白と黒

古田 いくむ

第1話 私は、本当は、何も知らなかった

 玄関の隅に転がっている、キャプテンマーク。サッカーをしている長男のものだ。


 長男は高校三年生。4歳からサッカーを続け、高校は特待生として招いていただいた。そして高校三年生でキャプテンになった。100名を超える部員を束ねなければならない重圧、それはしばし荒波となり我が家を何度も飲み込んだが、最後の選手権が終わり部活は引退となる。


 「もう、終わりだね~」と歌の一節を玄関を箒で掃きながら歌っていると、あわただしく長男がドアを開ける。


 「キャプテンマーク、忘れた!やべぇ!」学校名が大きく書かれたそれを取ると、またバタバタと飛び出していった。


 この子はいつもこうだ。もはや怒る気も、呆れる気力もなく、笑うしかない。


 しばしば、この子の育児について人に問われることがあった。運動神経はどうやって磨けばいいのか、精神面のフォローはどうやっているのか、食事の管理はどうやっているのか、勉強はどうやってさせているのか、どうやったら親の言う事をきくようになるのか、等々。その度に私はこう答える。


 「私は、衣食住の面倒を見ているだけで他には何にもしていないのよ」と。


 そんなわけないと言われるが本当の事だ。


 私は何も知らなかったから、そうするしかなかった。


 家族で食卓を囲む幸せも、栄養バランスが考えられた献立の必要性も、子どものめんどうはどこまで見なければならないのかも、子どもに寝かしつけが必要なことも、話を聞いてあげる必要性も、何も。

 

 結婚して子どもができたら、ちゃんと愛せるはず。私と同じような子にはしない。ちゃんとお父さんとお母さんがいて、笑顔が沢山ある家庭を作る。私が「されて嫌だったこと、言われて嫌だったこと」をこの子にしなければいいだけ。


 そう思っていた。


 機能不全家庭で育ったり、虐待を受けて育った人は『自分に子どもを育てられるか不安』と思う人が多いのだそうだけれど、私は「家庭」というものに関しての強い憧れが勝った。


 それがなぜなのか虐待の連鎖という言葉に触れるたびに考えてみるのだけど、多分、「誰かに必要とされたい」とか「愛されたい」という欲求が強かったことと「自分の幸せは自分で勝ち取っていく」という負けん気の強さ。そして、だらしなかった母を見下す気持ちがあったからなんだろうなという結論に至った。


「私は、あの人とは違う人生を歩むんだ。同じようにはならない」ずっと、強く思い続けていたように思う。


 そこまで執着してしまった理由は、顔がそっくりだったことが一番大きいと思う。幼いころから「まるでコピーのようだ」と言われて育った。くだらない理由に聞こえるのだけど、被虐待児としては大問題。例えて言うなら、殺人犯と顔がそっくりと言われているのとさして変わらない。整形でもしない限り、ずっと付き纏う呪いにも似た重圧を抱えながら、沢山の紆余曲折、行き止まり、断崖絶壁を乗り越えて私は結婚した。


 今までと何も変わらず、ただ一人が二人になるだけだと思っていたのは大間違いで

色んな場面で自分の「無知」を実感することが多かった。


 礼儀作法だったり、頂き物をしたときにどうしたらいいのかとか、ご近所や上司の奥様とのやり取り、そして子どもへの接し方。一つ一つが未知の世界だった。


 夫や、義父母の助けがあって一般常識のフォローは出来ても、育児に関してはそういう訳にはいかない。だから育児相談に行って教えを請いてみるものの「自分には経験がないのでわからない」ということを受け入れてもらえないのだ。経験がないわけがない、曲がりなりにもここまで育ってきたっていうことはそれなりに面倒を見てもらっているはずだと言われてしまう。


 ここにいる相談員とやらは、おなかが空いて木の実を貪り食った経験も、善意で差し出されたお菓子で空腹を満たした経験も、心を殺して無の状態になる練習もしたこともない人種なのだと思い、相談することも止めてしまった。


 「知らない、わからない」と口に出した瞬間に、固まっていく表情。偏見に満ちた目。二言目に出てくる「児童相談所」の言葉や判で押したような「ソレハオツラカッタデスネ」


 すべてに辟易した。


 「普通」の生活をやっと手に入れた。


 「普通」に毎日旦那が帰ってきて

 「普通」に毎日、ご飯を作って

 「普通」に家族で一緒にテレビを見たり、会話をして

 「普通」の時間に寝て、起きる


 どんなに表面を繕っても、無知や経験がないことをカバーできない。何とも言えない居心地の悪さがあった。まるで異国に放り込まれたような寂しさが消えなかった。


 主人の強い希望で、立ち会い出産をした。陣痛が強くならずに促進剤を使用して、長い長い分娩となったが、力強い産声を上げてくれた長男。


 子を愛せないのではないかという不安がなかったわけではないが、生まれた長男の姿を見て、色々な複雑な思いが吹っ飛んでいったことは確かだった。単純に「愛しい」と思うことができたことに、何より自分が一番びっくりした。


 ただ、「愛しい」という気持ちだけではやっていけないのが育児。


 愛しいからこそ、ちゃんと「普通」に育ててあげなくてはいけない。その一心で育児書を読み漁った。育児書だけではなくて育児雑誌も、ちょっとしたテレビのコーナーも。


 けれど、一生懸命もがけばもがくほど深みにはまっていく。今になってみれば教科書通りになんて育たないことも、子どもの生まれ持った気質があることも、親との相性があることもわかるのだけれど、当時は経験の無さを知識でカバーしようとしていた。


 必死だったのは当然だけれど、それ以上に「普通の人はこれほど手をかけてもらって育ったんだ」という虚しさや絶望感が一番堪えた。そりゃあ、知識でカバー出来ない訳だと悟った。


 ふと、鏡を見た。


 酷い顔をしていた。体重は減らないのに頬はこけ、目の下にはクマが広がっているし、眉間にはいつの間にか盾に皺が入っていた。


 人の顔は、生き方で変わる。リンカーンも言っていた。「男は40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」と。これは、性別にかかわらず誰しもに当てはまる言葉だろうと、キャバ嬢時代や風俗嬢時代に思っていたことだが今の私は…


 あんなに忌み嫌っている母親に、そっくりな顔をしていた。


 あんな風にならないと決めていたのに、どこをどう間違えたのだろう。自分が頑張ってきたことは何だったのだろう。


 もうどうでもいい。そんな黒い感情が表に出てしまうまで、そこからあまり時間はかからなかった。


 


 


 


 

 


 


 


 

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白と黒 古田 いくむ @nakanohito12

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