賢人
秘灯 麦夜
神話の時代から
□
それは、御伽噺の時代。
魔獣も魔族も、ドラゴンすら存在していないほどの大昔。
ひとりの魔法使いがおりました。魔法使いは己の魔力で人々を救い、癒し、元気づけることを己の使命としていました。
病気の子どもがいれば、魔法で病を消し去り、戦乱に傷ついたものがいれば、魔法で傷を癒すことなど造作もないこと。
見返りに少しの寝床と食料を恵んでもらうことで、魔法使いは流浪の身ながら、たくましく生きていく事が出来ました。
そんな魔法使いが、ある日、ひとりぼっちの娘と出会いました。
彼女は“灰かぶり”と渾名され揶揄され、厳しい継母や継姉たちから、奴隷のようにこき使われていました。それ故の“灰かぶり”。
魔法使いは美しい“灰かぶり”を憐れみ、王宮の舞踏会に出席できるよう魔法を使ってあげようとします。
“灰かぶり”は言いました。
「でも私、あなたに何もお返しできない」
なんとも純粋な心の持ち主に、魔法使いは感銘を受けます。
魔法使いは「気にすることはない」と言って、「十二時に解ける魔法」を“灰かぶり”に提供しました。
本来であれば、魔法は無償で提供されるものではありません。しかしながら魔法使いは、あまりにも憐れな少女のために、一定の時間で解ける魔法を授けたのです。
“灰かぶり姫”──サンドリヨンは魔法使いの
そして、物語に謳われる通り、サンドリヨンはガラスの靴でもって、王子様と結ばれるに至りました──
めでたし、めでたし。
しかし、その後の平和に暮らした二人を知る者は誰もいません。
何故か。
──それは誰にも語られない物語だったからにほかなりません。
王子様と結婚し、仲睦まじく暮らしていたサンドリヨンでしたが、やがて彼女を悲劇が襲います。
あんなにも愛し、愛してくれた王子様が、戦争で亡くなってしまったのです。
悲嘆にくれるサンドリヨンは、魔法使いに縋りついて頼みます。
「どうか、彼を助けて」
「どうか、彼を蘇らせて」
しかしながら、それは禁断の魔法でした。
「死者を蘇らせることはできない」──それが魔法使いの主張でした。
けれどもサンドリヨンは言います。「何を犠牲にしてもいい。財でも城でも、好きなだけ与える。だから!」
それだけの権力と財産が、今のサンドリヨンにはあります。一国の姫君として、与えられる代償はいくらでも用意できると豪語するほどに。
しかし、魔法使いは悩みぬいた末にたずねます。
「本当に、何を犠牲にしても、かまわないんだね?」
「はい」
「その結果、君は彼と共に
その一言は、痛切にサンドリヨンの心を鈍らせました。
けれども、冷たい王子様の遺体を見下ろすと、サンドリヨンは決意を固めます。
「彼と共に生きられなくてもいい。彼が救われるのなら安いものです!」
魔法使いの心はついに折れました。
魔法使いは己の身体が『縮まる』ほどの魔力を練り上げ、禁断の魔法を行使します。
魔法鬱買いが禁呪を行使した時、王子様の冷たい体が、トクン、トクンと脈打ち始め、胸が呼吸によって上下した、瞬間でした。
サンドリヨンは代償を払うことになります。
「あ、ああ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
愛しい王子様が目覚める前に、彼女の美麗な面貌は醜く崩れ始め、人であった頃の面影を全く残さないバケモノに成り果てました。
のちに、魔族の祖と呼ばれる者が誕生した瞬間です。
サンドリヨンは崩れ果てた自分の顔を覆って城を飛び出しました。小さくなった魔法使いだけが、その後を追うことが出来ました。
サンドリヨンは王子様から与えられた北の城のひとつに立てこもり、王子様とは二度と会いませんでした。
どんなに彼が
魔族の祖となったサンドリヨン姫は、魔法使いと魔族を
魔獣、魔族、そしてドラゴンと、『この世に嫌われる存在』が生まれ始め、彼ら『愛されない者』たちの母たるサンドリヨンの哀しみを体現するように、世界中に不和と混沌を撒き散らしました。
やがて、王子様があらたな姫君を妻とし、国王となって国を栄えさせ、老衰で死んだ後も、サンドリヨンは魔族として、生き続けました。
彼女は、醜く変わり果てた面貌を隠すように、ヴェールで顔を覆いつくしました。
魔法使いは一度だけ、彼女にたずねたことがあります。
「君は、私を恨んでいるかい?」
対するサンドリヨンは静かに首を振ってみせます。
ですが、魔法使いは深く傷つけられる己を実感しました。
(恨んでくれた方がいい──恨んでくれた方がマシだった──恨んでくれた方がよっぽど……)
深い悲しみと共に、魔法使いは自分の削られた魔力を、以後はサンドリヨンのために使うことを誓約しました。
こうして、魔の神たるサンドリヨンと、その召使である魔法使いは、歴史の表舞台から消え去ったのです。
□
数十世紀後のこと。
小さくなった魔法使い──“賢人”サージュは、神の計画に従い、城を離れました。
人の世界は目まぐるしく変化し、魔法に頼るものと頼らないもの、機械を発明したものとそれ以外のもので大別されていました。
そうしてサージュは、とある王国の王族に仕えるようになり、自らをハーフエルフと偽って、国政を支える立場に居続けました。
すべては彼の本当の主──神と呼ぶにふさわしい年数を孤独に生きたサンドリヨンのために行われたこと。
一代、二代、三代と代を重ねるごとに、サージュは王族内で確固たる地位と権力を、それとなく得ました。
そんな中で、彼はとある第一王子に剣技や座学を教える教育係に指名されます。
「じ、爺や……ちょっと、きゅ、休憩を」
「なりません。敵は待ってなどくれませんぞ?」
十歳の子どもに正論を述べるサージュに対し、第一王子は言葉も出ません。
「さぁ、立って。稽古はまだ終わっておりません」
「……はい、先生」
木剣を構え直す幼少期のエミール。
小さな男の子を相手に、少年執事は容赦なく木剣を振るいます。
そして、教導していきます。
「『敵である者に容赦はするな』──戦場では一秒の気の迷いが命取りとなります」
「はい!」
「『目に見えるものばかりを追って、真実を見失うな』──剣技も魔法も、戦術や戦略、戦い全体の趨勢の中では無に等しい。大局観を掴むのです」
「はい!!」
「それから」
「『苦難の時ほど、よく笑え』──でしょ?」
「その通り。ならば実践あるのみ、ですよ?」
第一王子──後の王太子となるエミールの教育係に指名されたサージュは、彼に自分が教えられることを教え込みました。
剣術からはじまる武術や軍事、政治学に帝王学、そして魔法の知識について。
エミール見る見るうちに上達し、サージュの背を追い抜くころには、立派な王太子として、申し分ないところにまで成長を遂げました。
そうして十数年後、計画は実行段階に移りました。
かつてのサンドリヨンと似た境遇と境涯に立たされた令嬢を用意し──
彼女を愛することを強制する“神薬”が王太子の食事に盛られ──
すべてが順調に推移していく……はずでした。
「婚約を、偽装?」
「…………ああ」
「いやいや、なんでですか?」
リッシュ公爵のパーティーから戻ってきた王太子から、真っ先に相談された魔法使いの少年は理解に苦しみました。
サージュにしてみれば、何故そんなことを行う必要があるのか、本気で理解不能だったのです。
神からの支配の証として“
(神薬の効果が効いていないはずはない。では、どうして……)
サージュは閃くものを脳裏に感じ取ります。
(これも血筋、ということでしょうか?)
ユーグ王国王家、系統図の最頂点に位置する王子様の名を思い出し、──サージュは納得の微笑を口元に刻みます。
こうして、長い長い計画の第一歩目につまずきを覚えつつ、サージュは王太子の偽装婚約のために心血を注ぎます。
そして、
□
「…………」
「…………私の負け、ですね?」
神の城で正体を暴露し、ありとあらゆる手練手管を弄して、サージュは王太子に、敗れた。完敗であった。
しかし、そこには寂寥や悔悟といった感情はなかった。
(こうなることは、
倒れ伏すサージュを、王太子エミールは受け止め、静かに床へと横たえた。
「さぁ……お行きなさい」
宝剣『ヴァンピール』、真名を『□□□□』の力を説くサージュは、最後の力を総動員して、ガブリエールがいる祭壇の間を指し示した。
そうして力尽きた。
はずでした。
『サージュ……サージュ……』
「──ッ?」
『さぁ、行きましょう、サージュ』
「……ひめ? サンドリヨン姫?」
ウリエルたち魔族の長を背後に従え、かつての姿を取り戻した魔族の祖は、優しくサージュの手を取ります。
サンドリヨンは嬉しそうに告げます。
『私たちの第二の願いは果たされました。すべて、あなたのおかげです──我が“賢人”』
「そんな、我が主よ」
もったいない言葉だと告げるサージュは、最後の務めを果たすべく、眠る王太子のもとに馳せ参じたのです──
□
その後、彼らの行方を知る者は誰もいません。
けれども、彼らは満足しているはずです。
彼らは自らの望みを叶えたのですから。
おしまい
賢人 秘灯 麦夜 @hitou_bakuya
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