9P 『零』



春一番の風が吹き、この街にもようやく雪解けの季節が到来した。

ここから先は頭のおかしい奴が出没したり、お花畑思考になってる生徒たちがチュンチュンしながら学園生活を送るのかと思うと、これは面白い季節になったものだと俺は少しワクワクしてしまう。


「相変わらず捻くれてますねタミさん」

 坂本が俺の事を蔑みの目で見ながら呟いてくる。

「悪いか! 俺はなア、長い長い冬眠から覚めた熊だ。 春一番には何か面白い事が起こると昔から決まってるんだ。 俺は熊のように獲物を逃さない! そう! スクープはすぐそこにある! 俺の鼻が今ビンビンにこの匂いを感じているんダ! 早く獲物をよこせ! ガオー!」

 俺は坂本に襲い掛かるような仕草をしてみせた。 しかし坂本は近づいてきた俺の顔をグイっと片手で押しのける。

「はいはい。 じゃあbearならさっさと特ダネを探してきてください」

「誰が俺が探すと言った? 探すのはお前たちだ!」

「何でですか?」

 坂本は本当に意味が分からないというような顔で俺の事を見る。


「いや何でって……俺部長だヨ?」

「はあ……」

 坂本は深~いため息を吐く。

「そういうスクープ情報って、だいたいは自然と部長の所に集まってくるものなんじゃないですか? 前部長とかそうだったじゃないですか?」

「あ、ま、まあそうだけど……」

 しまった……痛い所を突かれたな……。


「タミさんがそれだけ信用ないって事でしょ? 私たちに命令する前に、まず自分の部長としての力量を上げるところから始めた方が良いんじゃないですか?」

 な……何も言えない。


「ユウちゃん。 部長はまだ部長になったばかりなんだから、そんな厳しい事言わないの。 これでも頑張ってこの部を盛り上げる手を考えてるんだから。 ねえ? 部長?」

 俺と同い年の新田がフォローをしてくれる。

「ああ……なぁんかその部長って呼び方、未だにしっくり来ないんだよなァ。 俺ホントに部長で良いの?」

 新田が俺の背中を力いっぱい叩く。 変な声を上げそうになったが何とか堪える。


「なぁに言ってるの部長! あんたは部長になったのよ! もうちょっとしっかりしなさい! そんなんじゃ新しく入った一年のカズちゃんやレンちゃんに示しがつかないでしょ!?」

「うう……ごめん……」

「ミナさんのフォローをも無駄にする男! それがタミさん!」

 く、屈辱だ……。 ていうか、雑誌部女子率高くないか!?

 男なら良いという訳ではないが、女子の言葉の暴力は半端じゃねえ! こういう何か劣勢に追い込まれるような話題になるといつの間にかマウント取られていつもこんな調子だ……トホホ……。


コンコン……。


その時、部室のドアを軽くノックする音が聞こえた。

他の部員の河野や蓮乃ならノックせず入ってくるはず。 ということは、部員ではない誰かということになる。

「ど、どうぞ」

 俺はドアの向こうの人物に声を掛ける。


ドアはゆっくりと開かれ、ドアの隙間から顔だけピョコっと顔を出してくる。

「失礼、します……」

「……あれ?」


その顔を見て俺は驚いた。

「君……! 先日体験入部した……?」


 そう。 先日ツチノコ捜索を一緒に取材するという体で部の活動を体験してくれた生徒だった。

 あれから数日。 音沙汰がなかったから入部は諦めたかと思っていたのだが。

「ああ! この前の入部希望者の!」

 坂本が先日の事を思い出し声を上げる。


「黒澤です」

生徒はそうひとこと言うと、部室にゆっくりと入ってきた。


「あ、そうそう黒澤さんだ。 先日はありがとね! え、で……どうした今日は? もしかして、入部……したくなった?」

 俺は黒澤さんのそばまで行くと、顔を覗き込んだ。

 その顔は何を考えているか分からないような表情をしていた。 ふむ……この前も思ったのだが、どうも掴みどころのない子だな。

「まだ見てなくて」

「え? 見てないって、何を?」

 黒澤さんはそこで少し間を置くと、ゆっくりと話し出す。


「私、雑誌の記者になるのが夢なんです。 ホラ、これ見てください」

 黒澤さんは肩に下げてるバッグからカメラを取り出す。

「これ……」

 それはデジタル一眼レフカメラだった。 蓮乃が持っているカメラと同じメーカーのものだ……。

「私、いつもこれで色々なものを撮ってるんです」

「へえ、それはすごい! 気合い入ってるネ!」

 黒澤さんは俺のその言葉で少し笑顔になる。

「はい! それで……できればこの部に入りたいと思ってるんですけど、この間は取材の様子を見せてもらったんですが、まだこの部室内での活動を見てないと思って、今日はちょっとその見学をしたくて……」

「ああ、そうかそうか! 前回はそのつもりだったんだけど、ちょうど外での取材があったからそっちにシフトしちゃったからネ! うんうん、そうだよネ。 まずは部室の雰囲気を知らないと不安だもんネ! いいよいいよ!」


その後、黒澤さんを招き入れてお茶を出しながらしばらく見学してもらった。

河野や蓮乃が来てからはみんなも黒澤さんと楽しくしゃべりながら過ごしていた。

黒澤さんも最初は緊張していたようだが、段々と顔の強張りも解れてきている。

うん、これなら入部してもらえる気がしてきたゾ。


「ところで蓮乃さん」

 みんなの緊張も解れてきた辺りで、黒澤さんが不意に蓮乃へ向かって聞く。

「『めくりた』私も毎回拝見してます。 そこで掲載されている蓮乃さんの写真コーナーも毎回楽しみにしてるんです」

「あ、ありがとう」

「毎回素敵な写真ばかりで」

 蓮乃はいきなり褒められて顔を赤らめる。


「だから私の写真も見てください」

「え?」

黒澤さんは自分の持っているカメラを蓮乃さんに差し出す。


「私、写真撮るの上手いと自分で思ってます。 ですから、見てほしいんです。 カメラマスターの蓮乃さんに」


 蓮乃は黒澤さんからカメラを受け取ると、ディスプレイに表示されている写真の数々を見る。


「へえ! どれどれ?」

 俺たちも蓮乃が見る写真を見てみる。


 黒澤さんが撮ったであろう写真の数々は、人の写真や風景が主だった。

 しかし……なんというか、蓮乃と比べたら可哀そうだとは思いつつも、素人目から見てもお世辞にもいい写真とは言えないものばかりだった。


「どうですか私の写真? 感想を聞かせてください!」


俺は黒澤に気づかれないように蓮乃の背中を小突く。

 ここで正直にあなたの写真は酷いですなんて言ってしまえば彼女はこの部への入部を辞めてしまうかもしれない。 

 それだけはなんとしても避けねばならない。


 蓮乃は俺を一瞥すると、軽く頷いた。

 どうやら俺の真意を理解してくれたらしい。 ホッと胸を撫でおろす。


「酷い写真ばかりです!」


蓮乃ぉぉおおおおぉおおおぉおおお!? おめえぇえぇぇぇぇえええ!


「酷い……ですか……?」

黒澤さんが驚愕の表情で呟く!

あぁ……おしまいだぁ……! これでこの部への入部を彼女は諦めてしまうだろう!


「まず、写真の構図があり得ないですね。 この花の写真とか、こんな上からじゃ迫力がないです。 もうちょっとアングル下からにして、接写しないと。 んで人の姿もオートフォーカスに頼りすぎているのかいまいちピンと来ないやつばかり。 こういう構図ならきちんと自分の手でピント合わせしないと。 もしかしてこっちはポートレートモードで撮った? 一見して迫力ある写真は撮れるけど、所詮は紛い物、新しい物好きがする能無しモードって私は思ってます。 あとこの風景の写真も惜しいなあ。 どうしてここで太陽をこの位置に持ってこないんでしょう?」


もうやめろ蓮乃ぉおお! それ以上はオーバーキルだって!


「レンちゃん」

 新田が蓮乃の肩をガチっと掴む。

 声は優しかったが、その奥底には煮えたぎる怒りの感情がにじみ出ていた。

 河野と坂本の喉からごくりと唾を飲み込む音が、静寂な部室の中に響く。


「……あ、いや……私は……あはは……違うんです! これはその! そう! 他の写真はすごくよくて! この目に付いた数枚の写真が凄い惜しくて悔しかったからひとことアドバイスしたくてですね――」


 自分がやってしまった事の重大さに気づいたのか、蓮乃は冷や汗を垂らしながら必死に弁明する。

 ああ。 この部は今究極に人員不足。 現在の雑誌のページ数は五十ページが限界だ。 もっと人数が居ればページの増量も可能なのに、それが人員不足でできないでいる。 この新部員入部のチャンスを逃すのは非常に惜しいのだ。

 新田の怒りも理解できる。


「だから、気にしないで黒澤さ――」

「ありがとうッ!」

 黒澤さんは目に涙を浮かべながら蓮乃さんと握手をする。

「ええ!?」

 理解の追いつけない展開に、俺たちは呆気にとられる。


「そう! そうだよね!? いや~私も何かいまいちだなぁと思って友達とかにも聞いてみたんだけど、みんな顔を揃えて、そんなことないよ! よく撮れてるね! とか、きっとこれなら賞撮れるよ! とか言ってくるから自分の美術センスがイカれてんのかなあって思ってたんだけど、やっとすっきりしたあ! やっぱ見る人が見ればこの写真はダメってはっきりわかんだね! ありがとう! 少し自信持てたよ蓮乃さん! あ、レンさんて呼んでいい?」

「れ、レンで、いいよ……」

「わかったレン! これからよろしくね!」


 マジか……。 そんなことある?

 ま、まあ何はともあれこれで良かったって事だよな?

 俺たちはふうっと張り詰めた空気から解放された。


 その後も部室内での事務作業や、新田が書く下書き、河野の取材報告、坂本の記事構成、校閲作業等を一通り黒澤さんに見学してもらいながら過ごした。


「私、決めました!」

 突然、黒澤さんがみんなに向かって言う。


「雑誌部『めくりた』に入部させてください!」


 俺は椅子から立ち上がり。

「喜んで!」

 と、元気に答えた。


「これからよろしくね、黒澤さん」

 新田も笑顔で答える。

 他の部員からは歓迎の拍手も上がった。


「あ、そういえば黒澤さんの下の名前なんて言うの?」

 坂本が思い出したように言う。 そういえば俺も下の名前はまだ聞いたことが無かったな。


「ゼロです! 黒澤ゼロと言います!」


「おお! 随分珍しい名前だねえ! どんな漢字を書くの?」

 坂本がはしゃぎながら聞く。

「漢字の数字で零(れい)ってあるじゃないですか? それです!」

「つまりゼロね!」


「ようこそゼロちゃん! 雑誌部へ!」

 新田が改めて言う。


「はい! よろしくお願いします! これから頑張りますよぉ!」

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