一角獣

尾八原ジュージ

一角獣

 わたしがうちに帰ると、馬小屋にめずらしいものが繋がれておりました。ぱっとみたところは白い仔馬のようでしたが、額には長くて尖った角が生えており、いつだったか絵で見た一角獣だとすぐにわかりました。古くて黒ずんだ馬小屋の中にあって、それはまっしろで美しくぴかぴか光って見えました。ほかの馬はどこへ移したものやら、一頭もいませんでした。

 一角獣の角には赤いものがじっとりとついており、それが血であることは辺りに漂っている匂いからもはっきりしていました。わたしが顔をしかめていると、父が馬小屋の外から「世話をしてやりなさい」といきなり声をかけてきました。

「森で角を研いでいたところをみんなで捕まえたのだ。来年の春祭に出すから、それまで面倒をみて、もう少し大きくしてやりなさい」

 それだけ言うと、父は去っていきました。

 一角獣は真っ赤な目でわたしをじっと見つめていました。一体に一角獣というのは乙女にしか懐かないものです。そしてこの小さな村で若い未婚の娘といえば、わたしの他にはまだ小さな子どもたちしかいないのですから、わたしに世話をせよというのは至極当然のことでした。

 なるほど貴重なものですから、春祭の贄には大変よかろうと思われました。春祭にはあちこちの村々から、作物やら家畜やらが山の神殿に集められます。それは神様がお食べになるのですからとても大切なもので、どの村も一年かけて供物を用意するのです。

 さて、その日はお葬式がありました。村の墓地に埋められたのは木こりでした。

 木こりは一角獣をつかまえようとして、胸を突かれて死んだのでした。彼がいなければ一角獣をつかまえることはできなかったろうと皆がほめそやすなか、木こりの若い奥さんが遠巻きに埋葬を見守っているのに、わたしは気づきました。


 わたしは、これまでやっていた一切の仕事をいったん免除されることになりました。それくらい春祭の供物は大切なのです。

 わたしは馬小屋のなかに寝泊まりして、うまれたての赤ん坊の面倒をみるように一角獣の世話を焼きました。一番最初の仕事は、一角獣の角をきれいに拭いて木こりの血をおとしてやることでした。

 一角獣はわたしによく懐きました。馬小屋の入り口には毎日一角獣の食べる花や水が届けられ、そのほか必要だと言ったものは大抵手に入りました。わたしが身体を拭いてやると一角獣はうれしそうに目を細めたり、わたしの脇に顔を擦りつけたりしてきました。そんな折にふと視線を感じて表を見ると、そこには必ずといっていいほど木こりの奥さんが、うまれて半年ばかりの赤ん坊を抱いて立っているのでした。

 一角獣をつかまえたという話を聞いて、町の方から商人が何人かやってきました。が、彼らに買い叩かれるよりは供物にした方がずっとよいものですから、誰も彼も追い返されてしまいました。

 一番しつこい人はむりやり馬小屋に入ってこようとしましたが、村の人たちにつかまって、山へ連れていかれました。それからのち、一角獣めあての商人が現れることはありませんでした。


 一角獣はめきめき大きくなっていきました。夏には仔馬のようだったのが、秋が終わるころにはもう兵隊が乗る駿馬のようなたくましい体つきになっていました。筋肉の浮き出した白い体はつやつやと輝き、最初真っ白に見えたたてがみは成長するに従って銀色になりました。赤い目は紅玉のようにますます赤く艶を増し、見つめるとわたしの顔が鏡のようによく映りました。これはよい供物になるだろうと村の皆が言いました。

 冬になると馬小屋の中は大層寒く、わたしは寝そべった一角獣の腹にもたれ、その上から毛布をかけて眠りました。花はあまり採れなくなりましたが、一角獣は木の実だの、柊や樅の葉だのをよく食べて育ちました。

 木こりの奥さんはやはり毎日馬小屋の入り口にやってきて、大きくなっていく一角獣を眺めていきました。奥さんは時に刺すような鋭い目つきでこちらを見つめ、一角獣だけでなくわたしのことすら憎いのではないかと思われるほどでした。

 奥さんはもちろん乙女ではないので、馬小屋に入ることはできません。これほど長く人里にいても一角獣はわたし以外のひとにはまるで懐かず、馬小屋に誰かが足を一歩踏み入れただけで荒々しく蹄を鳴らすのです。

「夫が命を落としてつかまえたものだから、立派に育つか気になるのでしょう」

 毎日馬小屋を見にくる奥さんのことを、皆はそんなふうに言いました。

 夫を亡くしたものの、奥さんの暮らし向きはわるくないようでした。むしろ木こりが生きていた頃よりもよいのではないかと思われました。というのも、皆が奥さんに色々な便宜をはかってやるためです。後添いの話もすでにあるということでした。

 わたしは一冬を寒いさむい馬小屋で過ごしました。しかし一角獣が居さえすれば、寒さは容易くしのぐことができました。

 一角獣の大きなお腹にもたれかかっていると、暖炉の前にいるように暖かく、ここちよくなって、心臓の音がとくんとくんと耳に溶けるように聞こえてきます。とろとろと重くなった瞼を持ち上げて一角獣を見ると、それはますます美しく、立派で、神様に差し上げるのに本当にふさわしいと思われました。でも、反対に胸が刺されるように痛みもしました。わたしは、永久にこの獣と寄り添っていられたらどんなにいいだろうと思いました。

 餐に名前を付けることは禁じられていましたが、わたしはこっそり自分の心の中だけで一角獣の名前を決めて呼んでいました。心の中で名前を呼ぶと、気のせいでしょうか、一角獣はやさしい、恋人を見るような目でわたしを見つめ返すのでした。

 冬の日はどんどん過ぎていきました。その間、木こりの奥さんは毎日馬小屋の前にやってきました。


 やがて雪解けが訪れました。ある日わたしが一角獣の体を布で拭いていると、例によって木こりの奥さんが馬小屋の外にやってきました。

 わたしと彼女の目がぱっちりと合いました。どこかへ行ってしまうかと思いきや、奥さんは外からわたしを呼びました。彼女は赤ん坊を抱いておらず、代わりになにか小さな包みを抱えていました。外へ出てきたわたしに、奥さんはそれを差し出しました。

「これ、食べるかしら」

 奥さんが布でくるんでいたのは、雪待草の真新しい一束でした。わたしはよろこんで受け取りました。

 奥さんは馬小屋の奥にいる一角獣をじっと見つめ、ふと、

「きれいね」

 とつぶやきました。

「ええ」

 わたしもそうこたえて、一緒に一角獣を眺めました。

 奥さんは一角獣を見つめたまま、「夫はそそっかしい男だったわ」と言いました。

「春祭の供物は大切なものでしょう。だからそのために一角獣をつかまえれば村の中で偉くなれるだろうなんて、あのひと、きっとそんなふうに考えたにちがいないのよ」

 わたしが黙っていると、奥さんは「でも優しいひとだったわ」とつぶやきました。

 まもなく奥さんは、預けてきた赤ん坊の世話をしに帰っていきました。わたしは受け取った雪待草を一本一本、大事に一角獣に食べさせてやりました。


 いよいよ春祭の朝がやってきました。

 一角獣はもはや当たり前の馬よりもずっと大きく立派になって、体は真珠でできているよう、たてがみは銀の糸で拵えたようでした。村のひとたちは大変喜んで、一角獣の首に大きな花輪をかけてやりました。

 わたしは村の大人たち何人かといっしょに、一角獣を引いて山の神殿へ向かいました。村を出るとき、木こりの奥さんがこちらを見ているのがわかりました。

 行列は春の山中を進みました。一角獣はじぶんの運命を知っているのかいないのか、時々いやいやをするように太い首を振りました。わたしはそのたびに体をとんとんと叩いてやりました。

 やがてわたしたちは山の神殿に到着しました。それまでに、一角獣はかけてもらった花輪をぜんぶ食べてしまっていました。

 神殿の扉は開け放たれ、戸の前にある祭壇には美しい果物だのお酒だのが並べられていました。真っ白な羊や、角の大きな山羊なども繋がれています。みなあちこちから集められた供物なのでした。この扉の奥におられるという神様の姿を、わたしは見たことがありません。ただ確かにおられるのだということを疑ってはならないと、小さな頃からずっと教えられてきたのです。改めて祭壇の前に来てみると、まぁ神様はなんてたくさんお食べになるのだろうと驚かれるのでした。

 いよいよ巫女たちに手綱を渡すというとき、一角獣はわたしの顔にじぶんの顔をこすりつけました。わたしは心のなかで、かれの秘密の名前を呼びました。

 もしもわたしがこの瞬間、一角獣の背に飛びついて木々の間に逃げ出したとしたらどうでしょう。いかに神殿でも、一角獣を捕まえられるほど速い馬は飼っていないでしょう。わたしたちはどこまでも駆けて、とうとう逃げ切ることができるのではないか――そんなことすら考えました。それでもわたしは手綱を引き渡しました。頭の中にはわたしの両親でもきょうだいでもなく、木こりの奥さんとその赤ん坊の姿が浮かんでいました。

 神殿の巫女たちは恭しく手綱を受け取ると、一角獣を連れて祭壇の横を通り過ぎ、しずしずと建物の中に入っていきました。彼女たちも乙女には違いありませんから、一角獣は大人しくついていきます。その途中で、かれは一度だけわたしを振り返りました。まもなく白い姿は神殿の中に消え、そしてもう二度と出てくることはありませんでした。

 わたしは村の大人たちと連れ立って山を下りました。歩きながらさびしくなって泣きました。神様はあのたてがみや角までお食べになるのかしら、もしお食べにならないのならわたしに角のかけらのひとつでもくださればいいのにと思いながら、ひっそりと秘密の名前を心の中で何度も呼びました。

 山を下ると父や母や兄たちに混じって、木こりの奥さんがわたしを待っていました。わたしが泣いているのを見つけると、奥さんは一番にこちらに駆け寄ってきて、わたしに刺繍の入ったハンカチを貸してくれました。

 その年は小麦でもなんでも、植えた作物はよく育ちました。また秋になると、山の中には木の実がたくさん実りました。家畜たちもよく肥え、村は前よりもずっと豊かになりました。皆は「一角獣を育てて供物にした甲斐があった」と言ってよろこびました。

 木こりの奥さんは後添いの話を断ってしまいました。そしてときどきうちにやってきては、わたしといっしょに山の神殿がある方を眺めて過ごすのでした。

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