サブエピソード 打ち上げの片隅で

 4組の笑い声で包まれる打ち上げのなか、苅部だけは苛立っていた。


 体育祭は、自分の画策通りとなった。しかし、結果は望んだものとはかけ離れたものになった。


 自分は思うように目立たず、今頃沈んでいるはずの人間が喜んでおり、脚光を浴びている。


(面白くねぇ……)


 寄ってくる女やメッセージを寄越す女は元から自分に好意を寄せてきた人だけ。


 クラスでは全然目立ってない。


 その証拠に、右斜め前に耳を傾ければ、


「澪ってやっぱすごいよねぇ~」


「あそこからの追い上げはすごいよ。あと5m長かったら逆転できたって!」


「どうだったかな~」


 打ち上げでは澪に対する労りや賞賛があふれ、澪は幸せそうに返答している。


 怪我を負ったうえにリレーで大失態しているのに、何故そんなに幸せそうにしているのか。


 聞いてられるか、と左斜め前に耳を傾ければ、


「藤木ってあんなに速かったんだな」


「そういえば、去年もリレーの選手だったよ。アンカーじゃなかったし、すでに大差がついていたからあんまり印象なかったけど」


「へぇー。あいつ、元陸上部とかだったんじゃね?」


「かもな。今度訊いてみるか」


 ダークホースであった忌々しい藤木の話題で盛り上がっていた。


(ちっ、ほんっとうに面白くねぇ)


 2人の名前を聞くだけで苛立ってくる。


(他にも話すことあんだろ)


「あれ、タクト。顔が怖いよ? なんかあったの?」


 制服をだらしなく着た咲彩さやが訊いてくる。顔が小さいだけで、雰囲気だけの女。胸元を開けているが、コンタクトレンズより小さな膨らみに欲情などしない。


 ぶりっ子のような甘い声も、今は耳障り。


「なんもねぇよ」


「ほんとぉ~? 咲彩に話してみてよ」


「なんもねぇって」


(自分のことを名前で呼ぶところもイタイってわかんねぇんだよな。だから付き合う気にはなれねぇんだよ)


 嫌な顔をしているのにぺらぺらと話し続けてくる咲彩を雑に受け流していると、ドリンクバーで荏原達と話す藤木を見つけた。


(一回いびってやらなきゃ気が済まない)


 苅部は「トイレ」と呟いて、席を立った。


 咲彩が何か言っていたが、聞こうとすら思わなかった。


(澪を貶めるのは無理だ。あいつは周囲からの人気が凄すぎてハブけない。しかし、藤木なら)


 呑気にドリンクを注いでる藤木の弱々しい背中を睨む。


(潰すことができるな。さて、どういびって―――)


 ぐいっと左腕が引っ張られた。


「山下っ……!」


 山下がニヤッとする。


「よう、トイレはこっちじゃないぜ」


「離せよ」


 振りほどこうと腕を動かすが、びくともしない。それどころか、腕がどんどん圧迫される。自分より背が低いのに、どこからこんな力が出てくるのか不思議だった。


「ちょっと外で話そうぜ。それとも助けてーって情けなく叫んでみるか?」


「ちっ……」


 ♦♦♦


 山下はファミレスから少し離れた、月明かりが届かず、人気の少ない場所に苅部を引っ張った。


「ここでいいか」


 呟いた山下は、苅部の腕から手を荒っぽく放した。


「こんなところにつれてきて何の用だ?」


「答え合わせだよ」


 ギロリ、と山下が苅部を睨む。


「渚波の足、怪我させたのお前だな?」


「なんのことだ?」


「とぼけても無駄だ。証言もある。動画も手に入れた」


「知らないね」


「白状するな今だぞ」


「知らねぇって。あれは不慮の事故だ。なんなら、足を踏まれた俺の方が被害者だ」


「そういう態度、とんのか」


「態度も何も、事実だ。俺を犯人扱いするのはやめろ」


(どうせハッタリだ)


 苅部は心の中でほくそ笑んだ。


 もし証拠があったとしても自白はしない。


 スマートフォンで自白の録音なんかされたらそれこそ終わりだ。


「その話だけなら帰るぜ。澪のことは残念だったが、俺にはどうすることもできない」


 言いながら山下の横を通り過ぎようとする。


 ガシッ!!


 山下が先ほどより強い力で腕を掴んできた。


「おい、腕離せよ」


「まだ話は終わってねぇよ」


 ぐっ腕を掴む力が大きくなる。


「いってぇなぁ」


 苅部が掴まれた手を振りほどこうとするが、一向にほどけない。


「お前、殴られないと思ってんのか? あんまり調子に乗ってっと、ボコボコにすんぞ」


 脅しているが、掴む力は一切緩まない。


「……んの野郎っ。マジで殴んぞ」


「やってみろよ」


 山下が苅部を殺すような目で睨む。


 怯む苅部。しかし、こんな陰キャラになめられたままというのはプライドが許さない。


「死ねっ!」


 苅部が山下の顔目掛けて拳を放つ―――。


「————ぐっ」


 崩れ落ちたのは苅部だった。

 

 鳩尾に鈍い痛みがした。


(俺のパンチよりも速く……っ!)


「ごほっごほっ………うぉえ……っ!」


 苅部はそのままうずくまった。呼吸は乱れ、吐き気がこみ上げる。


(やばい、早く立たないと、次の一撃がっ!)


 しかし、腕も足も思うように動かない。力が入らない。


「おい」


 惨めに地面に這いつくばる苅部に、山下は冷たく言い放つ。


「お前がどう思おうと勝手だがな。汚ぇ真似してんじゃねぇよ」


「汚い……真似だと……?」


 言った瞬間、ぐいっと首根っこを持ち上げられた。


(ぐ、苦しい……、首が……)


 苦悶する苅部の前に、冷徹な顔が現れる。


「罪を認めるかどうかは、もうこの際どうでもいい。認めたところで、渚波にいらない傷をつくるだけだろうからな。だけど、約束はしてもらおうか」


(やく……そく……だと?)


「お前がこれ以上渚波にも、藤木にも余計な真似をするな」


「……………………」


「しないっていうんなら許してやる。いつも通りクラスでイキがっても見逃してやる。お前の言うことにも従ってやるよ。だがな、もし同じような真似をしてみろ。二度と学校に来れないような体にしてやるからな」


 命を刈り取るような目をする山下に、苅部は心底恐怖した。本物の不良とはこういうモノなのかを、拳と目で理解した。


「わかったな?」


「…………ああ」


 山下は掴んでいた襟を離した。


 無言で立ち去ろうとするする山下に怯えを抑えつつ、苅部はからくも問う。


「…………どうしてあんな奴に味方……するんだ……?」


「あんな奴? 藤木のことか?」


 山下はため息をついた。


「強いて言えば、ファンだからな」


「………………ファン?」


「お前は知らなくていいことだ。どうせ、誰も興味はないよ」


 歩きつつ答え、山下は月灯りが届かない場所へと消えていく。


 その背中を、苅部は地べたに這いつくばりながらじっと見た。


(どうして俺が、あんな陰キャに……っ! 俺は……!)


 痛みは引いていったものの、泣き叫ぶだけでは解消できない屈辱に押しつぶされた苅部は、小さな声で嗚咽した。


(くそっ! くそっ! くそっっっ!!!)


 楽しい打ち上げの片隅で発せられたその嗚咽は、波の音に揉み消された。

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