第64話 受け取った恩は、誰かに返したくなる

「宇佐美、ここにいたのか」


 まったく……。


 宇佐美のやつ、文化祭が近いからってここでやるんじゃ―――いや、違う!


「宇佐美、お前……」

 

 俺を無視して宇佐美が教室から出ようとする。


「待て待て」


 体でブロックした。


「風邪ひいてるんだろ? 送ってく」


「邪魔!」


「おいおい、声ガラガラじゃないか」


 いつもの美声とは真逆の声だった。これじゃあ歌えない。


 この声じゃあ、文化祭発表ギリギリだな。


 いや、治ったとしても文化祭で歌わせられない。


 宇佐美は俺と違って才能も実力もある。


 音楽関連の夢なら、確実に叶えられる。


 宇佐美の喉はここで消耗していいものじゃない。


「うるさい!」


 宇佐美が強引にすり抜けようとして、フラッと足元がぐらつく。


「おっと」


 倒れそうな宇佐美を腕でキャッチする。


「———っ」


「うわ、顔熱い」


 こりゃ、この間の俺と同じくらいだな。


「とりあえず帰るぞ。送ってやる」


「いい! それよりも練習して!」


「無理に話さなくていい」


 振りほどこうと暴れるが、ほどなくして収まる。


 力が全然入っていない。


 それほどまでに病気になっていたとは。


「俺に見つかったのが運の尽きだ。さ、送ってやる。俺の背中に乗れ」


 俺はしゃがんで背を向ける。


 最初は躊躇ちゅうちょしていたが、俺と問答する気力もない宇佐美は諦めて俺の背中に体重を預けた。それでいい。辛い時は甘えなくちゃな。


「意外と軽いな」


「悪かったね、スタイルが貧相で」


「そうは言ってないだろ。つか無理して喋るなって」


「藤木が喋らせたんじゃん」


「……悪かった。でもこれだけは教えてくれ。住所はどこだ? あ、言わなかったらお前のバッグを漁るからな」


 宇佐美は悟り、ぱっと住所を伝えてくれた。


「近いな。これならタクシーでも安く済む」


 校門を出てすぐの道路で運よくタクシーを拾えた。


 タクシーに乗るとすぐ、宇佐美はぐったりと座って目を瞑った。


 たぶん辛くて目を瞑っているか、寝ているだけだ。


 俺はスマホを開いた。


 ちょうどいい、小説を書こう。


 書きかけのページを開き、書いていく。


 よし、いいぞ。今日は筆が乗っている。


 この調子で、最新話を書き上げてしまおう。


 ふと、右肩に何かが乗った。


「おいおい……」


 宇佐美の頭だった。華やかな香りがしたのはこのせいか。


「ごめん、少しこうさせて……」


 声も気力も弱々しい。こんな宇佐美見たことない。


 仕方ない。


 今日だけ甘えさせてやる。


「好きなだけいいぞ」


「サンキュ……」


 肩をなるべく動かさないよう気をつけながら書こう。


 …………ダメだ。


 隣りから聞こえる弱々しい吐息が気になってしょうがない。


 室内に甘い匂いが充満する。


 俺はスマホを膝の上に置き、窓の外を見た。


 まったく…………限界ギリギリまで頑張りやがって。


 無理しすぎなんだよ。


 文化祭に命かけすぎだ。


 ステージ発表が、終わったら怒ってやる。


 だから今はゆっくり休めよ。


 肩の1つや2つ、貸してやるからさ。


 弱々しくも甘い吐息と静かなエンジン音が流れること10分。


 宇佐美の家に着いた。


 大きい一軒家だな。この辺りでも5番目に大きいんじゃないか?


「タクシー代、払う」


「別にいい。その代わり最後まで送らせろ」


 タクシーに代金を払った後、俺は宇佐美をおんぶして家まで届ける。


 あらかじめ受け取っていた鍵を使ってドアを開ける。


「お邪魔します」


 玄関は俺の家の1.5倍もあった。


 親父が生涯かけて払うローンで買った家より立地も良くて大きいとか、親父が見たら泣くな。


「送りオオカミにならないでよ」


「なるわねぇだろ」


 よくそんな言葉知っているな。


 ともかく俺は宇佐美のナビに従って宇佐美の部屋へ向かった。


「開けるぞ」


 一言断ってから開けた。


「片付いているな……」


 宇佐美の部屋はたくさんの楽器と作曲用のパソコン、うちの家のリビングと同じくらい大きい。多分9畳くらいだろう。


 羨ましい。俺の部屋なんて6畳もないぞ。ベッドもシングルだし。


 ……今はそんなことをしている考えている時間じゃない。


 早く休ませないと。


 丁寧にベッドに降ろす。


「ゆっくり寝てな。親が帰ってくるまではいるから、何かあったらスマホで連絡してくれ」


「部屋には、いないの?」


「いないよ。俺がいたら着替えとかできないだろ?」


「そう……」


 宇佐美が残念がっている? ……いや、まさかな。


「とにかく、病人は寝るのが一番だ。さっさと着替えて寝てろ。あ、冷えピタと水枕なら用意してやるぞ」


「水枕ない。冷えピタはリビングの棚にある。探して」


「りょーかい。その間に着替えてろよ」


 リビングに向かい、冷えピタと体温計を回収して部屋に戻る。


「冷えピタ見つけて来たぞ。入っていいか?」


「うん」


 宇佐美の声が辛うじて聞こえた。


 ゆっくりドアを開ける。


 宇佐美は布団の中に潜っていた。


 床には制服が脱ぎ捨てられている。


 ちゃんと着替えられたようだな。


 ……あんまり見ないでおこう。


「ジロジロ見んなし。ヘンタイ」


「み、見てねーし」


「うそ。視線、下向いてた」


 バレてた。


 瞬間、宇佐美が咳き込む。


「ほら、無駄な会話する暇があったら黙って寝てろ」


 そう言うと、宇佐美は掛布団を自身の口元まで上げた。


 気を取り直して、冷えピタを貼ろう。


 宇佐美の髪をかき上げる。


「……ん」


 宇佐美の髪、めっちゃサラサラして気持ちいいな。


 俺のゴアゴアした髪と大違いだ。


 それにおでこもニキビが1つもない、めちゃくちゃ綺麗な肌だ。


 ほんと、顔はマジで可愛いよなぁ……。黙っていればマジでモテるのに。


 いや、実際モテているか。


 たまに告白されたって聞くもんな。


「冷えピタ、貼るぞ」


 こくりと頷く宇佐美。


 俺はそっと、ズレないよう丁寧に貼る。


「んっ」


「どうだ、冷たくて気持ちいいだろ」


 頷いた。貼ってすぐ、宇佐美の表情が緩んだ。


 体温計を渡すと、宇佐美は布団の中で体温計を脇に挟んだ。


 衣擦れの音が妙に艶かしく部屋に響く。


 沈黙が流れる。


 ピピピッ! ピピピッ!


 宇佐美はゆっくりと体温計を見、溜息を漏らした。


「どれくらいだった? …………うわっ、39度もあるじゃねぇか。こんなんでよく学校来たな」


 うるさい、と言ったようにそっぽを向く宇佐美。


「安静にしてろよ。俺はリビングにいるから、必要ならスマホで連絡くれ。一応、お前の親が帰ってくるまでいてやる。あ、あと欲しいモノがあったら遠慮なく行ってくれよ。買ってくるからさ」


 今度は頷かなかった。代わりに寝息が聞こえた。


 さて、リビングで小説を書くか。


 高級そうなソファに座って小説を書く。


 2時間後。


 時刻は18時半。外の景色もすっかり真っ暗だ。


 宇佐美の両親、いっさい帰ってこないな。


 ぐ~、とお腹が鳴る。


 腹、減ったな……。


 いま帰るのは気が引ける。


 つか、いつ帰ってくるんだ?


 様子を見に行くがてら、聞いてみるか。


 ノックをして宇佐美の部屋に入る。


 宇佐美が俺の方を見た。


「ごめん、起こしたか?」


 宇佐美は頷いた。


「マジか、ごめん」


「……ウソ。起きてた」


「なんだよ、いらない嘘つくなって」


 2人、クスリと笑う。


「帰ってこないよ。どっちとも会社が忙しくて帰ってこれないってさ」


「そうなのか」


 どうすっかな。このまま置いて帰ってもいいが、宇佐美は大事な友人だ。出来れば早く治ってステージの上に立って欲しい。


「なぁ、冷えピタの隣りに風邪薬あったが、それ飲むだろ?」


 宇佐美がこくりと頷く。


「でもさ、何か胃に入れた状態でクスリを飲んだ方が良いっていうからさ。軽いもんでも食べようぜ」


「……作れるの?」


「まぁな。それもかなり自信がある」


 なんせ、レシピを教わったからな。


「まぁ、期待して待ってな。冷蔵庫の中見るよ」


 俺はリビングへ行き、冷蔵庫の中身を確認。


 材料はあった。冷凍庫には凍らせた米もある。


 これなら作れるな。


 さて、作る前に一応、母親に電話しておくか。


 1コールで出た。


「もしもし、俺だけど今日、帰るの遅くなるわ」


『ちょうどよかった。今日はパパと外食しようと思ってたの。遅くなるなら、どこかで夕飯を食べてきてね』


「りょー」


 ガチャリ。ツー…ツー…。


 言い終わる前に切りやがって。


 なんともまぁ、冷たいな。本当に俺の母か?


 まぁいい。気を取り直して作ろう。


 スマホで澪からもらった丁寧なレシピをもとにおかゆを作っていく。


 よし、できた。


 2人用の鍋と茶碗、飲み物、スプーン、そして薬を持って、宇佐美の部屋へ戻る。


 こんこん、と優しくノックした。


「入るよー」


 3秒経ってから部屋に入った。


 宇佐美は体を起こして食べる姿勢になる。


「食べれそうか?」


 宇佐美が頷く。


「熱々だから、ふーふーしてやろうか」


「キモい」


 言った直後、苦悶する宇佐美。のどが痛いようだ。


「冗談だよ。だけど、お椀におかゆぐらいはよそわせてくれ」


 こくりとうなずいたので、よそって宇佐美に手渡す。


「自信作だ。味見してみたが、過去一番おいしい出来だ。安心していいぞ」


 宇佐美は自分で冷ましつつ、恐る恐る口に入れる。


 ゆっくり咀嚼し、飲み込む。


「———っ」


 目を見開いておかゆを見る。


「どうだ? おいしいだろ?」


「悔しいけど……」


 宇佐美は頷き、一口食べた。


 それを見て俺もおかゆを食べ始めた。


 澪の味にはまだまだ届かないが、それでもおいしいな。


 あのレシピ、料理できない俺でわかりやすく書いてあったからな。


 澪って本当にスーパープレイヤーだな。


「おかわりあるからな」


 2人、黙々と食べた。


 さすがにおかわりとはいかなかったが、それでも茶碗1杯分は綺麗に食べていた。


 最後に薬を飲み、宇佐美は再び横になった。


「ありがと……」


「おう」


 部屋に置いてあるベースが目に入った。


 旧校舎で宇佐美がスマートに弾いていた姿がよぎる。


 文化祭まで残りわずか。


 大事なことを今、話さなければならない。


 熱で辛い状況だが、弱っている方が落ち着いて聞いてくれそうだ。


「なぁ、落ち着いて聞いてくれ。俺たちのステージ発表だが、2人で出るのはよそう」

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