玲瓏なる、ルノアール家の君たちへ
雪桜
第1話 ××は探偵になれない
墓石は、鐘を鳴らさなかった。
どんなに待っても、どんなに涙を流しても、父が生き返ることはなかった。
✝︎
『霧の街』と謳われるロンドン。そこから、数キロ離れた場所『ロザリオ』という長閑な町があった。
そして、その町に、先日なくなった父の遺体が、土葬されている。
町の片隅にあるセント・ルージュ教会は、12世紀に建てられた荘厳たる建物。堅牢な城郭のような外観は、歴史とおもむきを感じさせ、その奥には、美しく咲きほこるローズ・ガーデンがあった。
それ故に、教会の外れにある墓地の景色は、とても美しく優雅だ。
そして父は、生前、よく言っていたのだった。
『いつか、この薔薇の元で、
だが、それは叶ったというのに、父の無念は、計り知れないものだろう。
突然、命を奪われた挙句、自分が築き上げてきた『探偵事務所』が、
✝︎
「兄さん。僕、もう勉強したくない」
サンクチュアル通り7番地。坂の上にひっそりと佇む洋館で、4番目の弟が、そう言った。
夏が終わり、涼しくなり始めた秋の頃。先日、12歳を迎えたばかりのアルムは、ラズベリー色の髪をツインテールにし、訳あって女の子の姿をしている。
見た目はとても愛らしく、一見すれば少女だ。
それも、絵に書いたような美少女。
ほっそりとした華奢な身体は雪のように白く、ガラス細工のように整った顔立ちをしているからか、赤と黒のロリータ服が、よく似合ってる。
だが、見た目がどんなに可憐な少女でも、中身が小憎たらしい少年であることに変わりはない。
「やりたくないじゃないだろ。読み書きができなきゃ、仕事に差し支える!」
すると、アルムより二つ年上の兄、ジェイムズが、机を叩きながら
テーブルを挟み、対面に腰掛けていたジェイムズは、アルムとは、似ても似つかない素朴な少年だった。
紅茶色の髪に、さして珍しくもない
頬にはソバカスが点々とし、一切の華やかさの取り除いた、その平凡な顔立ちは、目の前にいるアルムとは正反対。
だが、それでも彼らは『兄弟』だった。
「ジェイムズ兄さんは、僕に厳しすぎるよ」
「アルムが、わがままばっか言うからだろ!」
「だって僕、勉強嫌いだし。それに教えたいなら、もっと優しく教えて?」
「や、優しく……っ」
瞬間、アルムがジェイムズの手をとり、美しく微笑んだ。
まだ12歳の子供だと言うのに、その妖艶さには、たじろぎするほど。
だが、見慣れたアルムの姿に、ジェイムズが籠絡するはずもなく──
「弟の色仕掛けが、通用すると思ってんのか?」
「ホント兄さんて、ノリ悪いよねー。これなら、スラムにいたオジサマ達の方が優しか」
「あのエロジジィ共と、一緒にすんな!?」
あろう事か、ロンドンのスラム街にいた頃の話をされ、ジェイムズは更に苛立った。
なんでも、スラムのジジイ共は、アルムを大層、気に入っていたそうで、いつも鼻の下を伸ばしながら、アルムに貢いでいたらしい。
まぁ、見た目は可愛いし、孫みたいなもんだったんだろう。それを考えれば、ジェイムズよりも、スラムのおじ様たちの方が優しいかもしれない。
だが、はっきりいって、スラムでの話は、あまり聞きたくない!
「いいか、アルム!」
するとジェイムズは、あからさまに話を逸らすと
「俺達は、父さんから、この探偵事務所を引き継いだんだ! でも、兄さんたちは二人とも働いてるし、家にいる俺達が、事務所の窓口にならなきゃいけない! それなのに、読み書きができなゃ、依頼人の話を聞いても、メモ一つとれねーだろ?!」
「そうだね。でも、メモは、兄さんが取ればいいじゃない。それに、ジェイムズは、一番大事なことを忘れてるよ」
「大事なこと?」
「うん。バカは探偵にはなれない」
ピシッ──と空間に亀裂が入った気がした。
確かに、探偵になるには、それなりの素質がいる。
優れた洞察力と、並外れた推理力。
それ故に、アルムが言いたいことは、よくわかった。
自分たちは、もともとスラムにいた子供たち。
つまり、まともな教育は受けていない。
そんなわけで、頭脳明晰な探偵の真似事なんて、するだけ無駄だと言いたいのだろうが
「うるっせーな! 分かってんだよ、そんなことは!? だから、そのバカを克服するために、文字くらい覚えろって言ってんだろーが!!」
「あぁぁぁ、もう! ほんと毎日毎日毎日毎日、口を開けば勉強しろって!?」
ジャキ──!
その瞬間、ジェイムズに額に、銃口が向けられた。
どこから取り出したのか、アルムには不釣り合いな鉄の塊、つまりピストルが、容赦なくジェイムズの額に押し付けられる。
そして、それは、兄弟喧嘩に使うには、あまりにも物騒な代物で──
「だぁぁぁ! あぶねーだろ!? 撃てないくせに、銃なんか持ち出すなよ!?」
「撃てるよ! いますぐ、撃ってやるよ!!」
声を荒らげる二人のケンカは、さらにヒートアップする。
そして、アルムの指先は、手にしていたピストルの引き金を、容赦なく引いた。
✝︎
「エヴァン君。いつも、ありがとね」
ルノアール家の長男、エヴァン・ルノアールは、郵送員として働いていた。
現在、18歳のエヴァンは、漆黒の髪を持つ凛々しい青年だった。
スラリと背が高く身軽そうな体型と、鼻筋の通った甘めの顔立ち。
そして、瞼の奥に見え隠れする紫水晶のような瞳が、支給されたダーググリーンの制服と調和し、とても様になっていた。
おまけに人当たりがよく、紳士的な振る舞いをするからか、こうして手紙を配達して回れば、その先々で声をかけられるほど。
「お家の方はどう? 少しは落ち着いた?」
「はい。弟たちも、大分、落ち着いてきました」
「そうなの? 良かったわー。レスターさんが亡くなってから、ずっと心配してたのよ」
白髪混じりの貴婦人が、悲しげに目を伏せる。
ルノアール家には、四人の兄弟がいる。
長男のエヴァン・ルノアール。
次男のルーク・ルノアール。
三男のジェイムス・ルノアールに
四男のアルム・ルノアール。
そして、その四兄弟の父・レスター・フォン・ルノアールは、三ヶ月前、何者かの手によって銃殺された。
日が沈んだばかりの
ロンドンに一人むかった父は、そのままロンドンの街で、亡くなってしまった。
犯人は、まだ見つかっておらず、更に
「犯人、早く捕まるといいわね」
「……そうですね」
婦人の言葉に、エヴァンは、苦々しく微笑んだ。
まだ、幼い弟達のために、エヴァンは、父が亡くなったあとも、できる限り明るく接してきた。
そして、そのおかげか、兄弟四人だけの生活も、やっと前のような平穏さを取り戻しつつある。
だが、未だに心が晴れないのは、父の死の真相が分からないことと、亡くなった父が――逢いに来てくれないこと。
「配達は、もう終わったの?」
「……!」
瞬間、また婦人が声をかけてきて、エヴァンは、すばやく気持ちを切り替えた。
「はい。今の手紙が、最後の手紙でしたので、やっと家に帰えれます」
そう言って、にこやかに笑う。
郵送員の仕事は、手紙を配り終えれば終わる。
そして、その後は職場に戻らず、そこまま帰宅して良いことになっていた。
エヴァンは、昼過ぎまで手紙や荷物でパンパンになっていたバッグの中を見つめた。
革製のショルダーバッグには、もう何も入っておらず、朝のような重さはない。
……と、思ったのだが
「あ、」
その瞬間、中敷の下に封筒の切れ端のようなものが見えて、エヴァンは瞠目する。
どうやら、まだ手紙が残っていたらしい。
「あら、まだ終わってなかったの?」
「あはは……そうみたいですね」
隠れていた手紙を鞄の底から抜き取ると『どうやら、まだ弟たちの元に帰れそうにない』と、エヴァンは苦笑した。
そして、手紙の宛名と差出人を確認する。
だが、その差出人の名を見て、エヴァンは目を見開いた。
差出人の名は、ロバード・ルーズベルト。
この町では、知らない者はいない伯爵様からの手紙だった。
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