第44話 冷えピタ

 渚波がスーパーの袋を持って下に降りてから30分が経った。


 何か下で音がするが、渚波に任せておく。


『藤木くんは寝てて。その間にパパっとやっておくから』と渚波は言ってくれたが、なんとなく落ち着かなくて眠れない。


 何かを想像したり考えたりすると頭が痛くなるので、ぼーっと薄暗い部屋を眺める。


 見るのに疲れたら目を瞑る。


 そうすると下からわずかに聞こえる家事の音が耳に入って心がそわそわするので、回復したら目を開けて明かりがついていない部屋をぼーっと眺める。


 これを繰り返していた。


 あー、なんか心を落ち着かせて眠る方法ないかなぁ。


 でも、もう寝過ぎて疲れちゃったんだよねぇ。


 コンコン。


 ドアを優しくノックされて、俺は頭をドアの方へ向けた。


「失礼しまーす」


 朝の寝起きドッキリのような控えめな声を出して渚波が部屋に入ってきた。


 電気は付けず廊下から入ってくる光のみ。


 どうした、という目を渚波に向けた。


「あ、起きてたんだ。体調はまだ悪いよね?」


 弱々しく頷く。正直、すこぶる悪い。


「あ、そうそう、水枕持ってきたよ。藤木くんが言ってた場所にあった」


 渚波は汗が多分に染み込んだ枕と、タオルがきれいに巻かれている水枕を丁寧に代えてくれる。


「気持ちいいでしょ。私も熱があるときよくお母さんに作ってもらったんだ~」


 本当だ。


 枕と違い、やんわり冷たくて気持ちいい。


 自然と目を閉じると。体から力が抜けていく。


 水だから、枕に熱がこもらないので、寝苦しさを感じない。


 めんどくさくて準備しなかったけど、今度から水枕を用意しよう。


 ぴとっと、額に手が添えられた。


 細く綺麗な手。綺麗なのは顔だけじゃないのか。


「冷えピタ、乾いているね。取り換えようか」


 渚波が冷えピタを優しく取り、新しいものを箱から出す。


 それを受け取ろうと布団の中から手を出したら、


「あ、大丈夫だよ。私が貼るから」


「いや、それくらいは……」


 非常に恥ずかしいし、なにより脂ぎった髪と額を触らせるのは申し訳ない。


「駄目だよ。寝てなきゃ。いい?」


 ちょっとムスッとした表情で冷えピタを遠ざけてきた。


 そんな表情で言われたら、こちらとしては従うしかない。


 俺は頷き、伸ばした手を布団の中へ戻した。


 もういい。ここは渚波の好きにさせよう。


 渚波は満足気に頷き、改めてしっかり冷えピタを持った。


 暗い部屋の中、2人無言になる。


 互いの距離が近づくにつれ、鼓動が鳴る。


 ドクン……ドクン……。


 顔が猛烈に熱くなる。


 まずい。たぶん俺、めっちゃ顔赤い。


 でもおそらく、渚波も俺と同じくらい赤いと思う。


 この直感は当たっている。自信がある。


 仰向けに寝る俺をのぞき込む渚波。


 渚波の目線はおでこ。対する俺は、暗闇でもわかるほど細く綺麗な指。


 その指が俺の髪を優しくかき上げた。


「―――っ」


 渚波の鼻息が俺の唇にかかる。


 背筋がぞくっとした。同時に湧き上がってはいけない感情が湧き上がってくる。


 俺は息を止めた。ここの距離にいれば渚波にかかってしまう。それは、渚波をけがしてしまう気がして、俺にはできなかった。


 渚波からゆっくりとした呼吸音が聞こえた。


 暗闇の中、完全なる沈黙が二人を包む。


 1秒、2秒、3秒。


 渚波が丁寧に冷えピタをつけ近づけた。顔もどんどん近づいてきた。


 ――――駄目だっ!

 

 俺は耐えきれなくて目を閉じた。


 このまま目を開けていちゃ、色々な感情が暴走して心臓が爆発する。


―――――ピト


想像以上の冷たさにびっくりして、目を開けてしまう。


「――――っ!」

「――――っ……」


 2人の目と目が合う。


 時が止まる。


 ドクンっ、ドクンっ、ドクンっ!


 心臓が飛び出る……っ!


 俺が間違えて少し顔を上げただけで唇がくっつく距離。


 そんなときに、凍ったようにお互いに動きが止まってしまった。

 

 渚波の顔、めっちゃ赤い。ミスコンですら見たことのないくらい……。


「も―――」


 ガバッと渚波が俺から離れた。


「もうっ、だいじょうぶっ! ちゃんと貼れたよ」


「お、おう……ありがと」


「うん。じゃあ、夕飯作ってきちゃうねっ。……何がいい?」


「えっと……おまかせ」


「わかった。じゃあ、寝てて待っててね」 


 優しく微笑んだ渚波は、さっきまでの緊張などどこ吹く風で部屋を出て行く。


 バタンとドアが閉まった瞬間、俺は大きくため息をついた。


 今更、喉がヒリヒリし出した。完全に痛みを忘れていた。


 あんなこと体験して、寝られるわけがない……。

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