しちにんのトム

 するする、きゅるきゅる。

「あぁ! 衣澄ちゃん!」

「真穂君! 律君!」

「衣澄さん、こんにちは」

「わ! 元気だった? 元気だね!」

「衣澄さんがびっくりしてるだろ。離れな」

「いや!」

「ふふ、いいの、いいの。お気遣い、ありがとうね」

「いや、すまない」

「いいんだって。あ、そうだ、二人にお土産!」

「え! 何!」

「真穂君にはね、絵本だよー」

「わあぁ! ありがとう! 初めて見た、これ!」

「あ、そう? よかったぁ! 律君にもね、本だよー」

「あぁ、わざわざ、ありがとう……」

 律君は、硬い表紙の、あまり厚くはない本をくるくると引っくり返して、眺めている。

「ちょっと大人の恋愛小説だよ。あんまり読まないかな?」

「偶に、かな……」

「別に、押し付けたい訳じゃないんだけどね、良かったんだよ」

「へぇ……」

「気が向いたら、読んでみて」

「あぁ。ありがとう」

「二人とも、良かったねぇ。ありがとう、衣澄さん」

 衣澄ちゃんの肩越しに、朔斗君の優しい顔が覗く。

「ありがとう! ねえ、衣澄ちゃん、衣澄ちゃん!」

「なあに?」

「お礼! ちょっと、待って……」

「え、何だろうなぁ?」

 ええと、確か、この箱……。

「あった! はい……、これ……!」

 夢に染まった、何十冊もの塗り絵の本。

「大丈夫か」

 重くて崩れそうになるのを、律君が支えてくれる。

「うん、ありがとう……。はい、衣澄ちゃん」

「え、わぁ! ほんとに見せてくれるの?」

「うん!」

「ありがとう! 嬉しいなぁ!」

 衣澄ちゃんは目を輝かせて、早速ページを捲っている。

「あげる!」

「え?」

「あげる! 衣澄ちゃんに、全部あげる!」

「や、でも、真穂君の大事なものじゃないの……?」

「いいの。全部塗っちゃったから、もう塗れないんだもん」

「そっかぁ。でもさ……」

「受け取ってあげて」

「朔斗君……」

「あげるの!」

「うん……分かった。本当にありがとう! 真穂君!」

「どういたしまして! ね、律君、これ読んで!」

「自分で読めるだろ」

「読めるけど、読んで!」

「えぇ……」

「おねがい! おねがいおねがいおねがい!」

「分かったよ……」

 ベランダに座り込んだぼくたちを見送るように、静かに窓が閉まる。

 律君の膝の上に座って、表紙が開くのを、じれったく待つ。

『七人のトム』

『昔々、大きな海を渡ったずっと向こう、小さな島国に、七人の青年がいました』

『名前はみんな、トムでした。名前だけでなく、顔も、背格好も、みんな一緒でした』

「そしたら、誰が誰だか分からなくなっちゃうよ」

「そうだな。どうしていたんだろうな」

「うーん……。ちがう色の服を着て、ちがうお家に住む!」

「その手があったか。俺は、諦めて、誰が誰だか分からないまま暮らすと思った」

「えぇ! でも、そしたら、そしたらさ……」

 そしたら、どうなるのだろう。

「うーん……」

「続き、読もうか?」

「うん!」

『七人のトムは、名前も見た目も同じでしたが、心は違っていました』

『とあるトムは、優しいトムでした。とあるトムは、心配性のトムでした。とあるトムは、怒りっぽいトムでした。とあるトムは、自信家のトムでした。とあるトムは、寂しがり屋のトムでした。とあるトムは、のんびり屋のトムでした。とあるトムは、遊び好きのトムでした』

「じゃあ、誰が誰だか分かるね!」

「どうやって?」

「どうやってって、目を見たら、すぐに分かるよ! あぁ、でも、遠くにいたら、分かんないかも……」

「そうだな。でも、遠くにいても、大きな声を出して喋ったら、分かるんじゃないか」

「そうだね! じゃあ、大丈夫だ! ね、続き! 続き読んで!」

「あぁ」

『七人のトムは、大きなお家で、一緒に暮らしていました』

「わぁ、こんなにおんなじ見た目の人がいたら、目がちかちかするよぅ……」

「そうだな。もし自分がトムだったら……」

「どのトム?」

「どのトムがいい?」

「ぼくはね、優しいトムがいい! 律君は?」

「俺は、八人目のトムになる」

「どんなトムなの?」

「もっと優しいトムだ。優しいトムは、人のことばっかり考えているから、自分のことを疎かにしてしまう。だから俺が、優しいトムに優しくするんだ」

「でも、もっと優しいトムは、もっと自分のことを疎かにしちゃうよ?」

「確かに、そうだな。どうしようか」

「ぼくが、もっと優しいトムに、優しくするんだ。そしたら、二人とも優しくしてもらえるよ」

「あぁ、本当だ。流石だな、真穂は」

「へへ」

「じゃあ、続き、読むぞ」

「うん!」

『七人のトムは、仲良く、平和に暮らしていました』

『ですが、ある朝、遊び好きのトムがいなくなっていることに、六人のトムは気が付きました』

「あそびに行っちゃったのかな?」

「そうかもしれない。でも、違うかもしれない」

「ちがうと、何なの?」

「何だと思う?」

「川に泳ぎに行ったら、ワニに食べられちゃった」

「そうだな。そういう悲しいことが起こらないとは言えない」

「うん……」

「続き、読もうか」

「うん」

『どれだけ待っても、遊び好きのトムは帰ってきませんでした』

『いつもわいわい楽しそうだったトムがいなくなり、大きな家の中は、とても静かになってしまいました』

『どのトムだったか、今となっては分かりませんが、とあるトムが、遊び好きのトムの部屋にあったトランプを広間に持ってきました』

『六人のトムは、大きなテーブルを囲み、毎日、朝から晩まで、賭けに耽りました』

「それじゃあ、死んじゃうよ!」

「そうだな。どうしたと思う?」

「うーん……。どうしても、どうしてもお腹が空いて、森に木の実を取りに行きたくなる」

「俺は、みんな死んでしまうと思う」

「そうかなぁ……」

「分からない。さて、どうするのか」

「うん……」

『六人のトムはみんな、喉が渇いてきました。お腹も空いてきました。けれど、賭けが楽しくて、水を汲みに行く気も、林檎を取りに行く気も起こりません』

『そのうちに、六人のトムは、賭けをする気も起こらなくなってしまいました』

『大きなテーブルに突っ伏すみんなの中に、一人、立ち上がる者がおりました』

「自信家のトムだ!」

「どうだろうか……。お、」

『自信家のトムでした』

「やっぱり!」

『自信家のトムは、自分ならみんなを元気にすることができると言って、意気揚々と家を出ていきました』

『ところが、どれだけ待っても、自信家のトムは帰ってきません』

「え……」

『五人のトムは、自信家のトムなら大丈夫だろうと思うと、不思議と、力がみなぎってくるのでした』

「元気に、なったの……?」

「これは、元気か?」

「なんか、違うかも……」

『気分が良くなったのんびり屋のトムは、日向ぼっこをしてくると言って、家を出ました』

「いや……」

『ところが、どれだけ待っても、のんびり屋のトムは帰ってきません』

『次々に仲間がいなくなるので、四人のトムは、心が、とても疲れてしまいました』

『疲れた四人のトムは、何日も、何日も、眠り続けました』

『ある晩、心配性のトムが目を覚ましました』

『心配性のトムは、遊び好きのトムと、自信家のトムと、のんびり屋のトムを探しに行くと言い張って、家を出ました』

「やだ! 行かないで!」

「俺は、探しに行ってみる価値はあると思う」

「でも……」

『ところが、どれだけ待っても、心配性のトムは帰ってきません』

「ほら……」

『三人のトムは、遊び好きのトムと、自信家のトムと、のんびり屋のトムと、心配性のトムのことが、心配で心配で仕方なくなりました』

『心配で、心配で、心配で、三人のトムは、一睡もできません』

『怒りっぽいトムは、眠れないと、もっと怒りっぽくなりました』

『怒りっぽいトムは、苛々して、苛々して、優しいトムと寂しがり屋のトムに、暴力を振るってしまいました』

『寂しがり屋のトムが目を覚ますと、怒りっぽいトムの姿はありませんでした』

『寂しがり屋のトムの隣には、優しいトムが倒れていました』

『優しいトムは、冷たくなって、死んでいました。寂しがり屋のトムをかばって、死んだのでした』

「寂しがり屋なのに、一人になっちゃった……」

「そうだな……」

『一人になってしまった寂しがり屋のトムは、とても寂しくなりました。でも、それだけではありませんでした。遊びたくて、力がみなぎって、疲れて、心配で、苛々して、誰かの為になることをしたかったのです』

『心が一杯になった寂しがり屋のトムは、泣きました。ずっと、ずっと、泣き続けました』

『おしまい』

「え、おしまい……?」

「あぁ、おしまいだ。だが……」

 律君が、絵本をぱたんと閉じる。

「おしまいにしなくたっていい」

「そうなの?」

「そうだ。寂しがり屋のトムは、この後、どうなったんだろうか」

「うーんと、ええと……。こんこんって、ドアをノックする音が聞こえるんだ」

「ほう」

「寂しがり屋のトムは、あんまり泣くから気付かなかったんだけど、誰かが、勝手にドアを開けて入ってくるの」

「勝手に? 怖いな」

「うん。でも、寂しがり屋のトムは、怖いとは思わなかったんだよ」

「なぜ?」

「だって、もう、一人じゃないから」

「そうか」

「律君は? どうなったと思う?」

「俺は、いなくなった六人のトムが、全員帰ってくると思う」

「でも、優しいトムは、死んじゃってるよ……」

「自信家のトムが、魔法の薬を持って帰ってくるんだ」

「優しいトムが、生き返る薬?」

「そうだ。七人のトムは、そうやって、一緒に生きてきたんだ」

「わぁ……」

 律君のお話の方が、ずっと素敵だ。

「真穂のも、なかなか面白い。この小さな島国に、七人のトム以外の人がいたんだな」

「最初はいなかったよ。でも、船に乗って来たんだよ」

「そうか」

 するする、きゅるきゅる。

「私、そろそろ、ばいばいするね。お邪魔しました」

「えー! もう帰っちゃうの?」

「そうなの。ごめんね。でも、明日、学校で会えるよ」

「ほんと!」

「うん。ほんと! 明日ね、私、お弁当作っていくから、お店に行かなくていいんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。こんなにいっぱい、プレゼントもらっちゃったからね」

 衣澄ちゃんが、塗り絵の本の山を掲げて見せる。

「あ、あのね、衣澄ちゃん」

「ん、なあに?」

「絵本、律君に読んでもらったんだよ」

「あ、そうなの! どうだった?」

「悲しいけど、悲しくなくって、面白かった!」

「へえ! 悲しいけど、悲しくなかったのか!」

「うん!」

「私は、悲しいだけだったんだけどなぁ」

「あのね、いなくなった六人のトムがね、帰ってくるんだよ!」

「え? でも」

「優しいトムはね、生き返るの! 自信家のトムがね、まほうの薬を持って帰ってくるんだ!」

「へえぇ! そうかぁ! 凄いなぁ、真穂君は。悲しいお話を、悲しくなくしちゃうなんて!」

「ううん! これは、律君のお話!」

「え! そうなの! 律君、とっても面白いよ!」

「ありがとう……。で、真穂は」

「やっ! 言わないでっ!」

「え、真穂君も考えたの?」

「うん……」

「教えてよぅ! お願い!」

 衣澄ちゃんのお願いならば、仕方ない。

「うん……。いいよ……」

「トムしかいなかった島国に、誰かが船に乗ってやってきて、トムの家の扉をノックする。寂しがり屋のトムが泣いていて気付かない間に、扉を勝手に開けて入ってくる」

「わ、ホラーな展開……」

「いや、寂しがり屋のトムは、怖がらなかった」

「どうして?」

「もう、一人じゃないから」

 衣澄ちゃんは、律君の顔をじっと見つめたまま、固まっている。

 ほら、やっぱり、つまんなかったんだ。

「素敵……」

「え?」

「だろ」

「うん! とっても素敵だよ! 真穂君!」

「そう、かなぁ……」

「随分楽しそうだね?」

 衣澄ちゃんの肩越しに、朔斗君が覗いている。

「うん、とっても楽しいの! 聞いて、朔斗君。真穂君と律君がね……」

「やあぁ! 言わないでぇっ!」

 もう一度、自分の作った話を聞かされると思うと、もっと恥ずかしい。

「えぇ? どうしてよぅ」

「やだ! やだったらやなの!」

「じゃあ、車の中で聞こうかな」

「一緒だよっ! 一緒に行くんだからっ!」

「あはは! そっかぁ! じゃ、メールにしようかな? それならいい?」

 衣澄ちゃんが言うのなら、仕方ない。

「うん……」

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