ザントマン

九十九春香

ザントマン

 世界は生まれながらに平等ではない。

 多くの罪を犯した者と、神を信じ人々に尽くした者。

 彼らは等しく裁かれる。地獄の審判によって。

 しかし法で裁けない悪は存在する。密かに、しかし確実に。


 だからこそ、世界にはヒーローが必要だ。法で裁けない悪を、裁く悪役ヒーローが。




 カーテンの隙間から朝日が差し込む。眩しさに瞬きしながらアルバートは時計を手探りで探した。

 時刻は6時を指している。アルバートはまだ目覚めていない体をゆっくりと起き上がらせた。


 顔を洗い、湯を沸かす。朝食はいつも通りエッグトースト。テレビをつけて、朝の情報番組でニュースを確認する。

 ルーティンの様に決まったこの動きは、何年も前から体に染み付いている。


 朝食を済ませると、スーツを纏い三十を超える数の中からネクタイを選ぶ。今日はペーズリーにしよう。アルバートは慣れた手付きで巻いていく。

 カバンを持つと、メールの着信が入った。

 ここまでがテンプレ。メールが来たという事は、今日もまた憂鬱な一日が始まるという事だ。




 男の名前はアルバート・リヒター。ドイツ=ニルヴァ州刑事警察。

 主に殺人事件を追っていて、今日も朝から現場検証に向かっている。

 現場に着くと、入口にいる警官に挨拶を済ませ、中に入っていく。丁度同僚が現場を見ていた時だった。

「おはようございます。早いですね、カールさん。」

 声をかけられ、カールはゆっくり振り返ると手を振った。

「おう、おはよう。」

 手を振った男の名前はカール・グスタフ。アルバートの先輩刑事で、ずっとペアを組んで事件を追ってきた相棒でもある。

 アルバートはカールの横に並び被害者の前で手を合わせ、布をめくった。

 まただ。被害者の状態に思わず吐き気がする。

 アルバートは一度深呼吸をすると、被害者から目は離さず口を開いた。

「これは、また例の事件ですか?」

「おう、そうだ。また、〈ザントマン事件〉だろうな。」

 そう言ったカールの視線は、被害者の無い目を見つめている。


 両目の無い死体。これは最近二人が追っている殺人事件と同様の犯行だ。

 3ヶ月前、突然それは起こった。最初はオリバーバリウム橋のたもと。2度目はシンプレー川の川岸。そして今回が3度目の事件となる。

 3度の事件その全てにおいて共通している部分が、被害者の両目がない、犯行は全て深夜、現場には何故か砂が落ちている、という事だった。

 そしてその共通点からいつしか、世間では〈ザントマン事件〉と呼ぶようになったのだ。

「確か、ザントマンって妖精の事でしたよね?」

 アルバートは立ち上がり、時計を見ながら尋ねた。

「そうだ。ドイツの妖精で、持っている小袋から魔法の砂を相手にかけて眠らせる、言わば睡魔だな。昔は夜に寝ない子ども達に向けて、「寝ないとザントマンに目玉を取られるぞ」と言って、寝かしつけていたそうだ。」

「まるでザントマン博士ですね。」

 冗談のつもりで言ったが、カールは少しうんざりしたように首を横に振った。

「止めてくれ。人間だか妖精だか分からん相手に疲れてるんだ。・・・嫁にも言われたよ。」

 カールが被害者に布をかけ、手を合わせると、釣られてアルバートも手を合わせた。

 そのまま二人は現場の警官に少し指示を飛ばすと、一旦外に出るため入口に向かって歩き出した。

 その時、外から怒号のような叫びと共に、何やら誰かが騒ぎ出したのだった。

 疑問に思い二人は急いで外に出ると、男性が現場に向けて叫んでいるようだった。

「ハッハッハッ!ざまぁないぜ。お前に遂に裁きが下ったのだ!俺の娘の魂が、裁きを下したのだ!ザントマンバンザイ!」

 男は涙を流しながら狂気的に笑い叫んでいる。

 アルバートはその異常な光景に目を奪われていた。その隣でカールは、ただ静かに、その状況を見つめていた。




 二人は警察署に戻ると、これまでの事件の書類をまとめていた。

 淡々と作業を進めていく中、アルバートは先程の騒ぎについて気になっていた。

 アルバートは作業を続けながらカールに尋ねる。

「あの、さっきの男性は一体・・・。」

 アルバートの問いに、カールは作業を止め、少し黙り込むと、ゆっくりと口を開いた。

「実はな、今回の被害者は、指名手配中の連続強姦殺人の犯人でな。さっきの男性はその被害者の父親だ。」

 そう言い、投げ渡された書類には、確かに被害者が犯人の事件が羅列されていた。

「全部で7件。さっきの父親だけでなく、ここ数週間は警察署に事件の進みを聞きに来る人が多くて来てたよ。俺はこの事件の担当刑事と仲が良いから書類を借りてるんだ。」

 そう言い、更に渡して来た書類は、これまでのザントマン事件の被害者の書類だった。

「今日の奴だけじゃない。これまで殺された3名全てが指名手配中の殺人犯なんだ。」

 カールの言葉は明らかに重そうで、言いたく無いことというのが伝わってきていた。

「さっき、車のラジオでも言っていたが、世間はガイシャの死について、かなり肯定的な意見が多いこの署内でも、ザントマンを指示する人間は少なくない。」

 カールは渡した書類をジッと見つめている。その様子を静かに聞いていたアルバートは不意にこんなことを口ずさんだ。

「カールさんは、どっち派ですか?」

「あん?」

 カールの返答は、短いながら少し語気が強い。

「ザントマンは、指名手配中の殺人犯をターゲットにしています。実際、世間でもダークヒーローと取る声も少なくはない。さっきの人もそうですが、被害者の親族の事を考えると、善人何じゃないかとー」

 ドン!

 アルバートが最後まで言いかけたその時、カールは机を強く打ち付けた。

「犯罪者を肯定するなんて道理が通ってたまるか!」

 二人の間に緊張感が走る。

「どんな理由があろうとも、人を殺めてしまったら犯罪なんだ!そしてそれを罰する為に法律があるんだよ!例え人を殺めた人間だとしても、殺されていい理由はない!」

 カールの声は署内に響き渡った。

 数秒の沈黙が流れる。不意にカールは床に落ちた書類を拾い始める。

「・・・すまん、興奮しすぎた。でも思ってるのは本当の事だ。人が人を私的理由で簡単に裁ける時代が来てしまったら、それこそとんでもない事態になる。そんなことは、絶対に避けなきゃいけないんだ。」

 カールの言葉に強く意志が灯っている。

 そのあと、アルバートは一言も話さなかった。




「・・・ル?・・・アル?・・・アルバート!」

 自分を呼ぶ強い声で意識が戻る。眼前には心配そうに見つめる若く綺麗な、赤いドレスを着た女性が座っていた。

「・・・すまない、ルイーザ。」

 アルバートがそう言うと、まだ少し心配そうに、ルイーザは席に座り直した。

 彼女の名前はルイーザ・グスタフ。アルバートの婚約者だ。カールの妹でもあり、昼間は保育士の仕事をしている。今日はそんな恋人と、久しぶりのディナーの日だった。

「本当に平気なの?」

 ルイーザは心配そうにアルバートの目を見つめる。

「ああ、平気だよ。すまないな、食事中に。少し考え事をしてたんだ。」

 アルバートは笑いかけるようにしてルイーザに向き直す。アルバートの笑顔に安心したのか、ルイーザは微笑む様に口を開いた。

「そう、ならいいけど。あんまし仕事に根を詰め過ぎないでね?あんなことがあったあとだし・・・。」

 ルイーザの顔は一点して少し暗くなってしまう。アルバートにはすぐにその理由がわかった。

「ルイーザ、その事はもう平気だから。心配しないで。」

 アルバートはルイーザの手を撫でる様に握る。

「確かに悲しいけど、もう3ヶ月だよ。大丈夫、俺は平気さ。」

 アルバートは優しい声でルイーザに語りかける。ルイーザはその様子に、また笑顔を取り戻したようだ。

「そう、そうよね。折角楽しい食事中ですもの。別の楽しい話題にしましょう!」

 ルイーザはそう言うと、店員にワインを頼んだ。アルバートもまた、その様子を楽しそうに見つめていたのだった。




 ルイーザとの食事が終わり、アルバートは自宅の玄関を開けた。電灯をつけ、荷物をソファに投げつけると、不意に通り道の写真に目がいく。

 写真には笑顔の優しそうな女性が写っている。

「・・・母さん。」

 呟く様にアルバートはその写真を手に取った。


 エレイナ・リヒター。アルバートの母親で、小さい頃に父親と別れた後、女手一つで育ててくれた最愛の家族だった。

 刑事になったあとも、定期的に連絡を取っていたが、丁度3ヶ月程前に、突然の知らせだった。

 当時、世間を賑わせていた猟奇殺人犯による通り魔事件だった。

 エレイナは人通りの少ない所を歩いてた所、突然後ろから刺されてしまったのだ。周りに人はおらず、結局そこで息絶えてしまったという。

 電話を受け、すぐに駆けつけたものの既に遅く、アルバートが着いた時には、犯人は逃げ、最愛の母は冷たくなっていた。

 手の中にはアルバートに向けたケーキの紙包みが握られていたらしい。そしてその日はアルバートの誕生日。サプライズで祝おうと、アルバートの家に向かっていた途中、襲われたのだ。


 あれ以来、ずっと犯人を追っているが、全く足取りは掴めていない。それどころか署内では別の事件に追われていて、徐々に捜査の規模も小さくなっていた。

 アルバートの写真を握る手が少し強くなる。

 不意に写真の横に置いてあった手作りのラジオから、無線が聞こえてきた。

『・・・通り。ブランドロウ通りの・・・。ブランドロウ通りの路地裏、犯人逃走中。』

 どうやら警察署の盗聴無線の様で、逃走中の犯人を追っているらしい。

 アルバートは写真を置くと、スーツを脱ぎ、クローゼットを開く。

 そこには、真っ黒のターバンとローブ、そして白い小さな袋が掛かっていた。




 暗い路地裏を男が走り抜けていく。不意に男は後ろを振り向いた。後ろには誰もおらず、男は立ち止まり息を整えた。

「はぁ、はぁ、ここまでくれば、もう平気だろ・・・。」

 一呼吸つき、その場に座り込もうとした時、突然後ろからガサガサという音が聞こえる。

「誰だ!?」

 男は振り返るも、そこに人の姿は見えない。

 不思議そうに路地裏の闇を見つめていると、またしても後ろからガサガサという音が聞こえた。

「誰だ!?どこにいる!?」

 男が勢いよく振り返ると、闇の中を一つの人影がゆっくりと近づいてきていた。

「あん?何者だてめぇ!!」

 人影は答えない。

「だから!てめぇは何なんだよ!?」

 男は苛立つように叫ぶ。すると人影は更に近づいて、急に立ち止まった。

 人影は真っ黒のターバンとローブを身に着け、その手にはナイフと白い小さな袋を持っている。

「・・・ヴォレ・レーゲン、38歳。現在指名手配中の、14人を殺した連続殺人犯。で、合ってるな?」

 人影の冷たく、異様な空気にヴォレは一気に警戒を強くしていく。

「・・・だったらなんだ。」

 男はゆっくりと胸ポケットに隠してある銃に指をかける。

「・・・否定しないんだな。」

 その場に緊張感が走る。

 すると突然、路地裏を抜ける様に突風が吹き荒れた。そしてその突風に乗せる様に、人影は白い小さな袋から砂をまき散らす。

 風に乗った砂がヴォレを襲う。

「何だこれは!?」

 人影はその一瞬を見逃さなかった。砂によっておこなった瞬き一回、その一秒にも満たない間隔で、瞬時にヴォレの懐に潜り込む。

「!?」

 ヴォレは即座に反応し、胸ポケットの銃に手をかけた。

 しかし時は既に遅く、人影の持つナイフが、ヴォレの首を引き裂いた。

「ぐっ、ぐあぁぁぁあ!!!」

 ヴォレは吹き出る血を止めるように首を抑え倒れ込む。人影は更にそれに追撃するようにしてヴォレに馬乗りで跨った。

 ヒューヒューとヴォレの喉から空気の抜ける声が聞こえてくる。

「な、何なんだよお前・・・。俺がお前に、何をしたんだ!」

 ヴォレは必死になって叫んでいる。

「・・・何をしただって?いっぱい人を殺したんだろう?」

 震えるように声を絞り出す人影に、月の光がかかる。月明かりに照らされるように、そこにはアルバート・リヒターの顔が写っていた。

 アルバートの声が震える。

「何故、何人も人を殺したお前が生きて、母さんが死ぬんだ。何故、何もしていない少女が死に、その両親は泣いているんだ。」

 アルバートの声に、ヴォレの息は荒くなっていく。

「警察が見つけられないと言うのなら、俺が見つける。法で裁けないと言うのなら、俺が裁く。・・・精々地獄を楽しみな。」

「や、止めっ・・・!!」

 ヴォレの叫びと共に、アルバートの持つ刃は振り下ろされた。


 ポタポタとナイフから血が滴り落ちる。アルバートは右手に握る目玉を白い袋に入れた。

 不意に通りから人の声が聞こえてくる。

 アルバートは滴り落ちる血をハンカチで拭き取り、消えるように闇に溶けていった。




 ここはドイツ=ニルヴァ州。アートの街と言われ、世界中から観光客が訪れる。

 しかしその裏では、数えきれない程の事件や、悪夢が、今もゆっくりと街を歩いている。

 しかしその街で、まことしやかに語られる噂があった。

 男の名はザントマン。夜の街に現れ、悪を裁く者。男は罪人か、それとも英雄か。

 その実態は未だ、謎に包まれている。




         完




 この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

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