硬くて冷たくて狭い階段を、律君と朔斗君に引っ張り上げられながら上る。

「疲れたぁ……。抱っこ……」

「もう少しだぞ」

「できないぃ……」

「いいよ。おいで、真穂君」

「やめておけ」

「厳しいなぁ……」

「そうじゃない」

「違うの?」

「衣澄さんに会う前に転びでもしたらどうするんだ」

「大丈夫だって。……たぶん」

「たぶんじゃ大丈夫じゃないだろ」

「うん……」

 律君にひょいと抱えられ、ゆらゆらと揺られながら上がる。




「衣澄ちゃん!」

「わぁ! 真穂君、今日も元気だねぇ! 律君、朔斗君も、いらっしゃい!」

「今日は、お邪魔するね」

「お邪魔します」

「お邪魔じゃないよぅ。どうぞ、上がって!」

 律君に、玄関に座らされ、靴を脱がされる。

「……何してるの?」

他人ひとの家に来たら、靴は揃えて置くんだ。できれば自分の家でも」

「ふうん」

「気にしなくていいのに」

「そう言われても、気にするんだ」

「分かった」

 衣澄ちゃんが何故か、楽しそうに笑う。

「あ、そういえば、律君と真穂君、階段で来たの?」

「うん!」

 衣澄ちゃんは、ぼくたちがベランダまで跳び上がったり、ベランダから跳び下りたりするのが好きらしく、見る度に歓声を上げて喜んでくれる。

「ベランダのお花、ちょっとだけど、お片付けしたのに……」

「ありがとう。でも、万が一にも踏んでしまったら悪い」

「二人とも上手だから、大丈夫だよ」

「確実に大丈夫とは言えない」

「もう、気にしなくていいのに」

「気にする」

「優しいね、律君は」

「いや、別に」

「律君は、優しいんだよ!」

「ね、そうだよね?」

「いや……」

「うん、律君は優しい」

「やめてくれ……」

 いつも青白い頬を少し赤くした律君が、ふいと目を背ける。

「わぁ、衣澄ちゃんのお部屋、かわいい!」

 ベランダだけでなく、部屋の中でも、沢山の花や植物が元気いっぱいに生きていた。

「そう? ありがとう。朔斗君のお部屋より、ごちゃごちゃしてるけど……」

「勝手に触るなよ」

「あぁ、んん……。衣澄ちゃん、なあに、これ」

 きらきら光る、小さな瓶がいっぱい。

「あ、それね、お化粧道具だよ」

「お化粧?」

「そう。今日はしてないからねぇ、あんまり可愛くないでしょ、私」

「ううん。衣澄ちゃん、すっごくかわいいよ」

「ほんと?」

「うん。衣澄さんは、お化粧なんかしなくても綺麗だし、僕、なんならしないでほしいよ」

「しないでほしいの?」

「だって、そんなに色々塗ったら身体の負担になるよ。時間とお金と手間をかけてまですることじゃないよ」

「そっかぁ……」

「あ、いや、もちろん、お化粧してる衣澄さんも綺麗だし、頑張ってお洒落してて凄いなって思うし、お化粧が悪いっていう訳ではなくて、その……」

「分かってる! 分かってるって!」

 衣澄ちゃんが、朔斗君の腕をばしばしと叩く。

 朔斗君と衣澄ちゃんの、いつもと、ちょっとだけ違う顔。

 二人が話していると、時々こういう顔になる。

 この時の朔斗君と衣澄ちゃんも、大好き。

 でも、ちょっとだけ、寂しい、かも。

「あ、ごめんね。お外がいいかな?」

 衣澄ちゃんが、ぼくの顔を見て言う。

「うん!」

「じゃあ、どうぞー。ちょっと、狭いかもだけど……」

「ぼく、お花好きだもん!」

「あら、なら、良かった!」

「俺もいいか、真穂と一緒で」

「うん、もちろんいいよ。そうだ、何か要る? 小説はいっぱいあるし……あと、お絵描きの紙と色鉛筆、クレヨンとかもあるし……」

「ぼく、持ってきたよ。折り紙と、ブロックと、塗り絵も!」

「俺もある」

「あ、そう? じゃ、もし足りなくなったら、言ってね」

「うん、ありがとう!」

「ありがとう」




 するする、きゅるきゅる。

「二人とも、帰るよー」

「え、もう?」

「もう、って、結構ゆっくりさせてもらったけどな?」

「楽しかった?」

 朔斗君の肩越しに、衣澄ちゃんの笑顔が覗く。

「うん!」

「楽しかったから、時間が短く感じるんだよ」

「そっか!」

「そうだよ!」

「ねえ朔斗君、朔斗君のおうちにも、お花置こうよ!」

「あぁ、そうだねぇ……」

「わ、いいじゃない! 教えてあげるし、なんならお世話もしちゃうけど?」

「だって! 朔斗君!」

「うん、考えておくよ」

「ほんとに考える?」

「考えるって」

「怪しいなぁ」

「怪しくないよ」

 また、いつもと、ちょっとだけ違う顔だ。

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