がっこう

「お、起きたか」

 とても広くて、硝子と木でできている、けれど、息苦しい所。人も沢山……。

「うん……」

 ぼくは、律君の膝の上に座っている。

「ちょっと、待て」

 いつものように、朔斗君を挟むように座るため、膝から下りようとすると、律君に止められる。

「ん、なんで……?」

 律君が、黙って朔斗君の右側の席を指差す。

「あ……!」

 この間の。

「衣澄ちゃん!」

「声がでかい」

 おじいさん先生の話を聞いていた衣澄ちゃんが、こちらを見て微笑む。

「お洋服、かわいいね!」

 白いような、オレンジ色のような、黄色いような、ピンク色のような、ふわーっと長いスカートが、とっても可愛らしかった。

「ありがとう」

 小声で言った衣澄ちゃんが、また、おじいさん先生の方を向く。

「律君、塗り絵、渡してあげてくれる? 鞄に入ってるの……」

 ぼくと衣澄ちゃんのやり取りを、にこにこしながら見ていた朔斗君が、ひそひそ声で言う。

「あぁ」

「え? わぁ……!」

 恐竜や、昔に生きていた鳥や虫の、真新しい塗り絵の本。

「ありがとう!」

「お礼は、朔斗に言いな」

「うん。ありがとう! 朔斗君!」

「どういたしまして。二人とも、仲良くね」

「はぁい!」

 早速、まっさらの塗り絵に、色を付けていく。

 ベランダによく来るスズメは茶色だけれど、昔いた鳥は、黄色だったかも。

 ワニは、ピンク色かな。

 アリは金色。

 トリケラトプスは、青色。

 葉っぱは、赤色。

 トンボは、虹色――

 学校のチャイムが鳴って、夢の中から引き戻される。

 衣澄ちゃんと朔斗君が、机の上を片付け始める。

 律君は、読んでいた小さな本に栞を挟むと、上着のポケットに大事そうに仕舞う。

 ぼくも、塗り絵と色鉛筆を片付けて、朔斗君の手提げ鞄に入れる。

 衣澄ちゃんと朔斗君が立ち上がったので、ぼくも律君の膝から下りて、少し柔らかくて滑らない床に立つ。

 傍を、大きなお兄さんやお姉さんが、沢山通り過ぎていく。

 話し声と笑い声と足音と衣擦れの音と色んな金具の当たる音。

 色んな人の匂いと色んな柔軟剤の匂いと色んな香水の匂い。

「律君……」

 律君にしがみつき、お腹に顔を埋める。

 律君が、ぼくの両耳を塞いでくれる。

「もう、大丈夫だ」

 聞こえるようになった耳に、最初に聞こえてきたのは、律君の声だった。

 見回すと、広い部屋には、ぼくと、律君と、衣澄ちゃんと、朔斗君以外、誰もいなかった。

「お昼ご飯、食べに行ってもいい?」

「あぁ」

「えぇ……」

「衣澄ちゃんも、一緒に来てくれるって」

「ほんと!」

「うん。ほんとだよ」

 朔斗君の後ろから、衣澄ちゃんの可愛い笑顔が覗く。

 静かになった学校の中を、律君と朔斗君の間で手を繋いで歩く。

「あ! お外! お外だ! はやくぅ!」

 二人の手を引いて、白い光の差し込む硝子扉へ走る。

「ちょ、ちょっと、待って、衣澄さんもいるんだから……」

「いいの、いいの! 私も、お外、大好き!」

 もたもたしている朔斗君の横を、衣澄ちゃんが飛ぶように駆けていく。

「衣澄ちゃん、速ぁい!」

「へっへぇ」

 笑いながら、衣澄ちゃんが、硝子扉を開けてくれる。

「わぁぁい!」

 明るくて、温かくて、沢山息が吸える。

「はあぁ! 今日は、気持ちいいねぇ!」

「うん!」

 踊るように出てきた衣澄ちゃんと、手を取り合って踊る。

「ね、お昼ご飯も、お外で食べようよ」

「え、お外で?」

 あの、人が一杯の、色んな音と匂いのする所に、行かなくてもいいの?

「あぁ、いいね。ただ、ご飯買いに行くのだけ、ちょっと我慢してくれる?」

「うん。分かった!」

 ざらざら、きんきんした歌の流れる店の中を、律君に抱っこされながらやり過ごす。

「ここにしようか」

 涼しくて、人気のないベンチ。

 また、朔斗君を挟むように座ろうとした所を、律君に止められる。

 いつもとは少し違う感じにもじもじしながらも、途中だった塗り絵を引っ張り出す。

「ほんとに、食べないの?」

「うん。お野菜、嫌ぁい」

「食べられない訳ではないけど、必要ないから。勿体ない」

「そうなんだ……」

「お絵描きの方が、楽しいもん!」

「小説の方が、面白い」

「そっか」

 また、夢の続きを始める。

 三葉虫は、銀色。

 プテラノドンは、黒色。

 花は、緑色。うーん、これじゃなくて、もっと青っぽい緑色――

「できた! 見て!」

「おぉ、凄いなぁ!」

「でしょー」

「見せてぇ」

 衣澄ちゃんが、朔斗君の手に広げられた塗り絵を覗き込もうとする。

「や、だめっ!」

 急いで、塗り絵の本をひったくる。

「えぇ、どうして?」

「だめなの……」

 何故だか、恥ずかしくて恥ずかしくて、顔が真っ赤になる。

「ねぇ真穂君、僕、衣澄さんにも、真穂君の塗り絵見てほしいんだよ」

 お願いっ! と、手を合わされて頼まれては、仕方ない。

「ちょっとだけだよ……」

「分かった。ちょっとだけ。ありがとう」

「ありがとう、真穂君!」

 ぼくから塗り絵の本を受け取った朔斗君が、それを広げて、衣澄ちゃんに見せる。

「わぁぁ……!」

 衣澄ちゃんが、目を輝かせて、ぼくの塗り絵を見ている。

「ね、ちょっとだけって言ったでしょ! もう、おしまい!」

「待って、もうちょっとだけ!」

 衣澄ちゃんに頼まれては、仕方ない。

「ね、この木が水色なのって、水を沢山吸ってるから?」

「違うよ。頑張ってもお日様まで届かなかったから、お日様とおんなじ色になりたかったんだよ」

「昔のお日様は、水色だったの?」

 衣澄ちゃんが、目を丸くする。

「そうだよ」

 当たり前でしょ。

「じゃあ、昔の水は、何色だったの?」

「ええとね、オレンジ色とか、紫色だよ」

「へえ! そうなんだあ!」

 衣澄ちゃんがまた、塗り絵をまじまじと見つめる。

 もう、全然、「ちょっと」ではないけれど、いいや。

「私、真穂君の塗り絵、大好き! これしかないの?」

「うん、今日はね。おうちに帰れば、あるけど」

「そっかぁ……。じゃあ今度、見せてよ! 絶対だよ!」

「いいよ」

 衣澄ちゃんと、指切りげんまんをする。

「じゃあ、またね」

「次の授業は、一緒じゃないの?」

「うん。次一緒なのはね、明後日かな」

「そうなんだ……」

「明後日は、すぐだよ」

「そうなの?」

「うん。すぐだよ」

「分かった……」

「じゃあ、ばいばーい!」

「ばいばーい……」

「気を付けて」

「またね。ありがとうね」

 みんなで名残惜しげに手を振り合って、一時のお別れをする。

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