生まれ変わるの、諦めました

CHOPI

生まれ変わるの、諦めました

 いつもは静かな小さな街が、今宵はオレンジ・黒・紫を基調とした色に染まっている。……あぁ、早いものだ。もうそんな季節なのか、と思いを馳せる。

「トリック オア トリート!」

 元気な声が玄関の外から聞こえてきた。……まったく、毎年飽きずによくやるなぁ。

「はーい」

 外に向かってそう声をかけて、あらかじめ用意していたお菓子をキッチンの棚から取り出して、玄関の方へと向かった。扉を開けてみると、そこにいたのは傷メイクを施して、黒いマントを羽織った、黒い猫耳の子が一人。

「はいよ」

 そう言ってお菓子を手渡すと、目の前の子はニッコリ笑って『ありがとう!』と言う。


 ……、まだまだ修行が足りないな、黒い耳が動いてしまっている。風も無いのにマントも不自然に動いているから、恐らく尻尾が揺れているんだろう。っていうか、動くのを隠し切れないのなら、全部隠せる仮装を選べばいいんじゃないのか……?


 色々な思考が脳内を駆け巡って、自然と漏れだしてしまったため息。それを見ていた目の前の子が一瞬、不満げな顔をする。だけどその子が何かを言う前に、問答無用で指をぱちり、と鳴らした。途端に目の前にいた子が、ぼふん!という音と共に白い煙に包まれて、その煙が消えたころ、その場にいたのは、やっぱり、黒猫。

「……もっと修行しないと、あっちのお祭りには連れていけませーん」

 そう言うと黒猫は『ちぇっ!お師匠さまのけちんぼ!』などとぬかし始める。


 ……あのねぇ。大騒ぎになっちゃうでしょう? ヒトっていう生き物は、やけにそういうのに敏感なんですよ。


 それらは言葉にせず飲み込んで、代わりに一言『けちんぼで結構!』とだけ言う。その言葉に黒猫は白い歯を見せ『イーッ!!』と言うと、そのまま玄関から部屋の中へと上がり込んでくる。黒猫にとって勝手知ったる家の中、その歩みに迷いはない。迷わず進む黒猫の後を黙って追いかける。黒猫は目的の部屋にたどり着くと、ドアノブを開けるためにもう一度、変化の術でヒトの(耳と尻尾が隠せていないから、もどき、だ)姿に変わって部屋の中へと入っていった。その背を見ながら自分もその後に続く。……いつもなら文句のひとつは口をついて出るところだけど、今日はまぁ、大目に見てやる、ことにしよう。


 開けた部屋の中。魔法陣が張られた結界の中、置かれている一つの大きな鏡。その鏡に向かって黒猫が『○×△☆♯♭●□▲★※』と発すると、鏡が光って一人の白髪の年老いた女性を映し出した。穏やかな笑みを浮かべるその女性の頬には、優しい笑い皺が刻み込まれている。白いシャツの上から柔らかなグレーのカーディガンを羽織って、茶色いロングスカートを履いていて、どことなく漂う気品の中、首に着けているハート形のロケットだけは、年齢に見合わずどこかちぐはぐだった。その女性を見た黒猫は静かに『……、もう、こんなに』と呟いた。


「……ヒトの一生は、長いようで短いからな」

 鏡を呆然と見つめている黒猫の背に向かって言うと、黒猫は俯いて小さな声で『わかってる』と一言返してくる。

「だから、一生懸命変化の術を練習しているのに」


 はやく、しないと。会えなくなっちゃうよ。


 その小さな声は、だけど痛切なものだった。


「……だったら焦るな。確実に修行を積むしか、近道はない」

 あまり感情を乗せずに黒猫にそう告げる。黒猫は『……わかってる』とだけ言って、もう一度鏡に向かって『○×△☆♯♭●□▲★※』と発した。映し出されていた女性の姿は消えて、代わりに映ったのは黒猫と自分。


「……選んだのは、ボクだから」

 顔を上げた黒猫が、鏡越しにこちらを見ながら言葉を紡ぐ。覚悟の決まっている黒猫の目は、キレイなアイスブルーに輝いていた。


 ******


 どれくらい前の事だったか。とは言っても、自分にとっては最近の事だけど。あまりにも暇を持て余してあっちの世界をフラフラしていたら、影の薄い黒猫を見つけた。

「……ねぇ、キミさ。そのままだと消えちゃわない?」

 声をかけるとその黒猫は『ボクが視えるの!?』と叫んだ。

「……まぁ。キミに近しい存在でもあるから」

「え、話もできるの!?」

 黒猫の目が大きく見開いた。アイスブルーのまんまるな大きな目。表情豊かな子だな、なんてのんきに構えてしまう。

「キミ、そろそろ選ばなきゃダメじゃない? 次に行くべきところをさ」

 そう言うと、黒猫は俯いた。

「……わかってるんだ、早く選ばないとダメだって。だけど、どうしても、あの子から離れたくなくて」

 そう言って物思いにふけろうとするから、めんどくさいと思って黒猫の額に右手をかざす。すると黒猫の思い返している記憶の映像が、鮮明に脳内へと流れ込んできた。


 ――にゃんにゃん!


 まだ歩き方も覚束おぼつかない、小さなヒトの女の子。その子が危ないことをしようとするたび、黒い尻尾でたしなめた。その子が泣くたび、お腹にくりくりと頭を押し付けてなだめてやった。その子が笑いながら撫でてくれるたび、ゴロゴロとなる喉を抑えられなかった。ずーっと、いつまでも一緒。そう信じて、疑わなかった。


 ……だけど悲しいことに、獣の寿命はヒトのそれより遥かに短く。最期に見たヒトの子の顔が、涙に濡れていたことだけが、どうしても気がかりで。


「……なるほどねぇ……」

 この黒猫の場合、幸せな猫生を全うしているし、すぐに輪廻のサイクルの流れで生まれてこれるはずだ。希望を出せば、虹の橋のふもとで彼女を待つことだってできる。……だけどこの黒猫は、それじゃ嫌だと、思ってしまったのだ。


 ……一つだけ。自分にしかできないことを思いつく。そうして黒猫に、ある提案をした。

「輪廻から外れる、覚悟はあるかい?」


 ******


『輪廻から外れる。代わりにキミは、あのヒトの子にもう一度会うことが出来るかもしれないよ』

 その提案をされたボクは戸惑った。輪廻から外れるということは、二度とあっちの世界には生まれることが出来ない、ということだ。ボクはずーっとボクでいることになる。だけど、考えた末に、ボクは決めた。


『ボクはもう一度、あの子に会いたい』


 そう伝えたあの日以降、ボクはお師匠さまの元で必死に変化の練習中。

『ちゃんとヒトの子の姿を保つことが出来るようになったら、あの子にもう一度会わせてあげる』

 そのお師匠さまの言葉を信じて。……だけど、悔しい。頑張っても頑張っても、どうしても上手くいかなくて。だからといって、ここで挫けるわけにはいかないんだ。どうしても“ボク”が“あの子”に伝えたいから。


「……仕方ないなぁ……」

 眉を寄せながら、それでも口元が緩んでいた、なんだかんだで優しいお師匠さまが、指をぱちり、と鳴らす。

「いつも真面目に頑張ってるキミに。ほんの少しだけ、ご褒美、ね?」


 ******


 暗い夜道。大通りはハロウィンの光で輝いているけれど、一本道を変えれば少し不気味さの漂う夜だった。昼間に買い物に出かけた時に、うっかり買い忘れをしていたことに気が付いて、仕方なしに今、こうして暗い夜道を買い物に出かけていた。最近、うっかり、ということが多くなってきたように感じる。もう、自分もそんなに若くないのだということを認めなければいけない気がして、それ以上は考えるのを止めることにした。


「とりっく おあ とりーと!」

 突然どこからともなく、白い布を被った小さなおばけの格好をした子が現れる。こんな時間に子どもが一人で、とか、一体どこから、とか。思うことはたくさんあるはずなのに、だけどそれを全部ふっとばして『あらあら、お菓子?』なんて言いながらお菓子を探してしまう。買い物に出た際に本当にたまたま、時間が時間なのもあって安売りされていたお菓子を買っていたのを思い出して、それをあげると、小さいおばけは嬉しそうに揺れていた。


「ありがと! だいすきだよ!」

 元気のいいお返事、なんて思って瞬きをしたら、跡形もなくその子は消えていた。……あらまぁ、いやだ。いよいよ幻覚まで視えるようになったのかしら……? そんな風に思っていると、どこからともなく、猫の鳴き声が聞こえた気がして。首に常に着けている、ハート形のロケットを握りしめた。忘れたことなんて一度も無い。大好きな、あの子。


「……黒猫だったから、天使じゃなくて魔法使いさんに拾われちゃったかしら?」

 そんなことを考えて、だけどそれでもあの子が寂しい思いをしていないのなら、それでいいような気がしてしまって。なんでもいい、どんな形でも、あの子が今、ちゃんと幸せでいてくれているなら。


「それに。こうやって、死者の世界と繋がる日に会えるなら、それも悪くないもの、ね?」

 ……長生きしていれば、またいずれ、あの子に会えるかしら?

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