第41話 嫌なことはいつも突然やってくる

 喉の左側がずきずきする。


 唾を飲み込むだけで、体が動くほど痛い。


 なんだこれ…………唾を飲むことを体が拒否してる。


 顔が熱い。体中が熱い。でも寒い。


 ボウリング球のように重い頭をなんとか上げる。


 頭がガンガンする。これは久しぶりに重いやつ。


「あーやばいわ、これ」


 熱、多分38度くらいあるな。


 前回、熱を出した時からずっと置きっぱなしにしている体温計を手に取り、すぐに脇に挟む。


 しまわなくてよかった。今日ばっかりはズボラな自分の性格に感謝した。


 ピピッと音が鳴り、体温計を見ると、


「わぉ……39.2度………」


 予想の1度上か。さすがにやばいな。


 無理をしてでも行きたいが、渚波に風邪をうつすのはダメだ。それに、うまく歩けない時点で目的地にたどり着けない可能性だってある。


 ――――――駄目だ。行けない。


 俺はスマホをとり、電話で連絡した。


 メッセージだったら、準備し終わったときに見るかもしれない。


 それだと無駄なことをさせてしまう。


 繋がらなかったら、とりあえずメッセージを送り、時間を置いて再度電話しよう。


 4コール目で、ぷつっとコール音が切れる。


 緊張してくる。ちゃんと、ちゃんと伝えるんだ。


「もっ、もしもし、藤木くん?」


「お、おはよう……」


「お、おはようございます。……だ、大丈夫? なんか声が変わってる気が」


 ちょっと話しただけで気づいてしまうくらい、酷い声なのか?


「ご、ごめん。熱が出ちゃって。今日の水族館、いけない。本当にごめん」


 がっかりするだろうか。それとも苛立つだろうか。


「えええっ! 大丈夫っ!?」


 電話越しでも伝わる本気の心配。ドタキャンなのに心配してくれるのか。


「あ、ごめん! 大きい声出しちゃった。その……体調……大丈夫?」


「う……うん、大丈夫ではないかも。長く引きずりそうかも」


「じゃあ、今すぐ寝た方がいいよ!」


「うん、そうさせてもらう。ごめん、今日。本当、楽しみにしてたんだけど」


「そんなことはいいよ。それより、ゆっくり体を休めて」


「ありがとう、ごめん……」


「気にしないで。私の方は大丈夫だから、今は休むことに専念して」


「この埋め合わせはまた」


「うん! じゃあ、また学校でね。ゆっくり休んでね。お大事に」


 電話を切ると同時に、スマホを手放す。ゴトンっと絨毯に落ちた。


 終わった。


 せっかくのチャンスを、俺は最悪な形で棒に振ってしまった。


 山下がこのことを知ったら、笑いこけるだろうな。


 いや、あー見えてアイツは、ちゃんと悲しんでくれるか。


 ……まぁ、どうでもいいや。


 今は寝かせてくれ。


 寝てしまって、起きた後、実は夢でしたってなってくれ。


 ♦♦♦


 喉の痛みで目が覚める。


 13時。


 もっと寝たと思ってたんだけどな。


 ヒリヒリする喉に、熱すぎる布団の中。身体中、汗びっしょり。


 くそ。やっぱり、夢じゃなかったか。


 とりあえず体温を測る。


「えぇ……」


 39.5度と、なぜか上がっている。


 水分を取らないと干からびるな。


 重い身体を引きずる思いで、1階のリビングまでヨタヨタ歩く。


 リビングへ入るドアを開ける。


「……あれ、お前デートじゃなかったのか」


 リビングのソファーに座って新聞をゆったり読んでいた親父が訊いてきた。


「親父こそ、仕事じゃないのかよ」


「今日は有給だ」


 俺がいるのを気付かなかったのか。どんだけ興味ないんだ。


「つかお前、顔色悪いな」


「わかるだろ、熱が出てんだよ」


「なにっ!? 先に言え!」


 親父は立ち上がり、足早にリビングを出て行く。


 まさか、俺のために動いてくれているのか?


「親父……」


 申し訳ないのと同時に嬉しさがこみ上げてくる。


 少しして親父がリビングに戻ってきた。


 ……あれ?


 マスクをつけている。


 そして大きめのバッグを用意している。あれは確か、旅行用のバッグだったような……。


「おいおい、何やってるんだよ」


「2、3日出る」


「なんでだよ?」


「明日は絶対に休めない。外せないプレゼンがあるからな。風邪をひくわけにはいかない」


 必要な物を全て詰め込んだ親父が、最後にガーメントバッグを持って俺の前を足早に横切った。


「風邪が治ったら連絡しろ。それから2日後に戻るから」


「おい、風邪ひいてる息子置いてくのか?」


「息子より仕事の方が大事だ。お前が食べていけるのも、この家の固定資産税を払えているのも、全ては俺の給料あってのことだ」


 靴を履き始めた。


「くっそ、グレてやるからな!」


 ズキッと喉が痛む。


「お前にそんな勇気は無いよ」


 バタンッ!


 行ってしまった。


 うちの親父はどこかドライなところがあると思ったが、まさかここまで仕事人間だとは思わなかったぞ。


 あれ、そういえばオフクロもいない。


 探そうと思った瞬間、机の上に置かれたメモを見つける。


『2,3日、友達と旅行に行ってきます。今晩のご飯だけは準備しておいたので、お父さんとわけあって食べてください。あと、何があっても連絡してこないでください。お母さんにもプライベートがありますから』


 そういえば旅行に行くとか言ってたな。


 この家族、いったいどうなってるんだ。


 マジでグレてやる。

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