第18話 名も知らぬ素敵な男子
「なぁ、マジであんな奴のどこがいいわけ?」
苅部が、私には見せたことのない表情で伝える。
「顔もフツー以下、成績も大したことない。何の取り柄もない、目立たない陰キャのどこがいいんだ」
「ちゃんとは説明できない」
藤木くんのTwitterをフォローした限り、小説を書いてあることは隠していた。
プロフィール欄には藤木くんのペンネーム『有栖リオン』の”あ”の字も出ていない。検索したら、すぐに有栖リオンのアカウントが出てきた。
言いたがっていない私がばらしていいものじゃない。
だから説明できない。
というか、する必要は無い。
私の想いは、私だけが知っていればそれでいい。
そしてこうも言ってやる。
「けど、ハッキリ言って、苅部のような嘘をつく人は好きじゃないの。ごめん」
今度はお辞儀せず、はっきり目を見て言ってやった。
怒ってるのはアナタだけじゃない。
私だって怒っている。
自分の尊敬する人を貶されて、怒らない人はいない。
「嘘?」
「今日の待ち合わせ場所ずらしたの、苅部だよね。知らないとでも思った?」
苅部はバツの悪い顔をした。
「アイツから聞いたのか?」
「違うよ。藤木くんは何も知らないまま。でもね、藤木くんだったら先に行くことはしない。藤木くんは、そんなことをする人じゃないから」
「随分と信用しているんだな。彼氏どころか、仲良くしたのだって最近のくせに」
「そうだね。最近話すようになった。同じクラスになるまでは名前すら知らなかった」
「ほらやっぱり」
「――――でもね、顔は知っていたの」
苅部が驚く。
そう、私は藤木くんのことを知っている。
「初めて話しかけられたのは、体育祭の時。ハンカチを拾ってもらった」
高校1年生の体育祭の時の話。
お昼休憩が終わる頃、お手洗いに行った時にハンカチを落としたことに気付いた。
大嫌いだったお姉ちゃんから買ってもらった大切なハンカチ。
競技の合間に落としたと思われる場所を探していると、グラウンド近くの流し場で1人の男子が私のハンカチを洗っていた。
それ私の、と声をかけると、男の子は笑顔で、
―――—あ、これ渚波のだったんだ。
—―――私のこと知ってるんだ。
—―――そりゃあね。有名だから。
申し訳ないことに、私はその男子の名前を知らなかった。
—―――はいこれ。
水をたっぷり含んだハンカチを絞ったあと、私に手渡す。
—―――落とし物BOXに届ける手間が省けてよかったよ。あ、砂まみれになっていたから勝手に洗っちゃったけど、大丈夫?
—―――うん。洗ってくれてありがとう。
—―――おう。じゃあ、俺次の競技出るからさ。
—―――あ、あの……!
私の声が届く間もなく、その男子はグラウンドへと走っていった。
結構足が速い。
遠ざかった背中を私はただ見つめるだけだった。
――――名前、聞きそびれちゃったな。
ハンカチを拾ってもらったときの嬉しさの色した目で、苅部の黒い瞳を見た。
「道端に倒れているゴミ箱を元に戻した」
「それだけ―――」
「人が足りなくなったときに掃除を手伝ってくれた。花の水やりを誰にも頼まれることもなく自主的にやっている。人の陰口を言ったところを見たことがない」
「………………」
「そして、自分が急いでいる時にも見ず知らずの人を助ける余裕がある」
ハンカチを拾ってもらった時は、初めて話した時のこと。
藤木くんと初めて会ったのは、中学3年の冬。受験会場へ向かう時だった。
受験当日の朝、緊張して落ち着かなかった私は、当初の時間よりずいぶん早く家を出た。
最寄り駅から20分ほど離れた場所に、受験会場はある。
普段より微妙に早く鼓動する心臓と共に受験会場へ向かって10分ほど歩いたその時、
—―――あぶない!
50m先のところで杖をついて歩いていたおじいさんが後頭部から真っ逆さまに落ちた。
まずいっ!
後頭部を地面に直接ぶつけている。遠目からでも血が出ているのがわかった。
倒れたおじいさんは立ち上がろうとしない。
助けなきゃと思って走った瞬間、後ろから物凄いスピードで私を抜いて行き、おじいさんのもとへと駆け寄った。
—―――おじいさん!
紺のブレザーの制服を着た、童顔で髪がちょっと長めの真面目そうな男子だった。
—―――大丈夫ですか……って、頭から血ぃ、流してますよ! とりあえず救急車呼びますから。
ブレザーの男子がスマホで救急車を呼びつつ、ズボンの後ろのポケットからハンカチを出して、おじいさんの出血部分にあてる。
丁度マップアプリを開いていたのか、救急車への住所をすらっと伝えられていた。
電話し終わると今度は、自分のネクタイを
その手際は職人芸だった。
—―――これで大丈夫ですよ、おじいさん。安心してください。
恥ずかしながら私は、彼の凄まじい手際をただただちょっと離れたところから見ているだけだった。
応急処置が終わったところで、その男の子がたくさんの汗をかいていることに気付いた。
せめて、飲み物だけでも差し入れしたい。
鞄に入っている水筒はすでに口をつけている。
駅前にコンビニがあったはず。
ちょっと距離があるけど、そこで買おう。
私は来た道を走って戻り、コンビニに入った。とりあえず無難な麦茶を選択し、レジに向かう。しかし、運悪く受験生達がエナジードリンクを買うなど、レジが混んでいた。
想像の3倍の時間がかかって買えた私は、周りの目も気にせず走った。
—―――間に合って。お願い、間に合って!
やっとの思いでたどり着いた現場には、血痕だけが残っていた。
手に握り締めた500mlの麦茶と北風が火照った私の身体と心をじんわりと冷やしていく。
結局私は、間に合わなかった。
その事実が、私の心をもっと冷やす。それとは別に、ある想いが芽生えてくる。
—―――絶対に受かろう。あんな勇気と優しさを持つ男子が受かりたいと思う高校に、私も受かりたい。
緊張はすでになくなっていた。
受験は受かったものの、彼が受かっているかどうかわからなかった。
彼は受かっていなかったのかなと思い、探していたこともすっかり忘れてしまった。
そして体育祭の時に偶然出会ったチャンスも棒に振ってしまった。
体育祭後、すぐに行われる文化祭でミスコン1位になってから余計な注目を浴びてしまい、行動が監視されるようになってしまった。
もう話せないのかな、と諦めていたそのとき、進学と同時に同じクラスとなった。
でもその時はすでにハンカチの件も、おじいさんの件も遠い昔のことになっていて、話を切り出すタイミングが見つからなかった。
席が一緒になって、一度挨拶をしてみたものの、それっきり。
私もちょっと恥ずかしくて、話すタイミングが見つからなかった。
そのまま席替えするのかなと思った矢先、藤木くんが私の好きな小説の作者だったことに気付いた。
ここまできたら、もう当たって砕けろだ。
そういう思いで関わってきた。
「要するに藤木くんは、魅力的な人なの。だから、何も知らないくせに馬鹿にしないで!」
語気を強めて言うと、苅部は目を見開いて驚いていた。
そのあと、苅部が伏し目がちにぼやく。
「じゃあ、あのよそよそしい態度はなんだったんだよ」
「あ……あ、あ、あれは……」
…………言えない。
残念だったのは、藤木くんの私服姿を最初に見ることが出来なくて沈んでたって。
私服姿の藤木くんがかっこよくて照れてしまったって。
敬語をやめようと思っていたら、いつもどんなふうに話していたか忘れちゃったって。
「ちっ……もういい」
答えあぐねている私に痺れを切らしたのか、苅部が1人で歩いて行く。
その方向が藤木くん達との待ち合わせ場所だったので、私も向かった。
待ち合わせ場所まで無言だった。
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