第2話 路地裏の密会
ルーズベルト伯爵家は、この町では有名すぎるくらいの名家だった。
首都・ロンドンと似たような街並みを宿す、このロザリオの町が、どこか穏やかな雰囲気を宿しているのも、ルーズベルト家が、町の警備や孤児院の設立などに、一躍かっているからだ。
上流貴族でありながら、下の者にもわけへてなく優しくルーズベルト家は、町の人々からの信頼も厚い。
だが、それでも、ここ大英帝国に古くから伝わる階級制度の枠組みは、このロザリオの町でも健在で、その階級は、主に三つのクラスに分けられていた。
貴族や地主など、社会的に地位が高い──
医者や弁護士など専門的な職に就く──
そして、農家や使用人など、肉体労働を主とする──
それ故に、上流階級である貴族からの依頼は最優先事項であり、伯爵家からの手紙を届け忘れるなど、エヴァンにとっては、ありえない失態だった。
きっと、大事な手紙だったからこそ、仕分けた局員が、一早く鞄の中に入れのだろう。
だが、それが仇となり、上から追加された手紙や小包の下敷きになってしまったらしい。
(早く、届けないと……っ)
昨日、手紙が出されたのなら、今日の午前中には届くはずだった手紙。
もちろん、速達の手紙ではないため、届きさえすれば問題はないのだが、この手紙の受け取る立場の人間の気持ちを思えば、半日遅れで届いてしまうことを申し訳なく思う。
もしも、返信が必要な手紙だったら、いち早く返信すべきだと考えるだろう。
相手は、あの伯爵家なのだから――
(参ったな。よりにもよって、こんな時間に気づくなんて)
だが、早く届けたくとも、配達先の女性の家は、先程、手紙を届けた婦人の家とは、真逆にあった。
しかも、夕方になり人が混み合う時間帯だからか、思うように先に進めない。
(……仕方ない)
するとエヴァンは、大通りからはずれ、人けのない路地裏に入り込んだ。
日が落ちかけた時間帯、建物と建物の間は、かなり薄暗い。だが、それが好都合とばかりに、エヴァンはサッと身を屈めると
「マサムネ、頼む」
そう呟き、自身の足に手をふれた。
すると、その瞬間、エヴァンの肩に、青白い炎がゆらゆらと浮かび上がった。
ケモノの形をしたそれは、エヴァンの体をするすると移動し、その後、両足へ入り込む。
炎が吸収された両脚には、じわりと熱が伝わった。
すると、エヴァンは、四階建ての建物を見上げ、その後、一気に飛びあがった。
トン、トントン――!
まるで猫のような身のこなしで、軽やかに上へ上へと移動していくエヴァン。
レンガの窪みを利用に、優雅に飛びまわる姿は、まるで怪盗のよう。
そして、難なく屋根の上に到達したエヴァンは、隔てるもののない建物の上を、まっすぐに走り始めた。
人で溢れた町の中を行くよりは、こうして、屋根の上を行った方が何倍も速い。
エヴァンは、建物から建物へと飛び移り、目的の家まで急ぐ。
だが、それから暫くして──
「おーい、そろそろ終わるぞー!」
(あ……マズイ!)
どうやら、屋根の上に人がいたらしい。
煙突掃除をしていたのか、末の弟と変わらない少年たちが、賑やかに声を掛け合っていた。
すると、汗をかきながら働く彼らを見て、ふと幼少期の自分が重なった。
自分も、よくススまみれになりながら、煙突掃除をしていた。だが、いくら境遇が似ているとはいえ、この状況を目撃されるわけにはいかない。
強盗の類だと、誤解されても困るし『手紙を配達していました』なんて言ったところで、誰が信用してくれるというのか?
そう思ったエヴァンは、屋根を行くのを諦め、また別の路地裏へと飛び降りた。
ドサッ──と、四階建ての建物を躊躇なく飛来し、その後、着地する。
すると、用を終えたと思ったたのだろう。
先程、エヴァンの足に入り込んだ炎が、ゆらりと話しかけてきた。
「もう、良いのか?」
「あぁ……ありがとう、マサムネ。あとは走る」
「……左様か」
炎に向かって、軽く礼を言えば、そのケモノのような炎は、またエヴァンの肩へと戻り、ゆらゆらと消え去った。
(ここまでくれば、目的地までは、あと少しだな)
これなら、日が暮れるまでには届けられるだろう。
そう安心しながら、立ち上がったエヴァンは、鞄に入った伯爵家からの手紙を、今一度、確認する。
だが、そこに──
「はぁ……、んっ」
「?」
どこからか、女の声が聞こえてきた。
甘さを含んだ艶のある声だ。
そして、吐息混じりのその声を聞いて、エヴァンは『誰かいるのか?』と、路地裏の暗がりに目をこらす。
すると、その先で、金髪の綺麗な顔をした男が、女と口付けを交わしているのが見えた。
肩にかからないくらいの金色の髪。
夕陽の色に似たストロベリーブロンドの艶髪は、路地裏の暗がりでも、眩しいくらいに輝いていた。
そして、その男が誰なのかは、目にした瞬間わかった。
見間違えるはずなどない。
今、目の前で女とキスをしている美男子は、エヴァンの弟である──ルーク・ルノアールだった。
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