10 やはり罠だったか

 天香とのひと悶着を終えて、蒼生は生徒相談部に正式に入部することになった。

 勝負自体は色々あってあやふやな結果になってしまったが、一応は勝った……というか天香が認めてくれたので、お言葉に甘えさせてもらうことにした。


 なので、猫探しの依頼を終えた翌日、蒼生は職員室を訪れていた。

 入部する代わりに奨学金給付を認めるという当初の約束通り、記入を終えたばかりの申込用紙を担任である千鶴に提出するためだ。


「うんうん、見たところ特に記載ミスは見当たらないね」


 自席に座る千鶴が受け取った用紙に目を通している。足を組み、回転椅子を左右に揺らしながら、時折マグカップに入ったコーヒーを口に含んでいた。


「あ、そうだ。振込先に変更はない? あれば別途に用紙渡さなきゃなんだけど」

「ない、っていうか俺がひとつしか口座持ってないって知ってるだろ」

「そりゃそうなんだけどさ、ほら、十五歳からは本人だけでも作れるじゃん? だから一応の確認だ、よ……っと」


 記載事項やら諸々の確認を終えると、千鶴はそう言いながら姿勢を屈ませて、下の引き出しからハンコとボールペンを取り出す。

 そして担任欄に捺印すると、今度はもうひとつ下の引き出しを開いてそれを収納した。


「じゃっ、後の手続きは私の方でやっておくから。長雨がしなきゃいけない作業はこれで終了。お疲れさんっ」

「なあ、今更だけど、本当に給付されるんだろうな?」

「おいおい、これでも学年主任だぞ? 生徒の規範となる行動が求められる我々が嘘なんてつくようなら即刻クビだろう?」

「…………」


 この前生徒を蚊呼ばわりしてただろうが、と蒼生が冷ややかな眼差しを向けるものの、当の本人はそれを気にする素振りなく背もたれに重心を掛ける。

 そして真面目に取り繕っていた雰囲気を軽く崩し、どこか感慨深そうに腕を組んで数回頷いた。


「いやぁ……にしてもまさか、長雨が人助けを進んでしてくれたとはねぇ。天香から聞いたよ? 迷子になってた初等部の子を助けたんだってね」

「あいつ、余計なことを……」


 猫探しの依頼を完了した後、その旨の報告をしに行ったのは天香だ。

 実のところ蒼生も付いて行くつもりだったものの「報告に二人も必要ないわ」と釘を刺すように告げられたので、仕方なく先に帰宅することにした。が、勝負の結果だけでなく横逸れた話まで包み隠さず伝えたらしい。

 結果だけ伝えれば十分だというのに……くそっ、真面目な奴め。


「……別に大したことなんてしてない。たまたまそこにいたから連れ添っただけだ」

「ふぅ~ん? たまたま、ね?」

「おい、そのにやけ顔やめろ」

「や~だってさぁ、あの長雨が人助けをしたんだよ? 天香から報告を受けてた時に偶然居合わせた他の先生達も驚いててさ。特に佐藤先生なんて、聞いた途端『あの長雨が!?』って目を丸くしてて~」

 

 千鶴は「へへっ、ざまあみろ」と舌を小さく出す。

 その姿は年甲斐もなく意地悪めいたもので、遠巻きに二人の様子を眺めている教師らに対して、日頃の鬱憤を晴らしているように見えた。

 次第にそのにやけ顔が蒼生へと帰ってくると、千鶴は再び分かったような口を利く。


「でも実際、金が貰えるからって理由だけじゃ、人はそう簡単に献身的にはなれないと思うけどね。あっ、もしかして……なにか気持ちの変化でもあったのかな?」

「だからっ……なんもねえよ。メリットがあったからやった。それだけだ」

「ふぅ~ん? まっ、そういうことにしとこうかね~」


 見透かしたような眼差しを向けてくる千鶴に、蒼生は苛立ちを露わに眉をひそめる。

 が、目に見える形としての抗議はそれだけで、それ以上感情を表に出すのは慎む。変に感情を露わにして弁明を展開しても、既に情報が筒抜けである以上、言い包められて余計に辱めを受けてしまうのがオチだから。悔しいが今だけは我慢だ。


(それに……この人にはあまり上から目線で物事を言われたくない)


 教師という立場というのもそうだが、個人的に、千鶴にはあまり内面を見透かされたくない。

 思春期を迎えた子供が親を疎んじるようになる、あの感覚に似ている。こっぱずかしいというべきか何というべきか、親目線でとやかく言われるのは……なんか嫌だった。


 すると、千鶴を相手にしないその態度が功を奏したのか、次第に彼女は興味を失っていった。

 

「ちぇっ、なんだよノリが悪いなぁ」

「ふんっ、下らない揚げ足取りにキャッキャウフフしてる教師に言われたくないな」

「失敬な。これでも生徒からは親しみやすい先生って評判なんだぞ?」

「それ、ただ舐められてるだけだろ」

「い~や違うね。ほら、うちの教師陣って平均年齢が高いからさ、私みたいな生徒寄りの若い先生がいると一躍脚光を浴びてしまうんだよ。そう……まさにこの学園の紅一点―――」

「ったく、三十路が背伸びしてんじゃねえよ」

「ああ酷っ! まだ二十八ですけど!?」

「大して変わらんだろ。誤差だ誤差」

「ぐぬぬぅっ、レディーに対してデリカシーのない男は嫌われるぞ……」


 ステージ上でスポットライトを浴びる主演女優になった気になっているその勘違いをきっぱりと正してやると、千鶴は恨めしいとばかりに目くじらを立てる。てかレディーて。

 確かに、この悪い意味で大人らしさを感じさせない親しみやすさは、生徒から評判にもなるだろう。勿論、舐めた態度を取っても大丈夫という意味でだが。


(というかこの前も陰で舐められてたしな。「うちの担任ってごねたら宿題の量減らしてくれるからマジ扱いやすいわ~」ってクラスの女子が話してるの耳にしたし)


 それなのに自分が生徒から信頼されているとひとり勘違いしているのだから、現実を突きつけてやるのはむしろ優しさと言えるだろう。ある意味感謝してほしいくらいだ。

 補足として千鶴の担当する科目は国語なのだが、教える科目が違ったとしても結局は舐められるんだろうな。うん。


「じゃあ俺は教室戻る。もう用は済んだからな」

「おうおう、二度とその面見せんなよ」

「おい教師。……いや、今更か」


 「生徒の規範となる行動が求められる教師とは?」と突いてやりたくなるほどの暴言をかましてくる千鶴だったが、現実はもう十分突きつけてやったので、それ以上のツッコミは諫めた。


(早く昼飯食べないと。午後の授業を飯抜きで挑むのはしんどいぞ)


 踵を返し、蒼生は職員室の出入り口に向かおうとして―――


 

 一転して大人びたように目を細める千鶴にそう呼ばれ、蒼生は途中で動作を止めた。


「……学園内で名前呼びは禁止なんじゃないのか?」

「まあまあ、バレなきゃセーフセーフ」

「そういうとこはほんと適当だな……ったく」

「で、どう? 今の生活は。楽しめてるかい?」

「…………」


 蒼生は千鶴の顔に目を合わせる。

 嬉しそうに微笑むその表情は、まるで最初からこうなることが分かっていたかのようで……あの時、入部を持ちかけられた時に覚えた違和感は、やはり正常な反応だったらしい。


(金で釣るなんて珍しいと思ったけど、やっぱ裏があったか)


 千鶴の手のひらで遊ばれていた感は否めないが、それでも見事に騙されてしまった手前、今更気づいても文句は言えない。

 本当に余計なお世話だと思う。それでも、精一杯の抵抗として後頭部を掻きながら、蒼生は煩わしそうに答えた。


「……まあ、別に悪くないんじゃねえの? 知らんけど」

「あははっ、相変わらず素直じゃないね。でも……そっか、なら良かった」


 ひとり納得し、千鶴は、愉快そうに表情を崩して続ける。


「まっ、そんな感じでこれからも天香を支えてやってよ。あの子、たまに周りが見えなくなることがあるからさ」

「知るか。俺は自分がしたいと思ったことだけする。あいつの子守りをするつもりなんて毛頭ねえよ」

「はいはい、そうですね~」

「ぐっ、だからその態度……」


 蒼生がぶっきらぼうに否定しても、千鶴は一切聞き入れてくれない。見透かしたようなにやり顔を返されて、蒼生はこれまた悔しさを露わにするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テディベアな美少女様に甘々に依存させられてしまいました そらどり @soradori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ