第11話 ジュエリーボックス


「ごめんね、ソフィア」

 

 真っ暗な部屋の中で、サラは、天井にロープを括りつけた。


 月明かりが照らすその先端には、首を吊るための輪があり、サラは椅子の上に立つと、その輪を首に巻きつける。


「……私も、今から行くからね」


 椅子から足を踏みだせば、一瞬だろう。

 

 サラは涙を流しながら、これまでの幸福な日々を思い出した。


 一年前、町で青年と出会った。


 ロバートと名乗った、その青年との時間は、とても満ち足りたもので、彼が、本当は伯爵家の人間だと知った時は、とても驚いたが、それでも『結婚しよう』とプロポーズしてくれた彼の気持ちに、サラは快く答えた。


 当然、妹のソフィアも喜んでくれた。


 これまで貧しい生活をしてきたが、伯爵家に嫁げば、これまでにない裕福な生活をさせてあげられる。


 だが、伯爵家で暮らすなら、伯爵家にふさわしい人間にならなくてはならない。そこでサラは、ソフィアが恥をかかぬよう、毎日のように文字を教えた。


 多少、厳しくとも、妹のためになると思った。


 だが、そんなある日、サラが大切にしていたジュエリーボックスがなくなってしまった。


 箱の中には、ロバートからプレゼントされたアクセサリーや婚約指輪が入っていた。


 サラは、必死に探したが、結局ジュエリーボックスが見つかることはなく、大切な指輪をなくし、サラは、ロバートに合わす顔がなかった。


 そして、不幸は、更に続く。


 両親を流行病で亡くして以降、二人だけで暮らしてきた妹が、馬車にひかれて亡くなってしまったのだ。


 きっと、神様が罰を与えたのだと思った。


 下級階層でありながら、上流階級の彼と、結婚する夢を見てしまった。


 だから、神は、身の程を知らぬ自分に罰を与えたのだと


「ソフィア、ロバート……ごめんね……っ」


 愛しい人とは結ばれず、大切な妹も失ってしまった。

 

 顔を涙で濡らすサラは、もう限界だった。


 生きていく希望すら見いだせない。

 

 サラは、すっと息を吸うと、覚悟を決めたのか、椅子から足を踏み出した。


 ──コンコン。


 だが、その時扉が鳴った。


 もう夜は更けた。

 こんな時間に尋ねてくる知り合いなんていない。


 サラは、そのままやり過ごそうと目を閉じる。

 だが、その時


「お姉ちゃん」


 と、今度は、声が響いた。


 そしてその声は、妹の声に、よく似ていた。


「……ソフィア?」


 サラの手は、ロープから離れ、おもむろに玄関に向かった。


「ソフィア!」


 扉を開け、外にいる人物を見やる。


 すると、そこには、長い髪をツインテールにした眩いばかりの美少女がいた。


「え……?」

 

「夜分、遅くに失礼致します。サラさん」


 すると、今度は、その少女の背後から青年が現れた。

 

 黒髪で背の高いその青年の顔には、覚えがあった。


「あ……あなたは、ロイヤルメールの」


「はい。ルノアールと申します。覚えていてくださったんですね」


「な、なんですか!? また手紙を届けに来たんですか!? 何度来ても私は」


「受け取るつもりはないでしょうね。いたのなら」


「……っ」


 その言葉に、サラはゴクリと息を呑む。

 

「な、なんで……っ」


「家族を亡くしたあと、仕事まで辞めたと聞きました。その上、頑なに伯爵様を遠ざけていた。それで、ふと思ったんです。関わりのある人間との関係を全て断ち切ったあと、死ぬつもりでいるのではないかと。だから、一刻も早くお伺いした方がいいと思い、こんな時間に押しかけてしまいました。そして、今日は郵送員としてではなく、探偵として話があります」


「た、探偵?」


「はい。数日前、とある方から、ご依頼を受けました。貴女のジュエリーボックスを見つけて欲しいと」


「とある方?」


「はい。あなたの妹である、です」


「え?」


 その瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。


 妹から?

 だが、そんなはずはない。

 

 だって、ソフィアは、もう亡くなっているから。


「な、何を言ってるんですか……ソフィアは、もう……っ」


「そうですね。ソフィアさんは、二週間前に亡くなった。ですが、例え依頼主が亡くなっていたとしても、一度受けた依頼は、最後までやり遂げます。それが、私たちの父の教えでもありますから」


 エヴァンが微笑めば、今度は、サラの前にジェイムズがやってきた。


 そして、差し出されたものは、サラがずっと探していた、ジュエリーボックスだった。


「これ……っ」


「川の中で見つけた。少し湿ってるけど、指輪もアクセサリーも全部入ってる。これで、伯爵様と結婚できるだろ」


「な、なんで、そのこと」


「実は、伯爵様からも、ご依頼を受けているんです」


 すると、エヴァンがまた口を挟んだ。


「今回の件に関して、伯爵様は全てご存知です。そして、全てを知った上で、また一つ、ご依頼を頂きました。貴女に贈り物を届けて欲しいと」


「……贈り物?」


 すると、今度は、エヴァンの背後から、ルークが大きなトランクをもってやってきた。


 そして、そのトランクを開けば、中には、美しいドレスが収まっていた。


「ド……レス?」


「はい。そしてこれが、舞踏会の招待状です」


「舞踏会?」


「はい。ロバート様は仰っておりました。『指輪なんて、いくら失くしても構わない。それよりも、君がこの世から、いなくなることのほうが怖い。だから、ずっと僕の傍にいて欲しい』と。そして『この気持ちに、答えてくれるなら、このドレスを着て舞踏会に来て欲しい。再び会えた時は、君を、正式に婚約者として紹介する』と」


「っ……」


 差し出された封筒を受け取ると、サラは、再び涙を流した。


 一方的に拒絶して、何も言わず去ろうとした。

 

 それなのに、まだ愛してくれている。

 それが、嬉しかった。でも──


「ごめんなさい……行けません……っ」


 その手紙を握りしめ、サラは言葉を続ける。


「こんな私が、伯爵様と結婚なんて、烏滸おこがましかったんです……だから、神様は罰をお与えになったんだわ。私からソフィアまで奪って……ソフィアが死んだのは、きっと私のせいです。それなのに、私だけ、幸せになるなんて……っ」


 すすり泣く声が、夜の世界に響き渡る。

 

 家族を失った気持ちは、自分たちにも、よくわかった。


 でも、だからこそ――


「そのジュエリーボックス、開けてみて」


 地べたに座り込んだサラに向かって、アルムが声をかけた。

 

 目が合えば、そのアルムの姿が、不思議と妹と重なって、サラは言われるまま、ジュエリーボックスの蓋を開いた。


 ~~♪


 すると、そこからは、優しいオルゴールの音色が響いた。


 そして、ジュエリーボックスの中には、箱いっぱいにバラの花びらが敷きつめられていて、その上には手紙が添えられていた。


【お姉ちゃん、結婚おめでとう。絶対にロバートさんと幸せになってね】


 その手紙を見た瞬間、サラは息を呑んだ。

 震える指先で、ゆっくりと、その文字をなぞる。


「なんで、ソフィアの……っ」


 死んだ妹から、手紙が届くはずがない。

 だが、それは間違いなく、妹の字だった。

 

 よく綴りを間違えていた、拙い妹の字。


「これが、ソフィアの願いだよ」


 すると、アルムが、更に語りかける。


「だから、叶えてあげて。お姉ちゃんが、幸せになってくれないと、安心して天国にいけないみたいだから」


「ぅう……ソフィアぁぁ…ッ」


 すると、サラは、その場で泣き崩れた。


 最愛の人からもらった指輪と、妹から届いた最後の手紙。それが収まったジュエリーボックスを抱きしめながら、声をはりあげ慟哭する。


 神の罰か、妹の願いか。

 どちらをとるかは、明白だった。


 そして、そんなサラに寄り添いながら、アルムが涙を流した。


(さよなら、お姉ちゃん。どうか、幸せになってね……っ)


 まるで、亡くなった妹が、そこにいるかのように。


 アルムは、妹の代わりとばかりに、姉の傍に、いつまでもいつまでも寄り添っていた。

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