せんせい

 肩の上を、尖った風が抜ける。

「わ、律君、はやいよぅ!」

 怖くて閉じてしまった目を、恐る恐る開ける。

「悪い」

「朔斗君! とってぇ!」

「ん? っと……」

 爪先に当たって跳ねたボールを、朔斗君が上手にキャッチする。

「わぁ! すごい、朔斗君!」

「そう? 偶々だよ。はい」

「ありがとう! ほんとにすごいよ、朔斗君。片手でとっちゃうなんて!」

 朔斗君の左手には、何やら難しそうな本が握られている。

「それ、なんの本?」

「あぁ、これはね、ロシア語の本だよ」

「ろしあご? どいつご、じゃないの?」

「ドイツ語もやってるよ」

「えーごは?」

「英語も、やってる」

「面白いの? ろしあご」

「うん、面白いよ。ほら、見て、この文字」

 朔斗君の隣に腰掛けて、本を見せてもらう。

「絵みたい」

「そうだね」

「これはね、剣と盾みたいだよ」

「あぁ、ほんとだ」

「これは、すべり台」

「そう言われると、すべり台にしか見えなくなってくるね」

「これは、横にしたおしり」

「あははは! そっか、そっか!」

「何してるんだ」

 律君も、こちらに歩いてくる。

「律君、みて!」

「ん、何だ」

「へんな字!」

「ふうん」

 律君は、難しい顔をして、朔斗君と一緒に本を覗き込んでいる。

 つまらないので、落ちていた枝を拾って、地面に線を描く。

 剣と、盾。

 すべり台。

 横にしたおしり。

 もう一つ、すべり台。

 階段がなくて、登れないな。

 じゃあ、作っちゃおう。

 ぎざぎざ。ぎざぎざ。

 できた!

 これで、すべり台で遊べる!

「どんな風に読むんだ?」

「ええと、これはね、」

 朔斗君の口から、不思議な音が飛び出す。

 朔斗君の声も、朔斗君の声じゃないみたいだ。

「なにそれ! 朔斗君、もっかいやって!」

 朔斗君が、また、不思議な音を出す。

「面白い! もっかい! もっかい!」

 朔斗君は、何度も何度も、不思議な音を出してくれる。

「じゅ……?」

 律君が、朔斗君の真似をして、不思議な音を作ろうとしている。

 律君のも、聞いてみたい……。

「そう、上手だね」

 また、朔斗君の不思議な音。

「じゅる、なーる……」

「うん、そんな感じ」

「じゅるなーる」

「おぉー。凄い、律君」

 律君ができるのなら、ぼくもやりたい。

「じゅ……」

「ん、いいねぇ、真穂君」

「じゅ、っ……?」

 何だっけ。

 朔斗君が、また、お手本を聞かせてくれる。

「じゅるぅ……」

 悔しい。

 律君と朔斗君が上手で、格好良くって、悔しい。

「じゅるぅ、なー……」

「あ、そうそう。真穂君も上手」

 朔斗君に、頭をよしよしと撫でられる。

 朔斗君が上手って言うんだから、上手なんだ。

「じゅるなーる……。ジャーナル、みたいな意味か?」

「うん、まさにそれ。雑誌、とか、そういう意味」

「なるほど」

 頭のいい二人の会話を聞いて、せっかく嬉しかった気持ちが、萎んでいく。

「真穂」

 律君が、ぼくの顔を覗き込んでいる。

「なあに……」

「草鉄砲、もう一回教えてくれ。どうやるんだったか」

「えぇ? もう忘れちゃったの?」

「あぁ、頼むよ」

「しょーがないなぁ!」

 律君の手を引っ張って、硬くて細長い草の生えている草むらを目指す。

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