第3話 物々交換


「ルーク、何やってるんだ!」


 目の前の光景に、エヴァンは酷く狼狽ろうばいしていると、その声を聞き取ったのか、ルークが、そっと視線を向けてきた。


「あれ? エヴァン、もう仕事は終わったの?」


 美しいマリンブルーの瞳が細められ、玉のように透き通るような声が、エヴァンの耳に入り込む。


 それは、毎日、聞いている弟の声だった。

 一つ下のルークの声。


 だが、何をしているのか?

 いや、何をしているのかは、見ればわかる。


 しかし、その女性は誰だ?

 まさか、彼女?

 いやいや、彼女がいるなんて、一言も聞いてない。


「ル、ルーク、その子は……っ」

 

「ねぇ。もう、おしまいなの?」


 すると、ルークに抱きついていた女が、物欲しそうに、そう言った。


 ルークほど整っているわけではないが、女の方も、どちらかといえば綺麗な方だった。


 ブラウンの髪はふわりと波打ち、胸元が大きく開いたドレスを着ていることから、職業は踊り子か娼婦だろう。


 すると、ねだるように見あげる女の手を掴み、ルークが、ニッコリと笑いかけた。


「ゴメンね。お兄様に見つかっちゃったから、また今度ね」


 そう言って、あっさり女を引き離したルークは、ひらひらと手を振り、女を追い返す。

 

 すると、女の怒りは、邪魔をしたエヴァンに向かったらしい、キツく睨みつけられたかと思えば、足早に去っていった。


(な……なんて、恐ろしい目をした女なんだ)


 初対面の女に睨まれ、エヴァンは苦笑する。


 弟の女性関係を、とやかく言いたくはないが、できるなら、あの子とお付き合いするのは、ご遠慮願いたい。


「こんなところで、何やってんの?」


 すると、立ち尽くすエヴァンの元に、ルークがひょこひょことやってきた。

 

 見てはいけないものを見たからか、ちょっと気まづい空気が流れる。


「お、お前こそ、何やってたんだ」

 

「え? 何って、見て分からなかった?」

 

「いや、分かるが……今の子は、彼女なのか?」

 

「うんん。お客さん」

 

「お客さん!?」

 

「うん。劇場のね! ──て、そんな顔しないでよ。別に悪いことはしてないよ。今のは、単なる物々交換」

 

「物々交換?」


 全く意味がわからない。なにより、キスをしながら、何を交換するというのか?

 

 すると、気難しい顔をするエヴァンを見て、ルークがあきれながら


「あの子、踊り子やってるんだけど、あの日、仕事でロンドンにいたんだって」


「え?」


 あの日──その言葉に、エヴァンは息を呑んだ。


 ルークのいう"あの日"とは、あの日のことだ。


「そうだったのか」


「うん。だから、事件のことで、何か知らないか聞き出してたんだけど、ここから先は、キスしてくれたら話すって言うからさ、お望みどおりね。まぁ、誰かさんが邪魔してくれたおかげで、肝心の情報は聞きそびれちゃったけど」

 

「う……」


 ニッコリと、だが、どこか悪魔的な笑顔を向けられ、エヴァンは口ごもった。


 まさか、父の事件の真相を探るために、女とキスをしていたなんて。


「だからって、そんな条件飲んでまで」

 

「別に気にしなくていいよ。をやってる僕にとっては、キスの一つや二つ、なんてこともないし。でも、さすがに限界は感じてるかなぁ。やっぱり、難しいのかもね、ロンドンで起きた事件の情報を、ロザリオこっちで得ようなんて」


 ルークの青い瞳が、悲しげに揺れる。

 

 事件が起きてから、もう三ヶ月。


 父を殺した犯人の足取りは、全くつかめていないどころか、警察の捜査もそろそろ打ち止めになりそうな勢いだった。


 できるなら、このまま、迷宮入りにはしたくない。


 だが、遠く離れたロンドンでの情報を、こちらで得るには、限界がある。


「……ロンドンに、戻りたいと思うか」


 すると、エヴァンが、神妙な面持ちで問いかけた。

 

 ロンドンに移り住めば、今よりは、事件の情報を集めやすいかもしれない。

 

 だが、それをするという事は──


「それ、本気で言ってる? 父さんと暮らしていたあの家を離れたいとは思わないよ」

 

「……そうだよな」

 

「ほら、そんな顔しない! 心配しなくても、僕が、地下からでも空からでも、情報あつめてくるから! それより、仕事は? もう終わったの?」

 

「あ……!」


 そうだった、伯爵家からの手紙が!


「しまった! まだ、残ってたんだ!」

 

「もう日が暮れるよ。どこまで行くの」

 

「カルデア通り」

 

「じゃぁ、僕も行く」

 

「な……来なくていい、お前は先に」

 

「いいじゃない。どうせ、それ配達したら家に帰るんでしょ。なら、一緒に帰ろうよ」


 人懐っこいルークが、可愛らしく微笑む。


 昔からそうだが、エヴァンは、ルークのこの笑顔に、つくづく弱かった。

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