画像生成AIを作ったら炎上したので、今度はエロで儲けようとしたら、物理的に炎上させられそうになった話

うつみ いっ筆

「オカズ」。それは人生を賭けた探求……

 ここだけ押さえてほしいポイント!


・AI

 人工知能:Artificial Intelligence の略。

 明確な定義は存在しないが、一般的には「大量の知識データに対して、高度な推論を的確に行うことを目指したもの」、「人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもの」とされる。


・画像生成AI

 大量の画像データを学習させることで、画像を自動的に生成するAI。単語や文章の形で入力されたイメージをもとに、画像を自動生成することができる。

 学習データさえ用意すれば、特定の個人が描いたイラストに似た絵柄の画像を生成することもできる。




 これは、そんなAI開発の最前線に挑んだBAKAYAROたちの物語──


──────────────────────


「クソッ! どうしてこんなことにッ!?」


 株式会社ラワトル社長、本田健作は追いつめられていた。

 

 時刻は深夜。都心の某所に建てられた、デザイナーズオフィスの一室。

 電源の落とされたPCモニターが、ずらりと並ぶフロアの真ん中で、健作は悲嘆に暮れていた。


「全部うまく行ってたんだ……俺たちが世界を変えるはずだった……それなのにっ」


 高濃度アルコール飲料のロング缶をあおる。

 口からこぼれた酒が、シャツの胸元を濡らすが気にしない。ズボンの股間にまで染みが広がり、三十路男が盛大に漏らしたような風情だが、それでも健作は気にしなかった。

 ただ暴力的なまでの酩酊感に脳髄を犯されながら、文字通り酒を浴び続ける。


 周囲には、潰れた空き缶が無数に散乱している。


 パロアルトのガレージを模したというオフィスも、こうなってしまえば形無しだった。

 木材と鉄骨が剥き出しになった室内には、大量のゴミと、その真ん中でくだを巻く泥酔男。

 まさに裏寂れたスラム街の如き様相である。


 空になったアルコール缶を投げ捨て、次に手を伸ばした健作は、ぐらりとバランスを崩した。

 そのまま床に倒れ込む。


 床でしたたかに頭を打ち、空き缶の角に全身を刺されて呻く。

 なにか硬いものを下敷きにして、健作はイライラと身を起こした。


 ゴミの中を引っ掻きまわす。指先に触れた物体を無造作に掴み、引っ張り出し、健作は舌打ちした。


 それは一台のタブレットPCだった。


 健作が触れたことでロックが外れたのだろう。蜘蛛の巣状にひび割れた画面には、大手SNSのタイムラインが表示される。


『世界を変える画像生成AI「ART Zoo」! 正式リリース開始!』


 数日前に投稿された自社製品の告知。

 すべての始まり。

 本田健作が、ラワトルが、世界を変えるはずだった日の投稿。


「……クソっ」


 健作は、酒に濁った目で画面を睨みつける。もはや何度目とも知れない悪態をつく。


 全部うまく行っているはずだった。


 順調そのものだった商社勤務を辞め、練り上げた事業計画書を銀行に提出し、かき集めた資金でAI開発のスタートアップを立ち上げた。

 前職で培ったコネと人脈を駆使して、人も機材も揃えた。


 開発には、いくつもの技術的な壁が立ちはだかったが、その都度、社員たちを鼓舞し、時間と労力をかけて解決した。高額のギャラと引き換えに、海外から一流のエンジニアを招きもした。


 じりじりと減り続ける資金に胃を焼かれ、無為に過ぎていく日々に焦燥を募らせる。

 限界など、とうの昔に越えた。目の前に迫る破産の危機から目を逸らし、執念だけで進み続けた。

 そうして、やっとの思いで完成させたAIに触れたとき、健作は発狂寸前になった。


 これだ! これこそが、俺の思い描いた夢だ!!


 誰もがクリエイティブになれる世界。

 ほんの一握りの人間に牛耳られていたアートが、万人に広く開放される世界。


 コイツが世に出れば、すべてがひっくり返る。自分たちは、それだけのものを創った。そのはずだった。なのに──



 クリエイターに対する侮辱。

 著作権を侵害するならず者共。

 利益を掠め取ろうとするコソ泥集団。



 AIをリリースしたその日から、ラワトルの公式アカウントには、数えきれないほどの罵詈雑言がぶつけられた。


「ART Zoo」は、人間のアーティストが描いた作品を勝手に学習している。生成される画像は、アーティストの作品の模倣に過ぎない。「ART Zoo」は、アーティストの権利を著しく侵害している。


──それが奴らの主張だった。


 批判の矛先は、AIの教育を依頼したクリエイターたちにまで向かい、「ART Zoo」は、リリース開始からわずか数日で配信停止を余儀なくされた。




「どいつもこいつも、好き勝手言いやがって……っ」


 プロのイラストレーターだって、最初は他人の絵を真似て練習したはずだ。それがAIになった途端、ぎゃあぎゃあと。


 同じAIでも、自動運転や自動翻訳は、ここまで問題視されなかった。チェスや将棋AIは、人間の研究パートナーとして、すでに広く浸透している。


 AI技術をもてはやしながら、自分たちの領域に踏み込まれた途端、拒否反応を示す。


 どうしようもない愚民共に、健作の怒りは募った。


「シャチョウ? そろそろ、ヤメたほうガ……」

「ぁあっ?」


 声を掛けてきた男、マイケルは健作の視線に「ひぃっ!」と腰を引かせた。


 2メートル近い長身に、130キロの巨体。闇の中で、なお黒光りする禿頭。両国を歩けば、確実にちゃんこを振舞われるであろう、筋肉だるまbulky black


 ラワトルの主任エンジニアであるマイケルは、体格の割に小さな目を、きょろきょろと泳がせる。その小動物じみた反応が、さらに健作をいら立たせた。


「マイケル、お前は悔しくないのかッ!? 手塩にかけて育てあげたAIが、あんな底辺のクソどものせいで、潰されたんだぞ!?」

「いやあ、コンカイの件はシカタないと思うヨ? アンナ事件が起きちゃったんダシ……」

「事件? 事件だと? バカな活動家どもが、うちのAIが生成した画像を使っただけだろ!? それのどこに問題がある!?」

「オオありだと思うヨ?」


 マイケルは、酒臭い息を吐く健作と距離を取りながら、


「だって、神絵師のニセモノが出ちゃったんだシ」




 ──ことの始まりは、SNSに投稿された一枚のイラストだった。


 檻に入れられ、首輪をはめられた一人の少女。

 狭い檻の中、虚ろな表情で倒れる少女の周囲には、品定めをしていると思しき男たちの影。


 フォロワー数、20万を超える有名イラストレーターが描いたそのイラストは、多少過激ではあるが、とり立てて珍しいものでは(特に日本のネット空間では)ない。それなりの反応とコメントを得て、タイムラインを流れていく。イラストレーターの気が向けば、画集に載るくらいはするかもしれない。


 そのイラストに、自称活動家が噛みついた。


 いわく、女性の人権を侵害している。

 いわく、女を家畜化しようとする、男の醜悪な本性が垣間見える。こんな人間が野放しになっている日本は、どうかしている──


 有名イラストレーターが描いたイラストを引用し、自称活動家は罵詈雑言をネットの海に解き放った。


 界隈では、それなりに名の知られた人物だったらしい。自称活動家の言葉は瞬く間に拡散され、賛否両論、喧々諤々、見るも聞くも無残な意見の応酬に発展。


 これだけならば、やはり珍しい話でもなかっただろう。


 問題は、有名イラストレーターが描いたとされるイラストが、実は「ART Zoo」によって生成された偽物だと判明したことだった──




「こいつら、利用規約を見てないのか!? 生成した画像には、必ずうちのロゴが入るし、追跡もする仕組みになってるって、こんなにでかでかと書いてあるのにっ!」

「そういうの、読まない人たちなんじゃナイ? ボクのMommyも、家電のセツメイショとか読まないし」

「だとしてもだッ! 普通やらないだろ、こんなこと。SNSを監視してる暇人なんて、掃いて捨てるほどいるんだぞ? この自称活動家だって、その一人だ」


 健作はタブレットで、自称活動家のアカウントを表示する。


「見てみろ! 切り貼り、改変、読み違え。他人の揚げ足をとるためなら、なんだってやってる!

 普段から他人に粘着して、重箱の隅ばっかりつついてるようなやつが。こんな雑な嘘ついたら一発でバレるって、普通わかるだろ!? なのに、なんでこんなアホな真似をッ!」


 AHOアホだからじゃないかな? という言葉を、マイケルはぐっと飲み込んだ。


 それで酷い目にあった社員を、先日目撃したばかりだ。健作のヒステリーは、体重計に当たり散らすAmericaのMommyよりも恐ろしかった。




 事実無根の告発を受けたイラストレーターは、即座に法的手段に訴えることを宣言。


 そこまではいい。そこまではいいのだが、なぜラワトルにまで批判の矛先が向けられるのか。あまつさえ、AIの公開を停止し、会社の事業が立ち行かなくなるまで、追いつめられねばならないのかっ!


「なんなんだよ、こいつら……批判してくるのは、絵なんて一枚も描いたことないやつばっかりじゃねぇか……自分が被害を受けたわけでもないのに、なんでこんなに怒ってんだよ、こいつら」

「正義のボウソウだね。とりあえず、セケンの話題にイッチョ噛みしとけば、ジブンは正しいって思えるんだヨ。SNSなんて、そんなモンだよ」

「ちっ。この異常者共がッ……どいつもこいつも、アカウント歴10年未満の凍結常習者どものくせにっ」

「逆に10年以上やってるヒトのほうが、異常者って多くない?」


 もはや何度目とも知れないやり取りに、マイケルは深々と肩を落とした。


「だから、Delaware州に行こうって言ったんだヨ。あそこならtech companyも多いし、Nipponからの批判だって届かない。税金だって、ほとんど払わなくていいのニ」

「『日本人が、日本から世界を変えるAIを発表する』っていうストーリーが、金を集めるんだよ。何度も説明しただろっ!」


 ゴミの中から新しい酒を発掘し、プルタブを開ける。

 ハイボールを流し込みながら、健作はタブレットを使い、管理者権限で「ART Zoo」にアクセスした。


「だいたい、なんでこんな画像が出力されたんだ!? セーフサーチが機能するはずだろ!?」


 昨今の世界的な風潮もあり、「ART Zoo」は、いわゆる性的な画像が生成しづらくなっている(そのように設定しないと、カード会社から決済を拒否される可能性が高いため)。


 問題のあるキーワードは弾かれ、バッシングの原因になったような画像は、出力されないはず。それなのに、なぜこんな事態を招いたのか。


「やっぱアレか? 学習素材に、海外の画像サイトから、データセット引っこ抜いてきたのがマズかったか」


 あそこ、無断転載のオンパレードだったもんな──思考を巡らしつつ、件の自称活動家の使用履歴にアクセスする。


 自称活動家のIPアドレスに、「ART Zoo」を利用する際に連携したSNSのアカウント情報。有料サービスを使用するために登録された、クレジットカードの番号まで。づらづらと画面に表示される。


「うげっ」


 画像を生成するために打ち込まれたキーワードを目にして、健作はうめいた。


 それはまさに、蟲毒だった。


 差別と偏見とエゴと執念。ありとあらゆる負の感情をつめ込み、煮込んで固めて腐敗させた情念の成れの果て。

 およそ人間の思考とは思えない文言の数々に、健作は顔をしかめる。


「こいつ、普段からこんなこと考えてんのか?」


 ラワトルのエンジニアたちが設定した網を潜り抜けるためだろうが、それにしたって。


 健作は、恐る恐る画面をスクロールした。最初は大人しかった単語が、履歴を下るにしたがって、どんどんと過激になっていく。

 なんだか、自称活動家の頭の中を覗き込んでいるようで、気味が悪い。


「あの画像サイト、イラストレーターの名前をタグに使ってたのか。それをキーワードに打ち込んだから、絵のタッチが似たんだな」


 やっぱ確信犯じゃねぇか。


 自称活動家に対して怨嗟を募らせていた健作は、ふと顔を上げた。

 さっきまで、隣にいたはずのマイケルが見当たらない。


 まさか帰ったのか。薄情なやつめ。これだから耶蘇バテレンは、と罵りかけた健作は、床に座り込んでいる巨体を見つけて歩み寄る。


「おい、なに見てんだ?」

「あっ、シャチョウ! それは……!」


 健作は、マイケルの手からタブレットを取り上げた。

 明々と光輝を放つ画面を見て、そのままマイケルの頭にタブレットを投げ付ける。


「ひとが会社の経営で悩んでるときに、AVなんぞ買い漁るな、この肉団子がっ!」

「AVなんかとは、なにヨ!? これは偉大な芸術品だヨッ!?」


 おぅっ──健作は、たたらを踏んだ。突如、豹変したマイケルに、ぎょっとして後退る。


 額から血を吹き出したマイケルは、文字通り血走った目で健作を睨みつけながら、


「日本のAdult Videoは、世界の至宝! 欲望と混沌が支配し、誰もが隠したがる性のいとなみを、Artにまで高めた素晴らしいものなんだヨ! それを、なんか呼ばわり? いくらシャチョウでも、許さないよ!?」

「お、おう……おう?」


 なんで俺は怒られてるんだ?


 疑問を抱きながらも、健作はその場で正座した。

 額から血を流しながら、異常なテンションで、日本のAVを語る巨体の黒人男性。

 どこからどう見ても、まともなシチュエーションではない。ちょっと命の危険を感じる。警察を呼ぶべきか?


 よく見ると、マイケルが着ているTシャツには、健作も知っている日本のAVメーカーのロゴが、でかでかと印字されている。

 仕事場として与えたデスクには、無数のAV嬢のポスターとDVDのパッケージ。PCモニターの周囲に陳列される無数の女たちは、まるで悪魔に捧げられる生贄のようだ。


(ここ、会社のオフィスのだよな?)


 夢と希望に満ち溢れているはずのスタートアップが、どうしてこうなったのか。そもそも自分はなぜ、こんなやつをアメリカから招き寄せてしまったのか。


「シャチョウ、聞いてるッ!?」

「ん、聞いてる聞いてる」


 だんだん酔いがさめてきた。


 いまだ熱弁を振るうマイケルをあしらいつつ、健作はこれからについて考える。

 明日は、オフィスの賃料を振り込まなければ。

 わざわざ、ボンクラどもを引き寄せるために借りた物件だけあって、それなりにお高い。いまの健作には、なかなか痛い出費だ。


「だから、Oppaiも前から揉むか、後ろから揉むかで、見えかたがゼンゼン違うんだヨ。これが動画になると、もっとタイヘンだヨ。AVって、一本が2時間くらいあるでショ? ボクの好みにRight upしたシーンを見つけるためには、早送りなんてロンガイ。だから一日にカンショウできるのは、2本が限界で」


 資金繰りも悪化しているし、こんな状況では新たなスポンサーなど見つかるまい。


 ここはいっそ神奈川あたりに都落ちして、再起を図るべきか。


「最近は減ったけど、パッケージ詐欺はなくならないしサ。あ、カン違いしないで。シュツ演してる女優さんたちは、みんな素晴らしいんだヨ? でも、sampleにあったはずのシーンが収録されてナかったりとか、チクビの色がdisc jacketと違ったりとか。このあいだなんて、Kuro girlものを買ったのに、出てきたのが、ゴリゴリのOni girlで、マジふざけんなヨって思わずボクのLight saberを振りまわしそうに──」

「いま、なんて言った?」

「What's?」


 マイケルは首を傾げた。怖いくらい真剣な顔をした健作を見て、自身の腹の下に視線を向ける。


「ボクのLight saberを、」

「いや、いい。黙れ。もうしゃべるな」


 不満げな顔をするマイケルに背を向けて、健作はオフィスの中を歩き始めた。


 無人のデスクのあいだを縫うように、真っ暗なオフィス内を右へ左へ。

 酒に濁っていたはずの瞳は、いつの間にか鋭い光を取り戻し、その口元はぶつぶつと独り言をくり返している。


「別に特別なことをしようってわけじゃない。似たサービスの精度をあげるだけだ。技術的には可能なはず──」


 健作の足が、ぴたりと止まる。


 困惑するマイケルを振り返り、健作はにやりと笑みを浮かべた。

 まるで獲物を見つけた猛禽のように、凶暴な笑みだった。


「仕事だ、マイケル。すぐに他の社員たちを呼び戻せ!」





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 一年後──


 一年前と同じオフィス。一年前よりも上等なデスクと椅子に腰掛けて、健作はほくそ笑んでいた。


 順調だ。すべてが順調だった。あらゆる事態が、健作の予想したとおりに進んでいる。


「やっぱり、オレは天才だったんだ。ふふふ──」


 己が才能を自賛しながら、健作は今日までの日々を振り返る。




「ART Zoo」を否定され、失意のどん底にいた健作は、しかし、起死回生の策を思いついた。

 すぐさま暇を出していた社員たちをかき集め、マイケルを中心としたエンジニアチームと共に、新たなAIサービスの開発に取り掛かった。


「エロだ! オレたちは、エロで世界を獲るんだよっ!」


 世界中のあらゆるオカズとユーザーを繋ぐAIエンジンの開発──己のリビドーが欲するところの画像、動画を学習させることで、彼あるいは彼女が求めるオカズを、ネットの海から探し出してくる魔法のランプAI


誰もがクリエイティブになれる世界ART Zoo」の次に健作が選んだのは、人類の根源に対する挑戦だった。


 当然、世間からは理解を得られない異端の技術である。

 銀行は、どこも批判を恐れて、追加の融資を断った。


 しかし、健作は諦めなかった。


 世の中には、己が深淵に飲み込まれた紳士淑女たちが必ず存在する。彼ら、彼女らは、周囲の無理解と孤独に苦しみ、本当の自分を偽りながら暮らしている。

 その中には、発散できぬリビドーを世界にぶけることで抑え込み、黄金の山を築くことで己を慰めている者が、必ずいるはずだった。


 健作の予想は当たった。


 その老人は、郊外の山奥でひっそりと暮らしていた。


 貧しい家に生まれ、戦後の混乱を生き残る中で、老人は様々な事業に手を出した。闇市で米を売り、不正軽油を米軍に納め、ときには縁日のカラーひよこで幼子の小遣いを巻き上げもした。


 生きるため、家族を支えるため、老人は懸命に働いた。周囲の誰もが、そう思っていた。


 しかし、実際は違っていた。


 幼き日に見た、とある光景。あまりにも鮮烈な記憶に、老人は囚われていた。


 長じるにつれて、その記憶はますます老人を蝕んだ。もはや叶うことはないと知りながら、いや、知っているからこそ、なおいっそう身を焦がす。


 その想いは、飽きることなく老人を駆り立て、苛んだ。そうして想いが募るほどに、老人の財は増え続けた。


 気付けば余命、幾ばくもなく。一代で莫大な富を築きながら、老人の人生は乾ききっていた。


 もはや、このまま朽ちるのみ。


 叶わぬ願いを抱え、ひとり人生を終えようとしていた老人に、健作はこう告げた。


 自分ならば、あなたの願いを叶えられる。誰がなんと言おうと、私はあなたが抱える衝動を肯定する──


 そのとき、老人がなにを思ったのかはわからない。ただ黙って、健作が欲しただけの金額を、老人はラワトルに出資した。


 半年後──幾多の困難を乗り越え、ついに完成したAI「岡Zoo」は、見事、老人の積年の想いに応えた。

 老人と同じリビドーを抱えた者たちによって、その作品は、ひっそりと世に放たれていた。


 熟れて腐り落ちる寸前。決して見目美しいとは言えないその女は、田舎の廃屋へと強引に少年を連れ込み、そのたるみ切った身体で若い衝動を貪り食った。恐怖で声を上げることもできず、為すがままとなった少年の記憶を、老人はVR技術を使うことで追体験した。


 あの日、あのとき。己が魂に刻み込まれた衝動を、老人はやっと解き放つことができたのだ。


 VRヘッドセットの下で涙する老人を前に、「岡Zoo」を開発したエンジニアたちも、またむせび泣いた。自分たちの仕事は、たしかにこの老人の魂を救ったのだと、互いの健闘をたたえ合った。


 そんな男たちを見て健作は、「こいつらほんとに度し難いな」と思っていた。


 ともあれ、AIは完成した。


 オカズ検索特化型AIエンジン「岡Zoo」は、リリースされたその日から、世間の耳目を大いに集めた。

 株式会社ラワトルには、良くも悪くも前科がある。事業に頓挫したスタートアップが、追いつめられておかしくなったというのが、当初、世間の反応だった。


 ネタ目当てで、いっちょ使ってみるか。


 最初期のユーザーたちも、その程度のつもりだった。各々が好みのオカズを学習させ、AIの出力結果を目にした瞬間から、良くも悪くも世界は変わった──





 新調したオフィスチェアに揺られつつ、健作はPCのモニターを眺める。


 世界中の紳士淑女たちは、せっせと己が熱情をAIに食わせていた。そうして吐き出された結果に熱狂し、高められた欲望を再びAIに食わせる。


 まさに、エロの無限ループ。

「岡Zoo」の利用者数は、綺麗な上昇カーブを描き、リリースから半年で世界人口の10パーセント余りをとりこにした。その勢いは衰えるどころか、なおも加速している。


 いずれ「岡Zoo」が人類の、ありとあらゆるオカズに対応する日も近いだろう。

 いまは作品とユーザーを繋ぐだけだが、いずれは画像、そして動画を自動生成する機能も実装する予定だ。


「タイヘンだよ、シャッチョウ!」


 世界のエロを支配する自分の姿を夢想し、ひとりほくそ笑んでいた健作は、その声に顔をしかめる。


「なんだ、マイケル。また活動家からの抗議か? うちは、男同士の絡みだって提供してるから、女性の人権侵害には当たらないぞ」

「ちがうヨ! そうじゃなくてっ」

「野菜の生産者さんたちには、うちじゃなくて作品を作ったメーカーに文句を言ってもらえ。コラボの提案も、うちでは引き受けかねる」

「ソッチでもなくて!」


 マイケルは、黒光りする頭頂部を左右に振りながら、必死の形相で訴えた。


「岡Zooが、ユーザーを海賊版に誘導してるって。AVを作ってるメーカーさんから、うちが訴えられたんだヨ!?」

「──ほう、そうか」


 反応の薄い健作に、マイケルは、ぎょろりとした目を見開く。


「シャチョウ、わかってる!? これは、タイヘンなジタイなんだヨ! このままジャ、日本のAV文化は、スイタイしてしまう!」


 分厚い肩を怒らせて、健作のデスクを叩くマイケル。


「ギョーカイにMoneyを出さないと、誰も作品を作ってくれないんだヨ……そしたら、女優さんたちの居場所もなくなるんだヨ。あのスバラシイ演技が、見られなくなるんだヨ……みんな、なんでソレがわからないんだヨっ!」


 傷ひとつないデスクの天板が、みしりと音を立てる。

 でかいソーセージのごときマイケルの指が、こぶしを形作った。


「こないだ BLUE SNAKE に行ったときも、ぼくがラワトルで働いてるって言ったら、ユリアちゃんに怒られたヨ! あなたたちのせいで、ギョーカイの人たちめっちゃメイワクしてるって!」


 どうやら、AV女優が働いているキャバクラに行って来たらしい。

 お気に入りの女優に叱られて、よほどショックだったのか、マイケルは巨体を震わせて泣き始めた。


「一ヶ月前から予約して、やっと指名できたのに……ユリアちゃん、5分でテーブル離れちゃったヨ」

「それはいかんな。プロなら、どんな客だろうと楽しませるべきだろうに」

「誕生日にはお花も送ったし、エル〇スのバッグだってプレゼントした。ロマコンのピンドン割りまで頼んだんだヨ!? なのに、アフターもつき合ってくれないなんて」

「それは、そういうもんじゃないか?」


 粘っこい涙が、ぼろぼろとマイケルの頬を垂れ落ちる。

 それは海賊版にばかり手を出す、ユーザーへの怒りか。はたまたアフターを断られた男の悲哀か。


 健作は、「こいつ画像生成AIの学習元には、なにも言わなかったくせに、AVの海賊版にはキレるのか」と思いながら、デスクから立ち上がる。


「安心しろ、マイケル。問題はすぐに解決する」

「ムリだよ、シャチョウ……うちのギョーセキは、REDのままなんだよ? 訴えられたら、破産するしかないヨ……」


「岡Zoo」の公開から半年。

 順調に増え続けるユーザーとは裏腹に、ラワトルの収益は赤字のままだった。


 AIの使用は、基本無料なうえに、企業はイメージの悪化を嫌って広告を出してくれない。AVメーカーからは、海賊版を広める元凶として、敵視すらされている。


 スポンサーから集めた資金とて無限ではない。軟化していた銀行の態度とて、訴訟の件を知ればどうなるか。


 刻一刻と迫る破産タイムリミットを前にしても、健作の余裕は崩れなかった。


「まあ、見ていろ。せっかく種をまき終えたんだ。収穫は、これからだ」


 地上10階にあるオフィスの窓には、健作の不敵な笑みが映っていた。





────────────────────────






「──まあね、目のつけどころは良かったと思うんですよ。ええ」


 さらに半年後。

 場所は三度、都内某所のデザイナーズオフィス。


 豪奢な来客用ソファーに腰かけた中年男を前に、健作は眉間の皺を隠さない。

 隣では、ラワトルの技術主任として同席を求められたマイケルが、懸命に身体を縮めている。中年男と健作を見比べながら、早く解放してくれと、小刻みに貧乏ゆすりを繰り返していた。


「うちは、まっとうな商売をしてる会社ですよ。公安に難癖をつけられるような真似は、してないはずですが?」


 こめかみをひくつかせる健作。


 公安警察を自称する中年男、鈴木(おそらく偽名だろう)は、健作の刺々しい態度にも、まったく動じる様子はなかった。

 出された茶を一口含み「……渋いな」と呟いた。


「別に、おたくのやり口をどうこう言うつもりはありませんよ。そもそも、法律に反してるのは、おたくのAIを使ってるユーザーの側だったんだ」

「ええ。ですからうちは、お客様に警告したんですよ。海賊版だろうと作品を利用したなら、そのぶんの料金を払えとね」


 オカズ検索特化型AIエンジン「岡Zoo」を利用するためには、SNSとの連携が必須になっている。学習させる画像、動画の量にも制限があり、限度を超えた分には一定の利用料を払う必要があった。


 各AVメーカーより訴えを受けたラワトルは、SNS、およびクレジットカード会社を経由して、利用者の情報を獲得。「岡Zoo」を使って違法な海賊版を利用したユーザーに対し、一斉に警告文を送った。


 いままで視聴した作品に対する代価を、全額、耳を揃えて支払うこと。でなければ、法的措置を行うことも辞さない──


 ほとんどのユーザーは、この警告を無視した。SNS上で、ラワトルを公然と批判する者たちも現れ、あっという間に「岡Zoo」は炎上した。


 3ヶ月後。


 ラワトルは、特に悪質と認められたユーザーの提訴を発表した。訴状には、ユーザーたちの氏名と、そのユーザーが、どんなキーワードを入力して「岡Zoo」を利用したかが記されていた──


「うまい手でしたなぁ」


 鈴木は、渋茶が入った湯呑みを両手で包み込んだまま、しみじみと呟いた。


「自分の性癖をばらされたくなかったら、金を払えだ。こいつに逆らえる人間は、少数派ですわな。しかも、違法に海賊版を利用したとあっては、官憲を頼るわけにもいかない」


 お見事お見事、と漏らす鈴木に、健作は威嚇の笑みを崩さない。


「昨今の海賊版被害は甚大です。年間、数千憶円ともいわれる額が、クリエイターたちに還元されないままとなっている。AV業界にしたところで、それは同じ。作品を作る多くの人々を守るために、うちは当然のことをしたまでです。それなのに、公安の方から目をつけられるなんて」

「いやいや。我々は、あなた方の商売に、ケチをつけるつもりはないんですよ。たとえ、支払われた罰金の中から、幾ばくかを、あなた方が受け取っていたとしてもね」

「我が社も慈善事業ではない。たとえ海賊版であろうとも、我が社のAIを使ってユーザーが作品を視聴したなら、その分の手数料はいただかないと」


 映像配信サービスと同じですよ、と健作はうそぶいた。


 作品の利用者からは、確実に料金を徴収し、海賊版の跳梁を許さない。そうやって軽視されがちな、日本のアダルト文化を守っているのだ、と。


 現在、ラワトルは、日本の各AVメーカーとも提携している。ラワトルが収集したデータをもとに作品を作り、ユーザーはラワトルのAIを使って作品にアクセスする。検索結果からは、海賊版を排除して、だ。

 その輪は日本に止まらず、徐々に世界へと広まりつつあった。


 株式会社ラワトルは、いまや世界のオカズ市場を牛耳る、巨大テック企業へと変貌していた。


「我が社は文化の守護者ですよ。口では、人権だなんだと口にしながら、実際には違法行為に手を染めている連中と一緒にされては困ります」

「ええ、ええ。重々存じておりますとも。その節は、私共も大変お世話になりましたからな」


 鈴木は、胸の中の澱みを吐き出すように、息をこぼした。

 それは、この得体の知れない中年男が、はじめて人間らしい反応を示した瞬間だった。


「あの自称活動家には、以前から私共も目をつけていたんですがね。いやはや、まさかあんな趣味をお持ちだったとは」

「……ああ、あの人ですか。私も見ましたよ。検索履歴が、少年モノで埋め尽くされてましたね。たしか、視聴履歴も」

「ええ、それも海外製ばかり。そのほとんどに、人身売買をやってるような連中が絡んでましてね。なかには、目を覆うようなシーンも多々あった。それが作りものなら、私共もとやかく言いません。だが、あれは全部本物だった。生身の人間を、それも子供を使ってだ。あの自称活動家は、それを何度も目にしておきながら、世間に知らせようとはしなかった」


 胸糞の悪い、と鈴木は吐き捨てた。


「……失礼。少々、取り乱しました。本日お伺いしたのは、それとは別件でしてね」


 鈴木は居住まいを正すと、再び感情の見えない顔に戻った。


 湯呑みをテーブルに置き、正面から健作の顔を見据える。

 対面に座る健作も、受けて立つつもりで睨み返した。



「実はいま、我が国にめっちゃ暗殺者が入ってきてましてね。それが全部、あなたと、この会社を狙っているようで」



「すみません、もう一度言ってもらえます? え、めっちゃなにが入ってきてるって?」



「暗殺者です。それも宗教や思想信条もバラバラな連中が、世界中から、めっちゃあなた方を狙ってきてます」

「めっちゃ」

「めっちゃ」


 意味がわからない。


 健作は隣のマイケルを見るが、マイケルも意味不明という顔で肩をすくめる。


「シャチョウ、アンサツシャってなに? ニンジャの、シンセキみたいなもの?」

「いや、暗殺者は忍者と関係……なくもないのか? うん? 暗殺者と忍者?」


 混乱する健作たちに、鈴木は落ち着くよう身振りで示した。


「簡単に言うと、テロリストですな。連中のせいで、この国の空と海は大混乱ですよ。武器やら爆弾やらが引っ掛かって大騒ぎになったり、領空侵犯してきた機体相手に戦闘機を飛ばしたり。ほら、昨日だって、不審船騒ぎがあったでしょ?」


 健作はスマホを取り出すと、ニュースサイトを読み漁る。


 空港の荷物検査で発見された銃火器類。都内で爆弾製造を試みた外国人の逮捕。不審船と巡視船の間で起こった銃撃事件──


「……まさか、これが全部うちを狙ってたって言うんですか?」

「端的に言いますと」


 マイケルは、ソファーを蹴り飛ばすようにして立ち上がった。


「シャチョウ、今度はなにをやらかしたのっ!? ハンザイはダメだって、ボクいつも言ってるのにっ!?」

「馬鹿野郎っ! オレは、いつだって法令を遵守してる! ただグレーゾーンを狙ってるだけだ!」


 新年のビンゴ大会で、社員たちに配る高級家電を会社の金で買い、その分のポイントを自分のポイントカードにつける。それが本田健作という男だった。


「お前のほうこそ、どうなんだ!? 六本木と新宿のキャバクラは、だいたい出禁だって聞いたぞ! 昨日だって、AV嬢にしつこくDM送って、キモいって晒されてたよな!?」

「NOoooooッ!? あれは、ショーコちゃんなりのアイジョウ表現っ! ボクと彼女は、互いに心で通じ合ってるんだよ!」


 来日2年目。話し言葉は怪しい癖に、DMではおじさん構文を使いこなし、数々のキャバ嬢からアフターを断られ続けているアメリカ人。それが、マイケルという男だった。


「おたくの会社が作ったAI。岡Zooでしたか。利用者の数は、世界中で十億人を超えるとか」


 醜く罵り合う健作とマイケルにかまわず、鈴木は話を続ける。


「それだけいれば、著名人や世界的な富豪、宗教関係者。中には、犯罪組織の構成員だって含まれるわけでして」


 マイケルの巨体に、仏像のオブジェで対抗しようとしていた健作は、その言葉に動きを止める。


 鈴木は茶を啜り「やっぱり渋いな」と呟いた。


「おたくが送った警告文。アレの効果は、思ったより大きかったようですな」


 どこか哀れむような鈴木の視線。


 ゆっくりと仏像を下ろした健作は、応接室のソファに腰を下ろした。


「予想外の需要だな」


 その発想はなかった。


 衝撃にうつむきながら、健作は考える。最近、伸ばし始めたアゴ髭を、指先でいじりつつ、


「つまり、そいつらから金をとる方法を考えろと」

「そういう話じゃないよ、シャチョウ」


 マイケルは冷静に突っ込んだ。

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画像生成AIを作ったら炎上したので、今度はエロで儲けようとしたら、物理的に炎上させられそうになった話 うつみ いっ筆 @katori8

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