1.心の中の玉手箱。

ああ、残念だ。

ああ、残念だ。

声がした気がした。実際、誰もいないこの部屋で、声がするはずもなく、1人で彼は座っていた。どうやら幾分かこの部屋と一体になっているような、そんな感じがする。彼はそんな人だった。

右手にはマウス、左手にはキーボード。目の前には沢山のキャラクターがぞくぞくと動いていた。

でも彼は失意の中にいた。

また、負けてしまった……。

なんとも言えない気持ちが心を駆け巡る。ふざけるなと近くのものを投げたくもなったが、両親に悪いと思い、思いとどまった。

こんな生活を始めて、何年くらいになるだろうか。もうすぐ5年……いや、10年。いや、もっと短かったような、長かったような。時間の間隔はとうの昔に置いてきてしまっているため、彼にはもうわからなかった。ただ、ご飯を食べて、お風呂に入り、寝る。そして、目の前のこれをする。もう、自分が生きているのか、死んでいるのかさえわからない。

ただ、両親がしっかりと、健康に生きていることだけはわかる。彼のすごいところは、巷でいうニートではあるが、しっかりと昼夜逆転もせずに過ごしていることだろうか。まるで、いつでも社会復帰できると言っているかのように、彼はしっかりと早寝早起き、身支度などはしていた。両親が健康なことと、それだけが彼の誇りだった。

ただ、彼は彼なりに頑張っているつもりなのだ。

どうしたら、この生活を抜け出せるのか、それを何度も何度も考えていたが、それはあまりにも無謀なことであった。

何度も挑戦したことが、まるで金庫が開かないかのように固く閉ざされて、自分では何もできないとどんどん自信をなくしていくのだった。次第に挑戦はしなくなった。

ため息と共にダメだなと。一呼吸置いて、時計を見る。時間は午後8時を指していた。

あれ、そろそろご飯の時間ではないだろうか。どうして気づかなかったのだろう。

そんなこと考えて、憂鬱な身体を動かした。

きっと、リビングに行けば両親がいる。そんな安易なことを考えているものの、なにも音のしない空間が近づいてきて、不意に怖くなってくる。そして、気づいた。

なぜ、両親はいないのだ?

そんな疑問が頭をよぎり、リビングの扉を開けた——。


「ありがとうね。今日も迷惑かけてごめんね」

最近の母の口癖だった。

彼は母の乗った車椅子を引きながら全然そんなことないよと答えるのだ。

そして、母に少し待っててと言うと、カバンから小さな箱を取り出して、母に渡した。

「なあに? これ……」

「プレゼント? そんなことにまたお金使って! まあ、嬉しいからいいんだけどね」

照れ臭そうに言う母に、彼は少し嬉しくなった。


あの日のことは思い出したくない。

父はいなくなった。母もいなくなりかけた。

自分には開かないと思っていた箱がついに開いた。

それは、金庫ではなく、玉手箱のように綺麗な箱だった。

ただ、開きづらかった、それだけだ。

彼は今、生きている。

母も生きている。

あの日から今日も生きているのだ。


ありがとう。

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心の中の玉手箱。 夜月心音 @Koharu99___

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