第43話 おみまい

 夕方に起きた俺は、体温計で熱を測ってみた。


 38.3度。


 安静に寝ていたおかげで熱は下がったが、まだまだある。油断は出来ない。


 ピンポーン……。


 インターホンの音がやけに頭に響く。


 そーいやゲームを頼んでたんだった。


 ダルいけど、取りに行くか。


 待たせてしまっては、忙しい配達員に悪い。


 剥がれかけた冷えピタを貼り直し、昨日よりは幾分か楽になった足で玄関へと急ぐ。


「……くそっ、喉が痛いっ!」


 不満を叫びつつ、向かった。


 なにより辛いのは唾を飲み込むたびに痛くなること。


 寝言1つ言いたくないくらい痛い。


 でも、不満の1つでも漏らさなきゃ、やっていられない。


「はい」


 ドアホンを確認せずに雑に玄関を開ける。


「えっ……」


「や……やぁ……」


 気恥ずかしそうに挨拶する、制服姿の渚波がいた。


 …………渚波?


 あれ、なんでここに?


 ここって俺の家だよな?


 遊びに来る約束してたっけ?


 いや、それよりもなんで俺の家を知っているんだ?


「え、えっと~………」


 後ろに隠していた両手を前に出して持ち上げた。


 目の前に現れたのは黒い革のペッタンコバッグと、たくさんの雫がついたスーパーの袋だった。


「おっ、お見舞いに……来ちゃった……」


 渚波の背景に降る雨は、昼頃よりも弱くなっていた。


 ★★★


 30分前。藤木くんの家の最寄り駅に着く間際。


「本当に行くの? なんで?」


 山下が怪訝そうに訊いてきた。若干怒っているふうにも見えた。


「お見舞いしたいから。迷惑かな?」


「迷惑ではないと思うけど、個人的には行ってほしくないなぁ」


「え、なんで?」


 思わず笑ってしまった。この人は藤木くんと仲良いんじゃないなかったけ?


「だって、そりゃあね……。うらましいし、けしからんし………」


 口を尖らしながら、言葉を濁す山下。どんどん声のトーンが小さくなっていったせいで、後半は聞き取れなかった。


 彼なりに何か考えがあるのかもしれないけど、藤木くんの最寄り駅に降りた以上、彼の家に寄らないという選択肢はない。


「あ、ついでに何をあげたらいいかわかる?」


「フツーに果物じゃない? あいつ、普段はポテチとかクッキーとか好きだけど、さすがに熱の時は食わねぇだろうからさ」


「そうなんだ。わかった! ありがとう」


「俺は行かないから、よろしくとだけ伝えといて」


 ★★★


「―――ということなの」


 玄関先から俺の部屋まで、ここまできた経緯を端的に伝えてくれた。


 正直、山下も来てほしかった。


 2人きりだなんて緊張する。せめて、山下いれば心が舞い上がりそうな時に山下の顔を見て冷静になれたのに。


 ともかく自室に案内した。


 部屋に入る前に、俺はなるべく辛くないように装う。無駄な心配はかけたくない。


「部屋、散らかってるけど」


 ドアを開けた。部屋に入るのと同時に渚波の表情を窺った。


 眉1つ動かさず「おじゃましまーす」と静かに呟いた。


 教科書やらバッグやらが床に放ってある汚い部屋だったが、渚波は何も言わなかった。

 

 部屋に入った俺は、渚波に学習椅子を渡し、俺はベッドに座った。


「あ、寝てて。私のことは気にせず、家族だと思って過ごして」


 家族……?


 渚波のような姉や妹が、俺の両親から生まれてくるとは思えないな。


 ピンとせず、ただじっと渚波を見ていると、


「あ……あのあの家族というのはたたた例え話のことで……深い意味はっ!」


 落ち着き払っていた渚波が慌てて手を振って弁解する。


 無意識に俺の顔が緩んだ。可愛い。


「うん。わかってるよ。ありがとうね。お言葉に甘えて寝るね」


 ベッドに潜った。渚波が布団を丁寧にかけ直してくれる。


 それにしても、なんか勢いで普通に家入れちゃったけど大丈夫だったかな。


 昨日から風呂入ってないし、体クサくないかな?


「……体調どう? 熱はどのくらい?」


「さっき測ったら38度後半だった」


「あらら……」


「これでも下がったほうだから、昨日より楽だよ」


「そうなんだ。でも、まだ高いね」


 心配そうな顔して俺の顔を見下ろす。


「あ、あの、そんな近づくと……ニオイが……」


「全然匂わないよ。気にしないで」


 温かみのある笑顔で言われた。破壊力抜群。


 やっぱり山下がいて欲しかった。渚波と2人きりの方が熱上がる。


 あ、やばい、渚波から心が安らぐ甘い匂いが……。


「そういえば、お見舞いの品、どうすればいいかな?」


「適当に冷蔵庫に入れておいて。1階のリビングにあるから」


「うん! ……お家の方は、何時くらいに帰ってくる? できれば挨拶してから帰りたいんだけど」


「帰ってこない」


「…………え?」


「仕事、と、遊びに行ってる。俺が風邪ひいてる間は…………帰ってこないってさ」


 喉の痛みと頭痛と顔の熱さでだんだん喋るのが辛くなってきた。


「そうなんだ」


 苦笑いしていた。そりゃそうだろう。ネグレクトといわれても仕方ない。


「じゃあ、家事とかも出来てないよね?」


 俺は力なく頷く。


「家事も……得意じゃないし」


 服は綺麗にたためないし、裁縫はできないし、掃除も多分雑なほう。


「…………」


 難しい顔をしてやや下を向く渚波。


 もしかして幻滅した? 


 そりゃそうか。


 高校生にもなって家事が満足できないなんて、情けないよな。


「あ、あの……家事、やってもいい?」


「え?」


 渚波がまるで面接のときのような姿勢と表情で言う。


「家事、やらせてください」

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