第50話 人魚姫
「うわぁ〜、きれい〜」
水色と白色が揺らめく天井に、俺と澪はうっとりした。
いま俺達がいる所は水族館の中でも人気な水中トンネルエリア。
壁と天井が1つの大きな水槽になっている。そこに小魚は群れをなして、大きな魚は優雅に泳いでいる。
水槽の上は日差しが差し込むようになっているこの場所は、まさに海の中にいるみたいだった。
「写真で見るよりもだいぶ綺麗だね」
「うん! すごい……!」
澪が目をキラキラさせて見上げている。俺もたくさんの魚と戯れている気がして、ワクワクする。ダイビングって、こんな感じなのかな?
天井を眺めていると、エイがゆったりと俺達の上を横切る。
「エイの裏って、あんなふうになってるんだ。実際は見たのは初めてかも」
「可愛いよね」
「可愛いっていうか、ちょっと不気味?」
「うそ〜? 可愛いよ〜」
今日の澪、結構テンション高いなぁ。
俺との水族館を楽しんでくれているようだ。ちょっと安心。
そうだ。楽しみついでに豆知識を披露してみるか。
「エイってさ、サメの中から派生したんだよね」
「そうそう。ジュラ紀にわかれたんだよね~」
えっ、ジュラ紀に?
いつ派生したかは知らないんだけど。
咄嗟の豆知識返しに虚を突かれて言葉を失っていると、
「そういえばアカエイの尾って、毒あるんだよね」
「毒。あーっ! 毒、あるよね毒。最悪、死亡することもあるらしいじゃん」
「でも、網や釣り針に引っかかると尾を切り捨てるんだってね」
「………へぇー」
知らなかった。アカエイのやつ、ピンチの時は自分の武器すら捨てて逃げるんだな。まるで熟練の兵士みたいでかっこいいじゃん。
いや待て。
つか、なんでこんなにアカエイのこと詳しいの? アカエイ好きなの?
正直、アカエイの魅力がイマイチわからないんだけど。
「あ、見て見て。コバンザメ!」
澪が単独で泳いでいるコバンザメを指差す。
「お、コバンザメだ。すげぇー」
しまった。コバンザメの情報はあまり手に入れてなかった。サメに引っ付くことぐらいしか知らない。
「新たな宿主探してる最中かな~。それとも子孫を残そうとしているのかな。そういえば、コバンザメはエイにもくっつくんだよね。でもあの吸盤って結構痛いらしいから、エイは引っ付かれるの嫌がるんだよね」
え、そうなの!?
「へ、へぇー」
ダメだ。確実の知識で上をいかれている。
というか、え、なに、澪? えっ!?
澪って魚大好きなの?
あれ、澪が凄いドヤ顔して俺の顔を見てくるんだけど。なんで?
★★★
ふっふっふ。
よーし、いいよぉ~。
私の秘策、豆知識作戦。これで知的アピールも出来ると同時に、水族館をもらえる。
この日のために、隙間時間全部つぎ込んで魚の勉強した。
そのおかげで、水族館の魚であればだいたい説明できるようになった。あと、水族館を見るのが楽しくなった。
良介くんも魚の知識があるし、勉強しておいてよかった~。
これで良介くんと対等に話せる。良介くんも喜んでいるかな?
…………あれ?
なんかちょっと落ち込んだ顔しているような……。
★★★
もう、知識をひけらかすのはやめよう。
澪から新たな情報を聞かされるたび、必死で勉強してきたことが虚しく思える。
やっぱり付け焼刃はパーフェクトヒロイン澪には通じなかったか。
カッコつけず、普通に回ろう。
そう切り替えた瞬間から、水族館を純粋に楽しめた。
ちょくちょく入る澪の豆知識に、教師とデートしているんじゃないかと思うものの、おおむね面白く聞けた。
熱帯魚コーナーについた。
本日の目的の一つである、カクレクマノミがいる。
「あ、クマノミもいる! 可愛い〜」
大きい水槽であるにも関わらず、すぐに見つけた澪はクマノミに駆け寄って水槽越しにクマノミをつつく。
澪のツンツンに反応したのか、クマノミも澪の指に口をつけようとしていた。たしか水槽のガラスは魚側からは外が見えないようになっている。すごい偶然だ。
そんな偶然が起きていたにも関わらず、俺は魚ではなく澪を見ていた。
否、俺だけではない。
水族館に行く時と同様、他の男性や女性も一度は澪を見ていた。
澪はそのこと、気付いているのかな?
★★★
カクレクマノミかわいい~。いとこのお父さんが熱帯魚を飼っていたけど、その気持ちわかるなぁ~。
「あ、良介くん! 置くにカクレクマノミの赤ちゃんがいるよ!」
赤ちゃんがいる場所を指差す。
「へぇー」
「……………っっ!」
良介くんの顔が私の顔にぐっと近づく。
うそっ!
近い近い近い!
だめだめ。一旦落ち着いて。ここで戸惑ったらせっかく近づいてくれたのに離れちゃう。
平常心。ひつじ。そう、羊を数えるのっ!
羊が1匹、羊が2――――
「ど、どこだろう? あれかな?」
良介くんが指を差しながら、さらに近づいてくる。
嬉しいけど、でもでもこれは近い過ぎるっ!
やばい、胸がバクバクいっている。受験の時よりも緊張している。
こっ、ここもへいじょーしんっっ!
も、もう一度ひっ、羊を数えるのっ!!
ひつじが……いっ、いない!? 逃げた!?
だめだ、鼓動が大きすぎて数えられない。
大丈夫かな?
心臓の音、聞こえていないかな?
いや、聞こえているかも……
―――それにしても良介くんの手、綺麗な手だなぁ。
女子みたいに細いわけじゃないけど、ごつごつし過ぎてない。
ほくろも傷もない。
指も程よい太さだし。
私の好きな手……。
★★★
ミスった。
澪に「見て」と言われるがままに顔を近づけてしまった。
心臓が張り裂けそうなほど鳴っている。顔も熱い。
だが、今更引き返すこともできない。
「えっと………えとえと………あれ………です」
どんどん声が小さくなっていく。
「え、どこかな?」
「あ……あれ……」
細く白い指が差す方を見る。オレンジ色で小さな魚がいた。俺はその魚を指差そうと人差し指を伸ばし―――
「うーん、あれ―――」
ぴと、と俺と澪の指先がくっついた。
時が止まる。
触れている指先が熱い。
あ、やべ…………。
触れちゃった。
うん、ここはしれっと指を離そう。
「――――かな?」
言いつつくっついた指を離すと――――
ピト。
「………………」
あれ?
澪が指をくっつけてきた。え、なんで……?
もしかしてわざと?
いや、まさかそんなことは……。
とりあえずもう一度離そう。
ピト。
えっとー……これは……なんだ?
もしかして俺、試されてる?
「え、みお―――――」
「あ、やっぱりあれで合ってた! 合ってましたっ!」
そう言うなり、ぴゅーと一人で先へと進んでいった。
さっきのは何だったんだろう。
ふぅーと息を吐く。
あっぶねぇー!
あれ以上指がくっついていたら、俺の心臓が破裂するところだった。
右手の人差し指を、大切なもののように優しく握る。
すべすべしていたな。
……………いけないいけない。
余韻に浸っている場合ではない。澪を追いかけないと。
一人で放っておいたらナンパされまくられちまう。
少し早く歩いて先に進むと、見上げるほど大きな水槽のエリアについた。
……圧巻だな。
そう思っていると、その水槽をじっと眺める澪の後姿が見えた。
よかった。まだ話しかけられていなかった。
声をかけにいこう。
近づこうと一歩、二歩進んだところで、澪がくるっとこっちを向く。
そして俺に笑顔を向けて、
「綺麗だね」
「―――――――――――」
美しい映画に出てくる澄んだ海中の背景に合った、慈しみ深い笑顔。
俺は思わずその場で固まった。
男達は話しかけなかったんじゃない。話しかけられなかったんだ。
澪が再び水槽の方へ向き、近づいてきたマンダに向かって手を伸ばしていた。
やはりそうだ。
あれほど可愛い人が急に話しかけて、それも俺にだけ態度がぎこちないのには理由がある。
彼女は――――ミヲすけさんだ。
拳をぐっと握る。
絶対に尋ねよう。
この悶々とする疑問に決着をつけよう。
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