第28話 それでも―――

 ★★★


 ――――やばくないか?


 綱引きが終わった後の渚波の異変にはすぐに気付いた。


 なんか走り方がおかしい。


 居ても立っても居られず、俺は列を抜かして渚波に近づいていく。


 グラウンドから出て、応援席に戻る道中。


 俺はゆっくり歩く渚波に誰よりも早く話しかけた。


「渚波」


「――――えっ、藤木くん!?」


 黒く濁っていた渚波の目に鮮やかな色が宿り、慌てて俺の方を向く。


「どどどどうしたの?」


「足、大丈夫?」


「……………え?」


 途端に表情が暗くなる。これで確信した。


「足、くじいたんじゃないのか?」


「うそ………っ!?」


 すぐ横から塩島の声が聞こえた。俺の言葉が聞こえていたのだろう。


「本当なの!?」


「え、いやー……」


 塩島の真剣な眼差しから目を逸らす渚波。


 遅れて牧野や他の女友達がやってきた。


 クラスの奴らも次第に渚波の異変に気付き、こちらに顔を向けたり、近づいてきたりする。


「足捻った?」


「ちょっとだけね。苅部の足、踏んじゃってさ」


 牧野の真実を見据えようとする顔に、渚波は作り笑いで答えた。


「誤魔化さないで」


「うっ……」


「痛いんでしょ」


「……うん。少しだけだけど」


 渚波は弱々しく頷く。


「ごめん。情けないよね。人の足踏んだくせに、痛むなんて」


「いや、よくあるよ。バレーとかでね。だから気にすることはないよ」


 言いながら俺は渚波の歩き方を再度確認した。


 やはり右足の動きがぎこちない。次の競技の走り玉入れもそうだが、クラス対抗リレーに出るのは……。


 俺は無意識に歯を噛んで目を伏せた。


「澪、残念だけど……リレーは棄権したほう―――」


「とりあえず保健室に行ってみて、診断次第で決める」


「澪……」


 2人は心配そうな顔をした。さきほどまで盛り上げていた活気ある塩島の肌は、熱が引いて白くなっていた。


「大丈夫だよ。無理だと思ったら棄権するから」


 2人は不安気に頷いた。


 こちらを振り返ることもなく応戦席へ戻ろうとする苅部のもとへ行く。俺も後ろからそれとなくついて行った。


「苅部」


 渚波が呼びかけると、苅部はとてつもなく冷たい顔で振り返った。しかしそれも一瞬、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「ごめんね。足踏んじゃって」


「いいさ、別に」


 妙に明るい声で返事する苅部。

 

「あと、私の体育祭委員の仕事、空いていたら代わってほしいんだけど……」


「任せろ」


 笑顔が素晴らしかった。でもこの裏に何かを感じる。そんな笑顔だった。


 ★★★


 保健室で湿布を貰う。


 長年の経験からして、多分これは捻挫だと思う。


 保健室の先生に見せたら、きっとリレーのメンバーから降ろされちゃう。


 それはダメ。


 だから湿布2枚だけもらった。貰う時、ちょっとごまかしちゃった。先生、ごめんなさい。


 校舎の隅、人気のない場所で湿布を貼る。


 足首が瞬間ひんやりする。でもすぐに熱を感じる。


 試しに足首を動かしてみるけど、


「―――っ……!」


 やっぱり痛い。


 —――でも、走る。走り玉入れもやる。全て参加する。


 ワガママだ。でも、このワガママは何としても押し通す。


 私は覚悟を決めて、薄暗い校舎の隅から出た。


 ♦♦♦

 

「―――――ッ!」


 痛い……けど我慢できる。


 大丈夫。


 動ける。


 動けた。


 走り玉入れが終わり、応援席に戻る。


 応援席に座り、一息つく。


 走り玉入れは、それなりに出来た。


 痛かったけど、走れないわけではなかった。ちゃんと走って、投げて、カゴに玉を入れた。


 大丈夫。


 幸い、クラス対抗リレーまで体育祭委員の仕事はない。


 その間、応援席ここで少しずつ治せばいい。


 休憩しつつ、競技を見ていると凛子と沙良がジュースを買ってきてくれた。


「澪、無理だよ」


 沙良が私を心配して言ってくる。


「仕方ないよ。補欠の子に任せなって」


 凛子が私を気遣って言ってくれる。


「ありがとう」


 私の言葉を聞いた2人の顔が、少しほころぶ。


 この2人は正しい。


「それでも―――」


 でも、棄権はしない。


 理由の1つは、私がリレーに出られないって話になった時、補欠の子が青ざめて息が荒くなっていたから。


 タイムを見た時、リレーの正規メンバー組と補欠の子では0.8秒ほど差があった。それに補欠の子は吹奏楽部で、普段から走っているわけじゃない。


 ルール上、補欠を登録しないといけないから、嫌だけどメンバーになってくれた。


 もしその子が私の代わりに走ることになったら、その子の高校2年生の体育祭が嫌な思い出になってしまうかもしれない。


 しかしそれはあくまでも理由の1つ。


 本当の理由は―――

 

 顔を上げ、しっかりと沙良と凛子を見据える。


「それでも走りたい」


 本当の理由は、藤木くんと一緒に戦える、最初で最後の体育祭かもしれないから。


 来年はまたクラス替え。藤木くんと同じクラスになるとは限らない。


 5分の1の奇跡に期待するよりも、いま目の前で掴んだ機会を選ぶ。


「澪……」


 馬鹿げてるって、みんなは思うかもしれない。


 でも、私にとっては大切な理由。


「大丈夫。私を誰だと思ってるの?」


 私は思いっきり嫌な笑顔を2人に見せた。


「去年のミスコンぶっちぎりの1位だよ」


 2人は目を見開いて驚き、そして呆れるように息を吐いた。


「泣いて後悔しても、遅いからね」


「慰めてあげないから」


「ジョートー!」


「いつからそんな生意気になったの?」


 凛子が私のほっぺをつまんで外側に引っ張る。


いひゃいひゃいっ! ごべっ、ごべんって……」


 3人で笑いながら、運命の時間まで過ごした。


 其の時に決めた。


 どんな結果になっても、3人で笑い合う。そして、藤木くんにエールを送る。

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